37.《ネタバレ》 やはり私も『最高の終わり方をした3の後日談を創る意味ってあるの?』って疑問もあったためか、4は劇場で観るつもりだったけどタイミング悪く観られず。1~3はそのうち円盤を買おうと思っていたけど、4は賛否両論あることを知り、どんなタイミングで観るか迷っていたところ、ネットニュースの『金ロー最悪。3の翌週4やるなんて』って記事にまんまと踊らされた。どんだけ酷いんだ?ようし、テレビで観てやるべ!って…観たんです。
今回のテーマは「子供は毎日のようにオモチャを失くす」そう、確かに。
“あげる”“壊す”“捨てる“売る”あと“あの場所で失くして、探したけど見つからなかった”そんな、最後どうなったか?を覚えているオモチャはともかく、もう一つ“どうしたか忘れた”があると思う。この4はその持ち主のもとで天寿を全うできなかった“忘れたオモチャ”のアンサーだ。
序盤の回想が、3から出なくなったボーとRCがメイン。漠然と“どっかの時点で捨てたんだな”って思っていたボーのその後が、ここでようやく解る。みんなのところへ戻そうとするウッディだけど、ボーの持ち主は妹のモリー。モリーがあげると決めたなら、ボーは貰われて行くしか無い。
ここで一瞬、ウッディも箱に入ろうとするトコ。最後に繋がる見逃しちゃ駄目なポイント。これがオモチャのウッディの自我、意志。だけどまだ自分がアンディに必要とされていることを自覚して残るウッディ。
ボニーのお気に入りになれなかったウッディ。まだ持ち主のモトにあるのに、既に忘れられつつある存在になっていて、このまま居てもきっと最後どうなったか、ボニーは覚えてないし、探しもしないだろう。
その後ボニーが大人になって、アンディと会った時「ウッディってカウボーイのオモチャ覚えてる?」とか言われて「あれ?う~ん・・・近所の子に全部あげたと思う」とかってなるかも。そんな未来が観える中、ボニーのことを思い続けるウッディが涙ぐましい。
そして最後、ボニーに必要とされないからではなく、9年前に思いとどまった事を実行したウッディ。迷うウッディの背中を押してやるバズの友情。
これでトイ・ストーリーを観た子供に「そういえばわたしの○○(オモチャの名前)、どこにいったの?」と聞かれた時「自分でどっかに捨てたんだろ」と冷たく言う以外の回答「○○もきっと、ウッディやボーのようにじぶんのかんがえで、たくましくいきているんだよ」って言える。このテーマを1~3の劇中に挟むのも難しかったろうし、単独の話として創って正解だったと思う。
トイ・ストーリーは1~3まで、公開年と劇中の時系列が一緒だったハズ。3が2010年の話で、この4も同じ2010年の話。だからカブーンの決め台詞がオバマ大統領のキャッチコピー。ちなみに9年前の回想シーンは実は2001年になる。
別に2019年のウッディたちの話でも良かったろうに、シリーズで例外的に時系列から外して創ったのは、やはり1~3が完璧と思う層(4を受け容れられない層)に配慮したように思える。そしてトイ・ストーリーは2010年で終わったシリーズを意味するんだと。4って付けてるけど、番外編でいいですよ。って。だから5は無いんじゃないかなぁ?
私は、4大丈夫だった。この出来なら劇場で観たかった。
ちなみにRCのその後、成れの果てが、スカンク・ラジコンなのかな?いやそんなウマい話無いだろう。たぶん壊れて捨てたんだろうけど。
ただフォーキーは…本作のスカンク・ラジコンみたく、オモチャなのに命のないものも居る中で、アレをオモチャとして良いのかどうか…これが例えば“お婆ちゃんが創った刺繍の人形”とかなら命も入りそうだけど。
アレだと、鉛筆さんや消しゴム君にも命があるってことになりそう。そういうので遊ぶ子供への配慮かもしれないけど、コッチの“どこまでがオモチャ?”の線引は、どうかなぁ?って思った。