1.《ネタバレ》 「私たちはシステムに組み込まれている」。
その枠組みの中で劇的な展開が起こることのないホームドラマ。
主要人物がアウシュヴィッツ強制収容所の所長の家族であることを除けば。
『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせるBGMのみのオープニングで"音を観る映画"だと認識させる。
一枚一枚完成度の高い、硬質でスタイリッシュなショットの数々は不純物を取り除いた無機質さであふれ、
今まで排除されてきた不純物が遠くから見え隠れする。
それが壁一枚隔てた収容所の黒い煙であり、悲鳴であり、銃声であり、
川に流れ込んだ遺灰であり、日常に溶け込んでいる。
そんな生活を送っている家族は何を思って日々を過ごしていたのか。
現在そのレビューを書いている自分にも同じことが言える。
ウクライナとガザ侵攻のニュースが対岸の火事として日々流されている裏で、
日常化したアジアや中東やアフリカや中南米の紛争・内乱について現在ほとんど触れることはない。
それだけでなく、日本でも見て見ぬふりしている問題が点在している。
100円台で提供される菓子パンの裏で、
激務の果てにベルトコンベアに巻き込まれて従業員が死亡したパン工場での事故。
ペットブームの裏で人間の身勝手で捨てられ、殺処分される愛玩動物。
セーフティーネットから取りこぼされ、命を落としていく社会的弱者。
私たちはその問題を知っている。
だが、「何もしてあげられない」。
こちらにだって社会的立場があり、生活がかかっている。
きっと80年前の所長の家族も同じだろう。
オスカー・シンドラーのように人道のために踏み出せる人などたかが知れている。
かつてジャミロクワイのPVを手掛け一躍その名を知られたジョナサン・グレイザー監督はユダヤ人の血を引く。
アカデミー賞受賞時にイスラエルのガザ侵攻を非難したが、
ハリウッドの多くを占める同胞のユダヤ系映画人は彼のスピーチに一斉に猛抗議した。
「アウシュヴィッツで起きたことと、ガザで起きていることは全く別物だ」。
自分たちが恩恵を受けてきたシステムに背くことは今まで築き上げた所有物を犠牲にする覚悟である。
大量虐殺可能なガス室の建設が決まり、
「人としておぞましいこと」を自覚しているのかは知らないが、誰もいない通路で所長は独り嘔吐しかける。
それは最後に残された彼の"人間性"か。
博物館として現代の収容所に積み上げられた虐殺の痕跡を前にルーティンワークとして淡々と掃除するスタッフたち。
ニーチェ曰く、「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」。
80年後の世界を見つめる彼には裕福な生活を、愛する家族を守らなければならない。
異常さに耐え切れず、手紙を置いて密かに邸宅を出て行った所長の妻の母親が帰宅後に意識を切り替えるが如く、
自分もまた、悲鳴だらけのエンドロールから“普通の日常生活“へと取り繕うだろう。
「私たちはシステムに組み込まれている」。