1.《ネタバレ》 どうもこの映画が好きな人は攻撃的になるようで「ツッコミどころが〜しか言わない人は人生のツッコミどころ全部刺されてくたばってほしい」とかいうツイートがあったり、「ファンタジーにツッコむなんて野暮」ってわざわざクソリプ飛ばしてくる人がいたりしたので、あえてツッコミどころ中心に感想書かせて頂きます(笑)
見る前に連想された『カイロの紫のバラ』『カラー・オブ・ハート』『ローマの休日』のモロな頂きっぷりは、実のところわりと最初の方だけで、中盤はオリジナルな感じで進んでゆきます。そこがつまんないんですけど。むしろそれらの映画のリスペクトっぷりをもっとハッキリ出してくれた方がよっぽど楽しめたんじゃないかと。あまり共感できない苦悩やジレンマでグダグダしてますからね。
で、細部に対するこだわりが薄いのが気になったんですね(ここからツッコミどころ)。
まずモノクロの世界からやってきたお姫様ならば、その色の無さをもっと物語に活かしていいハズです。ところがすぐに化粧品で色を付け、以降は後半に濡れた手を拭いて下地の色が出るまで全く触れず。土砂降りの雨の中でも一切落ちないウォータープルーフっぷりは昭和35年のコスメとしてあり得るのか?っていう。雨は彼女の色を脅かす要素として当然機能すべき存在だと思うのですけど? 第一、眼球と口の中は一体どうやって色を付けたんでしょう?
それから、ヒロインは映画の中の人ですが、オリジナルの女優に対する言及がほぼ無いのが不思議。とうの昔に死んじゃった事で言及を避けてるんですけれど、昭和35年のかなり昔っていつ頃でしょ? あの映画が作られたのは昭和15年くらいだと思いますが(『エノケンの西遊記』を基準に考えて)、間隔が20年だとするとオリジナルの女優は主演後すぐに死んじゃってたとしても、かなり昔と言えるでしょうかねぇ?
主人公(そして看護師)、マトモに働いてない状態に見えるし、ヒロインは何故かシステムを理解してるし(自分が創作物である、生身の人間の温もりに触れると消える)、多くの登場人物が主人公を盛り立てるためだけに存在してる都合のいい存在だし(嫌な人間が一人もいない素晴らしい世界!と肯定的に捉えるべきですかねぇ)。
で、最終的には映画と心中するようなもので、それはヤだなぁ(笑) 映画は所詮光と影と音の幻影なので、素晴らしいモノだけど、そこだけでは生きられないモノだから、そこを大切にする以上の、その先はあって欲しい訳です。
あの映画館は自由が丘武蔵野推理劇場とか渋谷全線座とか二子劇場とかあちこち思い出したけれど、いちばん印象が近かったのはわりと最近まで存在していた三軒茶屋中央かな?
最後の最後での『タイタニック』ラストシーンっぷりは感動っていうより、ちょっと笑っちゃったわよ。