128.《ネタバレ》 何かすごくもったいない作品です。娯楽作品にしたかったのか、神様映画にしたかったのか、リアルなSF映画にしたかったのか、どれにしても中途半端なのだ。
ウィル・スミスを主役に据えた時点でそれは「娯楽映画」志向になってしまう。
けれど、作品の半分以上の時間を費やして、ネビルの孤独感を丁寧に描いているところを見ると、そうでもないのかもしれない。
けれど、鹿だの感染者だのに平気でCGを多用するところを見ると、リアリティなんかどうでもよくてやっぱりドンパチ系のアクションを見せたいのだろうか。
と思っていると、最後の方で急にあらわれた女が「神様」とか言い出す。おっとこれは神様を称える系の映画だったのけ?
終わり方が唐突すぎて、ネビルが神の啓示を受けて納得して実行にうつすまでのプロセスが全然描き足りない。そこんところはほんの一瞬しか割かれていない。
私としては、犬の名演により相当印象が上がったのだが、これは娯楽映画路線をきっぱり諦めてシリアスに行くべきだったと思う。神様を出すのであれば。
ということは、ウィル・スミスは絶対に使ってはいけないということになる。
どんなにがんばっても、マッスルボディのウィル・スミスが地下室でシコシコ研究をする人間などにはなれない。
ウィル・スミスに銃火器、OKだ。マシントレーニング、OKだ。スポーツカーでディアハンティング、OKだ。地下室で研究、NOである。
誰も居ないNYで犬を友に3年も研究しているのはいったいどんな人間だろう。
それは、ティム・ロビンスのような顔色の悪い、たるんだ皮膚の持ち主である。
そして、研究者ならではのマッドな空気を持っていなければ。それは「知的好奇心が時にすべてを凌駕してしまう」異常さである。これがなければ研究などできるものか。大なり小なり学者先生はこれを漂わせているので、見たい方は放送大学をご覧になるとよいです。とにかくウィル・スミスはこれっぽっちも持ち合わせない。
でもまあ、犬のサムだけでも見る価値はあります。私はひと抱えくらいあるデカい犬が大好きです。サム万歳(メスだったのね)。