1.《ネタバレ》 女ざかり】弓子は新聞記者という仕事に生きがいを感じているが、不倫にも熱心だ。大学教授と10年間長距離恋愛を続けている。それが娘公認というのも珍しい。娘は大学生のようだが、中年男性と恋愛中。伯母は元有名女優で、政治家と禁じられた恋をしたが、別れさせられて引退。政治家は現在総理大事。弓子の倫理観がよくわからない。弓子の元夫は癌の宣告を受け、余命は短い。ラスト、弓子と娘は元夫の看護へと田舎へ向かう。女性は全て生き生きと描かれ、男はしょぼくれて描かれる。元女優と首相の描かれ方を見れば一目瞭然。女は艶があり、男は老醜をさらす。政治家の妻は痴呆症ながら健康そうに描かれている。男は初老になっても銀幕の女優にあこがれている。男の話題は糖尿病、ハゲ、小便の勢い、癌、嫉妬など女尊男卑があからさまである。男優の目尻の皺がいやらしいほど強調される。【政治圧力】弓子の社説が原因で会社に政治家からの圧力がかかる。票と結びつく水子信仰団体と元総理を非難した形になったからだ。そのことを暴力団の幹部から知らされた弓子。他部署へ異動させられそうになると圧力を撤回するように、愛人に頼み、娘の相手の大物書家に頼み、伯母に頼む。全ては他人任せである。【感想】結局は詰め込み過ぎ。不要な場面が多い。暴力団と亡犬の挿話はいらない。首相の妻との不思議な邂逅があるが、何を言いたいのか意味不明である。弓子は政治圧力を跳ね返して論説委員を続けたが、あっさり退社を決意。背伸びをしていたのを反省し、もう一度自分を見直すのだという。愛人との別れも示唆される。又新しい仕事、新しい恋を見つけるのだろう。その前に元夫の看病。娘を元夫に会わせる目的もある。彼女にはまた新たな“女ざかり”がやってくる予感がある。フェミニズムではなく、女性賛美の物語。◇優れた映画は、観客に映画を見ていることを忘れさせてくれるが、この映画は落ちつかない。画面の多切替など狙っている効果が見え見えで楽しめない。浦野(三國)と弓子が別れをかわす場面で、黄色の広告バルーンがしぼんで海に浮かんでいる。中年の恋のわびしさを表現しているのだが、わざとらしいのだ。おでん屋の後ろに電車が走り、会話が中断するのは、不安の演出。技巧が映画に馴染んで居らず、技巧で終わっている。弓子の食事時の口元アップとあくびアップは性愛の代替表現。これだけは成功している。監督の本音は美人賛美?