868.《ネタバレ》 車の後部座席で花束を抱えて仰向けになる少女。窓の外にアカンベー。
見知らぬ森の鳥居、大木、ほこら?薄暗い道。
両親の好奇心に振り回される娘。まるで童心に還った子供のように。遺跡を探索するようなピクニック気分。それを笑って“迎える”ように立つ像。謎の建物の黒い、異様に暗い穴に吸い込まれていく人々。
地面をガリガリ削るように走る車の躍動感。そっから竜が飛ぶわ化物が駆け回るわ、相変わらずそのスピードへのこだわりにビックリだ。そういうシーンの数々を見るだけでも、方向性とかテーマとかそんなものどうでも良くなりそう。
演技はそんなに悪くないと思う。これ以降のジブリ作品が特に酷いというだけ。
菅原文太の兄貴の演技、夏木マリの素晴らしい演技を聞くだけでもそんな事はどうでもよくなる。
無人の市街地の不気味な静寂。相変わらず食欲をそそられる食い物の数々。
サンプルのような山盛り料理と、二人が食べるぷりぷりした質感の違い。その違和感が、この映画そのものの違和感を物語る。度々聞こえる列車の音。
食いだしたら止まらない止められない恐怖、謎の少年の警告、かけられる“呪い”、人質を助けるために奪われる名前、個性。溶けて“ゼロ”になりかける肉体と心。
それを取り戻すために少女は“千尋”として様々な事件を乗り越えていく。
劇中の人々は、外見も中身もメチャクチャ変わっていく。取り戻す名前と自分、家族。
劇中の人々は、外見も中身もメチャクチャ変わっていく。あの「カオナシ」すら自分を見つめ直そうとするのだから。
そんな人々の中で、魔女はあまり変わらない。それは正反対の性格を持った“もう一人の自分”が既にいたからなのだろうか。必要悪、絶対悪としての存在。それが揺らいでしまう事への恐れ。夏木マリの演技力に恐れ言った。
そういう存在がいなかった「ハウルの動く城」をめぐる魔女は、おどろくほど様変わりしてしまう。
車を覆う草木だけが経った時間を語る。遠のいていく穴、何とも言えない寂しさ。