6.《ネタバレ》 上手い歌唱はあくまで巧い歌唱。どうも映画として感動させてはくれない。
その「優れた歌唱力」というものを表現するのに劇中の(第三者たる)聴き手の感嘆とか盛況とかのリアクションで説明するのは常套手段だが、
これが過ぎると逆効果になる。ましてや、これはアニメーション。劇中の観客もすべて描き手が創り出したキャラクターであるから、
クライマックスで彼らがもて囃せば囃すほど、自画自賛のサクラに見えてしまうという転倒が起こる。
趣向の違う歌が順繰りに発表されるたびに、公平なテンションで熱狂し続ける観客も大変そうだ。
そして、島田裕巳的「通過儀礼」の観点からしても弱い。
特にゴリラの息子などは音楽と強盗を両立させようとしたが失敗したというだけで、和解ではあっても親離れの描写にはなっていない。
本来なら、それらのパーソナルな思いを込めたステージが展開されれば、観衆や歌の巧拙など関係なく感動させられるはずなのだが、
劇場の再建というドラマも両立させねばならないのだから難しいところだ。
後半でシアターを全壊させてしまう大胆さ。その後の失意のシーンに洗車のギャグで笑いを採り入れるセンスなどがいい。