387.《ネタバレ》 フリードキン版は先に見ていたし、個人的に白黒が苦手なので敬遠していたが、やはり見て正解だった。「白黒だよなあ…白黒だよなあ…」というボヤキが、いつのまにかなくなってエンディングをむかえてしまった。
脚本と演出の隙の無さに、各演者の名演で質の高い作品となっている。
今となっては、証拠の検証方法がこんないいかげんでいいのかという時代の違いは否めないので、犯罪ものや法廷ものとして見るのではなく「かの国はことほどさように言葉を重要視する文化なのであるなあ」という異文化発見ものとして見るのがいいかと。
英語で「約束するよ」「必ずするよ」という場合によくアイギブユーマイワードとかユハブマイワードとか言いますが、言葉を与えられたお前は約束のものを必ず受け取れる、と。言葉なのだ。とにかく言葉。
ところが、こういうものはアジアの文化特に日本にはもともとなかったです。今も、欧米並みにあるとはとても言えないでしょう。そして、このへんの誤解があるために外交がなかなかうまくいかないことになる。
彼らはなぜ、そんなに「言葉」を重視するのか。そのヒントがこの映画にある、と私は思う。
12人の怒れる男はそれぞれの理由で「怒って」いて、そのため「偏見のないジャッジが難しい」ということが如実に示されます。誰が、何に対して怒っているのかを一人一人見極めていくのもこの作品の楽しみといえるでしょう。少数意見を無視しないとか異なる意見の人物でも尊重するとかいういささか美化された民主主義の手順が描かれています。
ひとつ日本人が気に留めなければならないのは、カンカン帽の野球に行きたい男です。
彼の「怒り」は「充分な教育を受けられなかったために、学歴や教養が無いことで他人に軽視されがちである」ことで、本人も教養が無いことを心中で恥じています。
そういう彼が評決に当たってどういう行動に出るかというと、「右に倣え」です。根拠を述べるように求められても自分の意見を言うことができない。
実はこの態度は、原因は違っても「世間」や「不文律」や「みんなの満足」を行動の根拠にしてきた日本人と結果的に同じなのである。我々はこの男にならないように常に心がける必要があります。
個人的には、この時代にしかも白黒なのにここまでできるという点で、リメイク版よりこちらに軍配を挙げたい。