1.とても“ふざけた映画”だった。
でも、あの“姉弟監督”に、こうも“本気”でふざけられては、最終的に親指をグッと立てるしかなかった。
大バジェットのSF映画でありながら、偏屈な芸術家が気まぐれで生み出した作品を観ているような感覚。この“ふざけた”感じは、まるでテリー・ギリアムの映画のようだと思っていたら、ウォシャウスキー姉弟監督の思惑はまさにその通りで、リスペクトを込めてなんとギリアム監督本人が出演していた。
“IMAX3D版”を観るかどうか、ぎりぎりまで迷った。何とも得体のしれない映画自体の印象と、伝わってこない前評判に尻込みしてしまい、結局通常版を観てしまった。結果、とても後悔している。
序盤は、ベッタベタでありきたりな展開に対して全く乗りきれなかった。
冒頭の大迫力の攻防シーンも、これでもかという仰々しさがクドすぎる程に展開され、無駄にハイクオリティーな映像世界に対して思わず苦笑してしまった。
ただ、その“仰々しさ”や“クドさ”が、段々と癖になってくる。
本来なら排他すべきマイナス要素も含めて、姉弟監督がこの映画で狙った“娯楽性”だということが徐々に見えてくる。
まさにお決まりの大団円を迎える頃には、嫌悪感や不快感など微塵もなく、むしろ鑑賞後にはふつふつと“愛着”が沸き上がってきていた。
キャスティングもハマっている。
チャニング・テイタムとミラ・クニスという主演カップルの組み合わせは絶妙だ。
どちらも“セクシー”さの印象が強いスター俳優だけに、観客は、この映画がどこまで「本気」の映画なのか、最後まで難しい見極めを強いられる。
これも監督の狙い通りだろうと思うし、実は演者としてとても“賢い”両俳優も、その狙いをちゃんと理解した上で、ヒーロー像、ヒロイン像を演じている。
キャストにおいては、やはりエディ・レッドメインの名前を挙げないわけにはいかない。
今年アカデミー主演男優賞を獲得したばかりのこの若い俳優の実力は本物だ。
当然、この映画の撮影時はアカデミー賞受賞のずっと前だろうが、彼ならではの悪役像はとても新鮮で、既に名優としての存在感を放ち始めている。
おそらくウォシャウスキー姉弟は、“序章”として今作を製作しているハズ。
本国ではコケてしまったようだが、それにめげずに続編を作っていってほしいと思う。
今度はちゃんと“IMAX3D版”で観るからさ。