★1.《ネタバレ》 元々自分は同性愛に対して偏見はない方であると自覚している。 なのでただきれいな男性が出てくる所謂BLものは好きではなかった。そこにリアルさがないから。では、リアルとはなんだろう。この映画を観た時に、同性愛に偏見はない方である自分が思ったことはそれであった。主人公を演じる鈴木亮平さんのファンであることは間違いなく、最早彼の演技に対しては盲信的でさえある自分だが、それを割り引いても素晴らしい作品であった。亮平さんはこの作品を作っている間、きっと宮沢氷魚を愛していたに違いない。そう思えるほどふたりの距離は近かった。もちろん心の距離である。この役のオファーが来た時に亮平さんはLGBTQについて勉強をしたと言っていた。ゲイの方と話したり、書籍を読んだり。「わかった気になってはいけない」と思ったそうだ。この映画を観て、偏見がないはずの自分はわかった気になっていたと言うことに気づかされた。ヘテロである自分は幾度となくそれを自然に公言してきた。みんなそうであるはずと思って疑わなかった。「〇〇さんて素敵だよね」「あの二人はいいカップルだね」「好きな人いないの?」これらの言葉が、LGBTQの方たちにとってどれほど面倒で、辛く、うっとうしい言葉の投げかけであるか。自身のセクシャリティを隠し生活をしている人たちがどれほどいるのかを考えたことはなかった。自分が基準であった。 映画は、社会生活の中で自身のセクシャリティを隠しながらある程度成功している浩輔と、病弱な母を支えるために男娼として暮らす龍太の出会いから始まる。一度は別れたが、浩輔は生活費を龍太に渡すことでその愛をつなぎ留める。この時の龍太は、お金のためではなく本心で浩輔を愛していた。しかし、龍太の死によって浩輔は愛した人を失う。浩輔はその後、残された恋人の母親に尽くすことを選ぶ。だが、やがてその母親も失うことになる。14の時に亡くした母親を思ってのことなのか、愛した人の母親だからそうしたのかはわからない。龍太の母親が食事の支度をする小さな背中を見つめる浩輔の姿が印象的で、また美しい場面だと思った。 初めて龍太と関係を持った時、飾ってあった自分の母親の写真を伏せていたのも、ゲイであることの負い目を感じさせた。同性愛は罪ではない。しかし世間一般の偏見が、彼らをさらにマイノリティにしているのではないか。 龍太の葬儀で、浩輔は静かに泣く。嗚咽を漏らす。このシーンがとても悲しい。瀟洒な部屋に住み、ハイブランドに身を固め鎧をつけて生きる浩輔の4、失ったものに対する悲しみが溢れているようであった。人は孤独なのだと正面から突き付けられるような作品である。ゲイの方によってはやはり作り物、嘘くさいという意見もあるようだが、亮平さんと氷魚君の演技はとても自然で、二人の会話をそばで聞いているような感覚になる、静かな作品。 龍太の母の医療費などは、社会保険制度でもう少しどうにかなるのではないかとか、高校中退であってももう少し収入になる夜間コールセンターのバイトがあるのではとか、前戯の際に龍太が勃〇していないのはおかしいなとか、そんなところが不自然で-1です。長文失礼しました。 【mila】さん [インターネット(邦画)] 9点(2025-04-03 23:49:51) ★《新規》★ |