11.今まで観たことがないアニメーション表現、そして、それに伴う今まで感じ得たことのないエモーションを感じられる、日本の、いや世界のアニメーション映画史に残る作品であることは、間違いない。
線と色、そして空白からなるアニメーションの「真髄」を導き出し、そのまま象ったかのように構築された類い稀な映画であろう。
何の迷いも無く、「賞賛」に値する。
しかし、「じゃあ、面白かったか?」と問われると、素直に首を縦に振ることは出来なかった。
映画とは、奥深く、難しいものだと、つくづく思う。
もちろん、他のジブリ映画の例に漏れず、この映画もこの先何度も繰り返し観ることだろう。
そして、他の多くの作品と同じように、観返す度に新しい発見をし、評価が深まるに違いない。
しかしながら、映画鑑賞という行為の価値は、初見時に集約され、殆どの作品はそれに決するということもまた事実。
であるならば、この“初見”で真っ先に頂いた感情を誤摩化すわけにもいかず、「物足りない」と言わざるを得ない。
期待し、想像を膨らませていたイメージよりも、ずっと普通の「竹取物語」だった。
「かぐや姫の物語」と堂々と銘打っているわけだから、描かれるものが「竹取物語」で悪いはずもなく、製作者の真っ当な意向に難癖を付けることは、甚だお門違いだとは思う。
ただ、個人的な期待感は、これまで見たことが無い“かぐや姫”の物語、そして知り得なかった「竹取物語」の真相のようなものに対して突っ走ってしまっていたのだと思う。
だから、あまりに真っ当な「竹取物語」を目の当たりにして、落胆に近い感情を持ってしまったのだと思う。
言うまでもないことだが、高畑勲という日本のアニメーション界の大巨星が渾身のエネルギーで生み出した世界観は、もちろん素晴らし過ぎる。
描写の一つ一つに息を呑み、感動したことは確かなことだ。老若男女問わず日本中の人が観て、愛されてほしい作品だとも思う。
ただし、一個人の勝手に違った方向に膨らみ過ぎた期待にほんの少し沿わなかったという、ただそれだけのことだ。