129.う~ん終始何かスッキリしないんだよねぇ。
未だに男性主導であるスポーツ界の象徴ともいうべきプロボクシングの
サクセスストーリーに女性を据えて観客を惹き付ける。
マギーの一方的なラブコールがやがてフランキーの心の氷を溶かし、
互いの信頼関係が紡がれていく。
そして物語の中盤からあざといほどの純愛ドラマへと緩やかに昇華する。
まぁここまではボクサーに女性を起用するなど多少奇をてらってはいるが、
スポ魂ものとしては常道な展開で中々見応えがある。
そして物語後半、最強の敵に挑戦し辛くも勝ちを拾ったかと思った瞬間、
思わぬ反則技を喰らい首から下は全身麻痺の障害を負ってしまった。
エディの危惧していた事が図らずも現実のものとなってしまった。
過去に自分が無理をして片目を失明してしまったが為に引退を余儀なくされ
フランキーは一生後悔しているというのに・・・。
この辺も前半の伏線が活きてきて因果応報とまではいかないまでも
仏教でいう輪廻転生のような因縁臭ささが絡み付いてくる。
そのうち体の自由が利かないマギーの右足が床擦れによって壊死し
片足切断を余儀なくされてしまった。
もはや在りし日の栄光はマギーにとって苦痛でしかない。
やがて家族にも愛想が尽きたマギーは自殺を図るが、更に最悪の形で失敗する。
生きながらの植物人間状態と化したマギーは人生のトレーナーとも言うべき
愛する生涯唯一の人フランキーに全てを委ねる・・・。
う~んここら辺から本当に何かしっくりこない。
在りし日の栄光のみが人間の生きる糧と言わんばかりで
自分が原因で障害を負った事実に何一つ反省も無く
寧ろ死という滅びの美学で以って現実逃避しようとする姿には正直辟易する。
そしてついに唯一頼れる人間に尊厳死と言う名の殺人を強要するのだ。
穿った見方をすれば障害者に対する冒涜とも取られかねない行為だ。
(多田富雄を見習えと言いたい)
それが愛という名の隠れ蓑によって美化されている姿には正直納得できない。
とある本にイーストウッドはアメリカ社会の典型的な保守系代表格であり
彼の一連の作品(許されざる者然り、ミスティックリバー然り)は
如実にその傾向を物語っているという。
そういったアメリカ社会の根底に流れる本質を理解しなければ
彼の作品を読み解く事は不可能なのであろう。
少なくとも私の少ない脳みそでは到底理解の外である。