259.《ネタバレ》 「教科書なんて破いちゃえ!」など、型破りな授業で生徒の興味を引き、「自由」を崇拝する思想。
自分のやりたいようにやれと。ワガママに生きろと。枠にはまるなと・・・。
その授業がどこまで影響があったのかは分からないが、結果を見てみると、一人の生徒が自殺するまで追い込まれてしまった。
自殺したニールの父親は、この作中では鬼のような悪者役として映っている。
子供の意思を聞かず、家来のように命令する父親なんて、最低な親だ、っていう設定。
いや、まてよ。何かが引っ掛かります。
こういうシーンって、ドラマでも小説でも良くあるシーンです。
でも、子供が自殺まで追い込まれちゃうってのは、聞いたことがない。
大抵、家を飛び出すとか、暴力で対向するとか、「無理とは分かっているけど抵抗したい!」っていう程度のもの。
何かがおかしい。
ニールの父親や学校全体の思想で共通しているのは、お受験ママと同じように「上流階級のコミュニティに入る為の最短・最適な手法」を重んじている。
そこには、個性や自由を捨てでも、成功者となって欲しいという思いが含まれている。決して子供を殺すまで追い込みたいとは思っていない。
キーティングの思想は、その逆。人間らしさ、自分らしさとか、自由を掲げている。
その2者の思想の根底は、パラダイムが異なるので、どちらが良いとか悪いとかは、杓子定規で測れるものではない。
その時代・その国・その家族などなど、様々な要因が含まれることで、2者の優劣は全く変わってくる。
その異なる2者の狭間で苦しんだニール。
一見、キーティングの思想は、人間らしく見えます。
しかし、「個」を重要視する考え方のみだと、狂気の沙汰となる末路が待っているだけです。
「社会」との関係を踏まえて授業していれば、ニールの自殺は防げたかも知れない気がします。。。