101.《ネタバレ》 <全体>
原作が大好きなファンには向かない、映画単発として見る方にはオススメのアニメ映画作品です。
数年ぶりに見返しましたが、やはり全体の印象は変わらない。映画単発としての面白さなら9点、しかし「うる星やつら」として見るなら1~3点です。
0点でないのは、一応キャラクターの設定が随所に織り込まれ、原作全編を読んでらっしゃるんだな、と思えるから。
単発で見ただけだとわからない細かいキャラクターの特徴や設定、「チェリーのどアップはキツい」「暗所恐怖症かつ閉所恐怖症の面堂だが、女性の前だと平気」「今までにあたるが浮ついた女キャラが登場(名前だけ登場もあり)」など、原作ファンには嬉しい細かい箇所が随所に盛り込まれています。
<本作単体>
映画単発として見た時、「(特に)怖さの演出」「映像美」「構成」「設定」「BGM」などは極めて素晴らしく、この時代のアニメ映画作品として傑作と言わざるを得ません。
いわゆる名シーンのオンパレードで、「温泉とさくらさんの喫茶店での対話シーン」「しのぶと風鈴の迷宮のシーン」「友引町から飛び立つシーン」「夜の学校探索シーン」「メガネの独白」等々、どんだけあるんだよっていう名シーンの山です。映像と演出、カメラワークが神がかっています。
<「うる星」作品として>
しかし、「うる星やつら」として見た時は、全く見え方が異なります。この作品は、「うる星やつらを読んだ男が作った作品」なんです。ラムちゃんではなくあたるに焦点を当てた、言い換えれば「男目線で作られた作品」「女の気持ちがわからない男の作品」です。なお、原作者は女性です。
原作のラムちゃんとあたるの関係は、ラムちゃんは外面は愛情表現全開だが、心の中ではいつもあたるのラムへの気持ちについて不安がっている。あたるは外面は男の本能の塊で浮気症だが、心の中で一番大切なのはラム。という描かれ方です。
にもかかわらず、本作ではあたるが再三「ラムに惚れとる」的な発言をし、ラストシーンでキスしようとさえする。
違うんです。
原作のラストシーンは「(好きだと)一生かけても言わせて見せるっちゃ」「今際の際に言ってやる!」です。
これが「うる星やつら」の全てなんです。
今際の際に言ってやる=死ぬ間際に言ってやる=死ぬまで愛してる、という意味なわけですが、それでもなお「好きだ」とは直接的に言わないわけです。この「女の子と男の子の違い」がキモなんです。
あたるのことが大好きで、心で繋がっていると思ってはいるが不安があり、たった一言、好きだという一言で心の不安を取り除きたいラムちゃんという女の子と、ラムちゃんのことが大好きで、言葉になんかしなくてもわかってるだろ、恥ずかしいという態度を取ってしまう不器用な男の子であるあたるとの対比なんです。
女と男の考え方や態度の違いを描き、理屈ではなく感情面に焦点を当てた、実に女性らしい女性目線における作品なんです。
原作の高橋留美子先生の凄いところは、「男のことよくわかってんな~」というところなんです。
故に、作中の「ラムにも惚れとる」「キスシーン」等の「直接的に」あたるがラムを好きだと認識させてしまう表現は、「うる星やつら」という作品においては絶対にやってはいけないタブーなんですね。
だって、原作全編においてそれらを言わない、それらをしない、女の子と男の子との違い、ってのがテーマになってるんですから。
ただしアニメ映画としては非常に面白い、是非多くの人に見てほしい作品です。
このレビューにおいては、そちらの観点を重視して9点とさせていただきます。