6.《ネタバレ》 改めて辞書で確認してみると、「avenger」の意味は「復讐者」とある。つまり、このエンターテイメント大作のタイトルの意味は「復讐者たち」ということになる。
もはや熱心な映画ファンやアメコミファンでなくとも、「アベンジャーズ」という呼称は聞き馴染みのあるメジャーワードとなっているけれど、よくよく考えてみれば、ヒーローたちが集結した“チーム”の名称として、その意味は少々奇異に思える。
「復讐者たち」ということは、絶大なパワーを備えたチームでありながら、先ず危害を被ることを前提としているように聞こえるからだ。
しかし、その答えは、この“チーム”が結成された経緯を振り返れば明確になる。
各々がスーパーヒーローとしてそれぞれの「正義」を全うしていた中で、想像を超えた巨大な「悪」による恐怖と悲劇に晒される。ヒーロー一人ひとりでは到底太刀打ちできない。だから、結束して「復讐」をする。
絶対的な「巨悪」が先ずあり、それに対峙するために生まれた“チーム”だからこそ、彼らは「復讐者たち」なのだ。
彼らのその姿は、この現実世界の在り方とまさに“合わせ鏡”だ。
普段、この世界では、それぞれの国、それぞれの民族、それぞれの人が、てんでバラバラに己の「正義」を振りかざしている。
何かしらの問題や課題、共通の「敵」が存在したとき、初めて人々は同じ方向を向くことができる。
言い換えれば、何か「実害」が生じなければ、我々は結束することが出来ない。
なんとも歯がゆく、なんとも愚かしい。
ただそれが人間の正直な姿であり、「そうじゃない」と否定したところで何も始まらない。
その人間の、歯がゆく愚かな本質を根幹に据えたヒーロー像こそが、「アベンジャーズ」の正体なのだと思う。
彼らは人智を超越したスーパーヒーローではあるけれど、間違いも起こせば、失敗もする。そしてその都度、甚大な被害を生み、傷つき、苦悩する。
だけれども、彼らは常にそこから立ち上がり、己の間違いを正し、悪を叩き、ついに「復讐」を果たす。
だからこそ、僕たち人間は、彼らの活躍に熱狂するのだ。
満を持しての第三弾。“復讐者たち”は、あたかもそれが彼らの宿命であるかのように、打ちのめされ、紛うことなく過去最大の悲劇を叩きつけられる。
重く悲しい旋律がシアター内を包み込む。鑑賞を共にしたすべての観客が、絶望感と共に押し黙っているようだった。
誰も席を立つはずもなく、エンドロール後に示されるはずの「希望」を心待ちにしていた。
ようやく隻眼の司令官が登場し一寸安堵する。が、まさか、彼に「mother f*cker」すら言わせないとは。
“サノス”は「慈悲」だと言ったけれど、何たる無慈悲か。
でも、僕らは知っている。
チーム結成時の「6人」は、“二分の一の賭け”に勝ち残っているということを。
そして、「アベンジャーズ」と名付けられた彼らの本当の「avenge=復讐」が始まるということを。
最高だぜ。