14.《ネタバレ》 映画をみて、これほど“絶望”という想いを感じられたことはなかったと思う。
この点において、本作は評価されるべきだろう。
最後に巨大生物を登場させることによって、微かな“希望”にも完全なピリオドを打ったところも上手い。
ラストの行動に繋げるだけの決め手や動機付けにもなっている。
彼らにはもはや抗う姿勢すら見せていないほどの“絶望”を与えている。
問題はラストのオチだろう。
自ら死を選び、全滅するくらいならば、誰でも予想はできるオチだ。
まさか“死”よりも過酷な責苦を主人公に負わせるとは思わなかった。
なぜ、主人公にこれほどの責苦を負わせたのかが、最大のポイントではないか。
キングやダラボンの宗教観など実際には分からないが、個人的には本作を見て、彼らは「神はいない」ということを描くよりも、逆に「神はいる」と描いたような気がする。
人類が神に逆らうようなことばかり行っていると、“死”よりも恐ろしい“地獄”を味わうことになるという警鐘を描いたように感じてしまった。
庭に木を植えるというような人間の業にすら、罰があるというのは行きすぎな話だが、自然を破壊し、自然の摂理に逆らっていれば・・・という想いがあるのではないか。
「神はいない」ということを描きたいのならば、全滅させればいい話だ。
ホラーとしても面白い作品だが、この点の仕上がりはそれほど良くはない。
制作費18百万ドル(このラストで大金を使えるはずはない)と超低予算映画なので、CGの出来が非常に悪く、蜘蛛の糸の勢いのなさには苦笑してしまうほどだ。
ただ、本作のメインテーマはホラーというよりも、パニック時における人間模様だったのではないか。
“恐怖”に襲われた際の集団心理や陥りやすいワナを上手く描いている。
人々の恐怖を利用し、神を悪用することによってマインドコントロールされ、狂信的・暴力的なカルト集団の誕生の過程までをも描いてしまっている。
また、人々は協力し合えば助かったかもしれないのに、最後まで争いやプライド、己の信念を捨て去ることはできないというのも面白い。
こういった点についても、ダラボンは描きたかったはずだ。
その意味では、影の主役は間違いなく、狂信的な宗教家ミセス・カーモディを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンだろう。
彼女の怪演がなければ、この映画の魅力は激減してしまう。