17.《ネタバレ》 ちょうど大いに散らかっていた子供部屋を子どもたちと共に片付けたばかりのタイミングで鑑賞した。
そういえば、自分自身に子どもが生まれてから初めて観る「トイ・ストーリー」だった。
傑作だった前作「3」において描かれた、ウッディたちが選び取った「選択」で、「トイ・ストーリー」という物語は見事な“終着”を見せたのだと思っていた。
たとえ更なる続編が製作されたとしても、それはきっと多くのファンを失望させてしまう“蛇足”になるだろうと思っていた。
だがしかし、9年の年月を経て生み出されたこの続編は、僕たちの想像を芳醇なイマジネーションで大胆にも超えてみせた。
それを成し得たのは、このアニメーションに登場するキャラクターに対するクリエイターたちのあまりにも深い愛だったと思える。
“おもちゃ”として生まれたウッディをはじめとするキャラクターたちの「運命」と「役割」。
前作「3」で描き出されたそのテーマは、キャラクターたち自身にとっての誇りであり、尊厳であった。
我々観客も、そういった「運命」を見出したキャラクターたちを称賛し、物語の終着として納得し、満足していた。
「トイ・ストーリー」の中のキャラクターたちでさえ納得していたはずのその結論めいたものに対して、誰よりも彼らを愛するクリエイターたちは「いや、待てよ」と思ったのだろう。
“おもちゃ”として生まれた以上、その相手(持ち主)が誰であれ、楽しませ続けることこそが本懐。
でも、だからといって、すべてのおもちゃたちを、一方的にその「運命」=「おもちゃ箱」にしまい続けていいのか。
この映画のクリエイターたちは、あらゆる意味で「役割」を果たしてくれた愛すべきキャラクターに、新しい選択肢と可能性、即ち「未来」を与えたかったのだと思う。
それは、本来“生無きもの”に生命を吹き込んだこのストーリー(世界)において、あまりに相応しい多層的な新しい着地点だった。
この着地によって、このストーリーは永遠に続くだろう。そうまさに「無限の彼方へ」。
片付けたばかりの子供部屋は、またすぐに散らかり始めている。
この機に乗じて、うちのおもちゃたちも少しずつ旅立っているのかもしれない。