3.オリジナル140分に対し、現存するのは巻頭・巻末部分を欠いた92分のフィルム。
ロングテイク主体でありショット数は250弱だが、その全てが素晴らしい。
出稼ぎにいく娘たちのシルエットが丘の稜線に小さく消えていくロングショットの美。
波打つ稲穂の揺れが拡がっていく緩やかな移動撮影。
斜面が活きた独特の農地の中を人物が走行するキアロスタミ的なジグザグ運動。
囃子のリズムに重なりながら、天秤棒を担いで水を運ぶ父娘を捉えるトラックバックの映画性。
風見章子が愛しげに掬い上げる精白米に注がれる光の眩さ。
そして、石臼や足踏み式脱穀機の生み出す土着的なリズム。
山本嘉一が座る囲炉裏端を捉えた屋内真上からの構図だけで醸し出されるただならない雰囲気。果たして傍の藁に引火し、一気に火の手が上がり家屋が炎に包まれる中を老人と子供が必死に這い逃れる姿を追う迫真のショットの苛烈な様。
各ショットの映画的充実ぶりは挙げ出せば限がないが、それは殊更な風俗描写や技巧の披歴ではなく、あくまで俳優と風土の素朴な佇まいと素朴な語り口の融合によってもたらされているものであり、生活風景の中のさりげない台詞ひとつひとつが人物描写として映画に厚みを出している。
フィルムの欠損と原作通りの徹底した茨城言葉の録音は、却って物語よりも言葉の意味よりも、映像と音の響きそれ自体の充実をより際立たせてくれており、作品の素晴らしさを損なうものではない。