62.《ネタバレ》 原田美枝子が両極端な二役を好演、まるで別人に見えた。
豊子は虐待するなら孤児院から引き取らなければよかったのに、去っていった男に対する執着が歪んだ形で表れたのか。
強姦されてできた子だから産みたくなかったと言い放つが、それも事実とは異なることで、照恵を徹底的に傷つける意図が見える。
その理由がはっきりとは描かれていないが、豊子も虐待された経験があったのかもしれない。
虐待を受けながらもひたすらに母の愛を求め続けたいたいけな姿が胸を打つ。
髪をすくのが上手だとたった一度ほめてもらったことが、鬼畜のような母を憎みきれなかった要因か。
老いた母との美容院での再会シーンは緊張感が漂う。
額の傷に受けた傷が伏線となっていたが、結局老母から娘に向けた言葉はなく、親子としての会話は交わされなかった。
照恵は虐待の理由をそれまで何度何度も考えてきただろうが、理由なんて今さら意味をなさないし理解する必要もない。
母への執着にピリオドを打ち、娘の深草の愛で癒されることで、愛に彷徨していた自身の思いは完了できたのだろう。
照恵が父の遺骨探しに奔走するのは、母が捨てたものを全部拾っていくことを決意したから。
つらい時や困った時にはいつもそれを誤魔化すように笑みを浮かべてしまう照恵は、なかなか正直に自分の気持ちを表現できない。
小さい頃から抑圧されてきたために本当の自分を見失っている照恵にとって、遺骨探しは自分探しの旅でもあった。
最後に拾ったのは自分自身ともいえる。
あれほど虐待した親を許せるものなのかどうかは想像がつかない。
再会しても恨み言の一つもぶつけずにはいられないのではと思ってしまうので、そうしなかった照恵が不思議にも思える。
ただ、娘の存在なくしては、母への思いがいつまでも決着のつかなかったことは想像に難くない。
当時は邦画も捨てたものじゃないと思わせた映画で、長らく不振だった邦画の復活を感じさせた。