ミリオンダラー・ベイビーのシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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ミリオンダラー・ベイビー

[ミリオンダラーベイビー]
Million Dollar Baby
2004年上映時間:133分
平均点:6.91 / 10(Review 324人) (点数分布表示)
公開開始日(2005-05-28)
公開終了日(2005-10-28)
ドラマスポーツものスポコンもの
新規登録(2005-01-14)【rothschild】さん
タイトル情報更新(2024-04-09)【イニシャルK】さん
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監督クリント・イーストウッド
助監督ロバート・ロレンツ
演出バディ・ヴァン・ホーン(スタント・コーディネーター)
キャストクリント・イーストウッド(男優)フランキー・ダン
ヒラリー・スワンク(女優)マギー・フィッツジェラルド
モーガン・フリーマン(男優)エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス
ジェイ・バルチェル(男優)デンジャー
ブライアン・F・オバーン(男優)ホーヴァク神父
アンソニー・マッキー(男優)ショーレル・ベリー
マイケル・ペーニャ(男優)オマー
ベニート・マルティネス(男優)ビリーのマネージャー
ジュード・チコレッラ(男優)ホーガン(ノンクレジット)
樋浦勉フランキー・ダン(日本語吹き替え版【ソフト】)
本田貴子マギー・フィッツジェラルド(日本語吹き替え版【ソフト】)
坂口芳貞エディ・“スクラップ・アイアン”・デュプリス(日本語吹き替え版【ソフト/テレビ東京】)
真殿光昭デンジャー(日本語吹き替え版【ソフト】)
三宅健太ビッグ・ウィリー(日本語吹き替え版【ソフト】)
根本泰彦ホーヴァク神父(日本語吹き替え版【ソフト】)
加瀬康之ショーレル・ベリー(日本語吹き替え版【ソフト】)
小宮和枝アーリーン・フィッツジェラルド(日本語吹き替え版【ソフト】)
園崎未恵マーデル・フィッツジェラルド(日本語吹き替え版【ソフト】)
瑳川哲朗フランキー・ダン(日本語吹き替え版【テレビ東京】)
朴璐美マギー・フィッツジェラルド(日本語吹き替え版【テレビ東京】)
楠大典ビッグ・ウィリー(日本語吹き替え版【テレビ東京】)
宮本充ホーヴァク神父(日本語吹き替え版【テレビ東京】)
桐本琢也ショーレル・ベリー(日本語吹き替え版【テレビ東京】)
脚本ポール・ハギス
音楽クリント・イーストウッド
カイル・イーストウッド(追加音楽)
作曲クリント・イーストウッド“Blue Morgan”
編曲レニー・ニーハウス
挿入曲カイル・イーストウッド"Boxing Baby" and "Blue Diner"
撮影トム・スターン〔撮影・照明〕
スティーヴン・S・カンパネリ
製作クリント・イーストウッド
ポール・ハギス
トム・ローゼンバーグ
アルバート・S・ラディ
ワーナー・ブラザース
製作総指揮ゲイリー・ルチェッシ
ロバート・ロレンツ
配給松竹
ムービーアイ・エンタテインメント
美術ヘンリー・バムステッド(プロダクション・デザイン)
リチャード・C・ゴダード
衣装デボラ・ホッパー
編集ジョエル・コックス〔編集〕
ゲイリー・ローチ(編集補)
録音クリストファー・ボーイズ
その他レニー・ニーハウス(指揮)
アンジェリカ・ヒューストン(スペシャル・サンクス)
あらすじ
ボクシング・ジムを経営する一人暮らしの老人フランキー(イーストウッド)にとってボクサーたちは家族同然。その彼のもとに、貧困家庭出身で三十過ぎまで我流でボクシングを学んだ女性マギーが現われる。「女にボクシングはさせない。」とマギーをつっぱねたフランキーも次第にその熱意にほだされ、苛烈さでは男同士の戦いに勝るとも劣らない女子プロ・ボクシングの世界にいつしかのめり込んでいた。汗と血にまみれることも現代のシンデレラが夢を果たす手段なのか・・・。脇役陣の存在感とカメラワークも光るアカデミー賞受賞作品。
ネタバレは禁止していませんので
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324.マギーは最後の最後まで涙を流さなかった。フランキーにトレーナーになってもらえた時、本当は嬉しくて泣きたかっただろう。始めてフランキーと一緒に勝ち取った勝利の瞬間、この時も本当は泣きたかっただろう。鼻の骨が折れて無理矢理止血された時も本当は泣きたいほど痛かっただろう。そして愛する母への贈った家を母に喜んでもらえず、逆に馬鹿にされた時、本当は悔しくて、辛くて悲しくて声に出して泣きたかっただろう。それでもマギーは一滴の涙も流さなかった。どんなに嬉しい時もどんなに痛い時も、そしてどんなに辛くて悲しい時も決してマギーは涙を流す事はなかった。しかしフランキーと「絶対に泣かない」と約束したとは言え、彼女はやっぱり女性なのだ。タフで心と身体が強くてどんなに逞しくてもやっぱり彼女は美しい女性なのだ。それでもそんなマギーが泣かなかったのは、彼女の傍らにはいつもフランキーがいたから。励まし、共に喜び共に苦しみ、笑い、そして抱き締め合った二人は、いつしか硬い信頼と深い愛情で結ばれていた。マギーは試合を重ね勝つに連れて輝きを増して行った。しかし、彼女が本当に輝いて行った理由は、フランキーと過ごす時間が長くなり、彼に信頼され深く愛される事によってマギーは眩しいくらい輝いていったのだ。家族の愛を受けずに育ったマギーが、人生の最後にフランキーから受けた深い愛情は彼女の人生に“幸せ”という言葉を残した。それは彼女が最後に流した一粒の涙が物語っている。そしてフランキーは今も、マギーとの思い出の店でレモンパイを食べながらマギーの為に本を読んでいる事だろう。
ボビーさん [映画館(字幕)] 10点(2005-05-30 00:51:45)(良:10票)
323.《ネタバレ》 母親に家を贈ったものの、「こんなものより金をよこせ!」と毒づかれたヒラリー・スワンク演じるヒロイン。傷心の彼女は故郷からの帰り、イーストウッドの老トレーナーに「あたしには、もうあなただけ」と言う。ふたりは、老トレーナーが大好物のレモンパイが美味しい店に立ち寄る。そしてひとくちほおばった彼は、「もう死んでもいい…」とつぶやくのだ。

それは、もちろんレモンパイの美味しさに対してのつぶやきではあるだろう。けれどぼくたちは確信する。それが、「あたしには、もうあなただけ」というヒロインのひと言に呼応するものであったことを…。

イーストウッドはこれを、「父と娘のラブストーリーだ」と言う。つまり、それぞれ相手の中に「父親」と「娘」を見出していく主人公たちの“精神的な絆”と、その精神的な「愛」を描いたものだ、ということか。けれど映画を見終わってぼく(たち)は思うのだ。いや、違う。これは、「父親」のような男と「娘」のような女の「ラブストーリー」以外の何物でもない、と。「女がボクシングなんて!」とまったく相手にされなかった彼女が、それでもこの老トレーナーだけを頼りにした時から、すでにふたりは愛しあっていた。だから彼女は、まるで生を燃焼し尽くすように戦い続けたのだ。自分のためじゃなく、老トレーナーのために。彼のため、一刻もはやく「年老いる」ために! 

…年老いることを、「死を目前にした肉体と精神」あるいは「死へとなだれ込んでいく状態」と定義するなら、全身マヒで寝たきりになった彼女は、もはや老トレーナー以上に「年老いた」存在に他ならない。そして彼女は、ある意味こうなることを望んでいたのではないか。何故ならこのふたりは、そういうかたちでしか「愛」を成就できなかったからだ(「父」と「娘」ではなく、ひとりの「男」と「女」になるための試練…)。確かにそれは悲劇的で残酷な結末かもしれない、けれどその時、誰がこのふたりを「不幸」だなどと言えるだろう。

ゆえに、最後に老トレーナーがとった行為は、決して社会的倫理的に“許されざるもの”ではあり得ない。あれは、まさしくひとつの、絶対的な「愛の行為」であり、ふたりが“ひとつ”になった瞬間なのだ。

そう、これは74歳のイーストウッドだからこそ撮れ、演じ得た、唯一無二のラブストーリーである。ただただ、素晴らしい。
やましんの巻さん [映画館(字幕)] 10点(2005-05-31 14:06:03)(良:8票)
322.《ネタバレ》 いったい何について語りたい映画なんだ? 正々堂々とした潔い戦いの結果なら良しだが、あんな卑怯な行為のために人生をダメにされるなんて。体が無事だったとしても、あんなヤ~な感じの人間と対戦すること自体、スポーツの清々しさがないし胸くそ悪過ぎ! 主人公が死を選んでもいいけど、そういう状況を作り出したヤンキーバカ女が制裁を受ける描写(もしくは自責の描写)がないのが、とっても気分悪いです(一回しか見てないけど、そんな場面あった記憶がない)。悪者の「やったもん勝ち」な物語を見せて、主人公が悪者の不正の犠牲によってひっそりと自ら死を選ぶ・・・??? その前に人生を奪った不正に抗議すべきだろう。対戦者が善い人で、事故は不正によってではなく正当なパンチによって生じたなら、どうだろう? 自責の念に苦しみながら、しょっちゅう見舞いにも来てくれる対戦者だったら、どうだろう? 主人公の選択はその場合でも「価値ある物語」と評価されるべき? 現実の世の中には、事故で首から下が全く動かなくなった体操の先生が、口で絵筆を操って素晴らしい花の絵と健気な言葉を綴ってもいるのに、それに比べてこの映画の主人公は自死を選択する理由が軽すぎる。尊厳死を扱うにはドラマが軽薄の極み。いくらウソ話でも障害者をこんなふうに死なせて悦に浸るストーリーテラーはサイテーだ。これに賞をやるアカデミーもサイテー!! 出来るならマイナス点をつけたい。 【追記】ただボクシングが強いだけのボクサーなんてどうでもいい。倒されても立ち上がって、決して自分から折れたりしない精神こそがボクサーのかっこよさだと思う。体が不自由になり、このまま存在を忘れられていくのがイヤとか言って自分から人生リタイアするなんて、ボクシングで何を培ったんだ? バカ女!(というかバカ原作者!!)
だみおさん [映画館(字幕)] 0点(2010-01-06 06:03:04)(良:3票)(笑:2票)
321.《ネタバレ》 クリント・イーストウッドは、昔から人の生死を軽くみているところがあり、それがこの映画にも、見事に反映されていました。 マギーは死んだほうが良かったのでしょうか? そんなわけがありません。 「生きる」ということは、誰にとっても、苦しくて大変なことなのです。 それなのに、自分らしく生きられないからという理由だけで、マギーに死を与えたのは、イーストウッドの、生死軽視の誤った思想が反映されているからです。 「愛する者を殺す」という行為を、正当化しようとした偽善ぶりに、怒りを通り越して呆れるばかりでした。 この人は今まで低俗な映画の中で、あまりにも多くの人間を殺しすぎて、生命に関する感覚が麻痺していると感じました。 許されざる者には死を!愛する者にも死を! もう笑うしかありません。これからもたくさん人を殺し続けてください。 イーストウッドの一連の作品を観ていると、まるでアルベール・カミュきどりです。 いくら世の中が不条理であるとはいえ、それをそのまま映画にしないでほしい。 なぜ夢を与えようとしない?老人のあなたには、もう夢の欠片も残っていないくらいに萎れてしまったのか? それとも社会派映画監督として、こういう低俗な映画をつくって、自己満足に陶酔しているのでしょうか? すでに人間として老人になり、枯れ果ててしまったイーストウッド。彼は、したり顔で、「それが現実なんだよ、君たち」というメッセージをヌケヌケと送っている。 映画とは、観ているものに、勇気を与えてくれるものであってほしい。 映画界にも定年を設けるべきです。老害とは、まさにイーストウッドのためにある言葉ではないでしょうか。老人が映画を作るな、とは言いませんが、『元気が無くなる映画』など私は観たくないのです。
花守湖さん [DVD(字幕)] 0点(2005-11-27 21:36:37)(良:4票)(笑:1票)
320.《ネタバレ》 「許されざる者」「ミスティック・リバー」と比較すると、かなりわかりやすい作品となっています。マギーの家族や対戦相手ははっきり悪人として描かれており、善悪の区別を意図的に避けてきた前述の作品達とは傾向がガラっと変わっています。またマギーが全身麻痺となる原因についても、原作では試合中のアクシンデントだったものを映画では対戦相手の明らかな反則行為に変更していることからも、よりわかりやすい形で観客の感情を刺激しようとする意図が感じられます。そう、これは観客の感情に訴える純粋なドラマ作品であり、イーストウッド流の哲学や死生観を語ってきたそれまでの作品とは別物と考えるべきでしょう。あの結末もイーストウッドの個人的な思想が反映されたものではなく、フランキーとマギーの物語の終着点があの形だったと考えるのが妥当です。。。二人の関係は、師弟であり、親子であり、友人であり、そして恋人であるという、人間が持ちうるすべての関係性が凝縮されたものでした。その相手が真剣に死を望み、ほとんど動けない体で可能な限り自分を傷つけはじめ、生きることが最大の苦痛となっている状態で、それでも枕元で「生きることが大事だ」なんて言い続けられるのか?ボクシングに生き、家族に恵まれなかったフランキーにとってマギーはただの恋人ではなく、長い人生の果てに残ったすべてと言っても過言ではありません。世界でもっともマギーの生を望んでいるのはフランキーなのです。しかしそのマギーは真剣に死を望み、一方で自身の意思を実行する手段をすべて奪われてしまった。医学も宗教も「生きることが大事だ」と定番のお題目を唱えるだけで力を貸してくれない。マギーの訴えに耳を傾け、それを実行してやれるのは世界で自分だけとなったフランキーの苦悩は、想像するだけで恐ろしくなります。泣きの演技をほとんど見せないイーストウッドが、ここではついに涙を見せ、迷いを口にします。ひたすらに強い男だったイーストウッドですら抱えきれないほどの絶望。尊厳死が社会一般で認められるべきかどうかは分かりませんが、少なくともマギーとフランキーの間においては、死以外の選択肢はなかったと思います。マギーに対するフランキーの思いは、医者と一緒になって「とりあえず生きろ」と言っていられる程度の軽いものではなかったのですから。
ザ・チャンバラさん [DVD(吹替)] 8点(2009-12-23 18:21:00)(良:4票)
319.《ネタバレ》 間違えないでほしい。この映画で描かれるものは、人間の愛などではない。
美談でもなんでもなく、描きつけられるのは、ひたすらに人間の闇でしかないと思う。

陰影が印象的な映像世界が物語るままに、人間は暗い影の中で、たった一瞬の輝きを求めて生きるしかないのか?

否、そんなことはない。たとえ光が過ぎ去っても、再び光が照らすことはあるはずである。
逆に言えば、どんなに素晴らしい輝きを手に入れたとしても、それで満足して残りの人生を手放すようなことをしては、その輝きの価値すら無くなる。

主人公のボクサーの残りの人生は、光とは程遠い辛く苦しいものかもしれない。
でも、たとえそうだとしても、生きつづけること自体が、燦然たる輝きとなるのではないのか。

この映画で描かれることこそ“リアル”だという考えは、決して間違ってはいない。
だが、これが映画だからこそ僕はあえて言いたい。
「まったくもって、耐え難い結末だ」と。

「人生を諦めること」を美化したこの映画は、あまりに異質で罪深い。
だが、大前提として映画の表現は自由である以上、近年一貫したテーマをもって技術的に質の高い作品を連発しているイーストウッドの監督力が、確固たるものであることは間違いない。

ただしかし、この作品をその年の“最高映画”と堂々と位置づけたアメリカという国は、愛を、その行き着く先を、見失っているのではないだろうか。
鉄腕麗人さん [DVD(字幕)] 1点(2005-11-29 03:58:41)(良:4票)
318.■「モ・クシュラ」という謎の言葉、レモンパイを出す店、スクラップ、それらの配置はいかにもハリウッドの文脈にのっていて、そこからはずれることはない。この映画のラストを、ハリウッド映画一流のさげ、と評してもおかしい話ではないし、「ウェルメイド」な物語が現実と程良く折り合っている、と批判したって構わないとさえ思える。演出は完璧だし、フォード的、ホークス的な疑似家族は私たちを心地よく映画の世界に引き込んでくれる。■しかし、そう言いきれない居心地の悪さ。妙なズレ。■それは例えばマギーの口にねじ込まれるボールペンであり、片足の無いシーツのふくらみであり、がらんとした部屋で詰られるマギーの姿である。それは「残酷な現実をクールに描く」というものでもない。また「多様な現実を並列に配置している」わけでもない。■「現実」ではなく「映画」が要請しているから描いただけ、イーストウッドにとって「現実」とは「映画」なのだ、と思う。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。現実ではなく「映画の倫理」の中でしか、イーストウッドは生きていない。■だから、「マギーの選択の是非」「イーストウッドの決断の是非」を問う言葉、あるいは、「感動した」「マギーの家族がステレオタイプ」「後味が悪い」などの評に、賛否を問わずことごとく違和感を感じるのは、それらの言葉が常に現実を参照しているからだ。現実との距離を計測し、自分と映画の立つ位置を定める言葉。それらはこの異様なる傑作を前にして、すべて無効となる。■しかし、それらの言葉は当然と言えば当然ではある。映画は常に現実の模倣であり、あるいは現実との不断の闘争の場である。ところがイーストウッドはそれをすんなり乗り越える。軽いフットワークで現実を凌駕する。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。しかもハリウッドの文脈の中で。凄すぎ。■でもね、クリント、そんなのよくわかんないすよ。だから私はただ途方にくれ、ただ泣くしかない。その完璧なスタイルの中で繰り広げられる異様な事態を見続け、これが「映画」だと、ああ私は今まさに「映画」を観ている、凄い何か、異様な何かが目の前で進行している、と思う以外にない。
まぶぜたろうさん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-06 11:37:16)(良:4票)
317.《ネタバレ》 厳選された台詞と場面。余計なものも足りないものもない、映画として完全です。

「骨にまで達する傷の、出血を止めることはできない」

◆ヒラリー・スワンクについて
マギーという役は、役者にとってかなり面白い役なのではないでしょうか。
もっとひねりを効かせて前に出ることも出来たでしょうに、スワンクは最もシンプルな形でマギーを演じているように思います。
それがマギーのファンタジー性を高めている。
なぜボクシングを始めることになったのか?フランキーがマネージメントするまではどうやって前座試合を取ってきたのか?ボクサー人生の背景がまったく語られないマギー。しかも遅咲きの彼女の圧倒的な強さは、才能とか努力だとかだけでは説明がつかないほどのものです。
画面に一度も登場しないフランキーの娘、ケイティはおそらくマギーと同年代。
マギーは償いを求めるフランキーの前に現れた天使のようにも見えます。
◆モーガン・フリーマンについて
元カットマンのフランキーと元ボクサーのスクラップ。現在では立場が逆になり、スクラップがフランキーの女房役となっています。マギーに対しても、父親役がフランキーなら、ジムを守り、見てないようでちゃんと見てる母親役がスクラップ。
フランキーの理解者、代弁者として、近作で一番の熱演だと思います。
「俺はトレーナーじゃないが・・・」
往年の名ボクサーでありながら、なぜかトレーナーではなく雑用係としてジムにいるスクラップ。
彼にとってトレーナーとして後続を育てることは、リングを降りることを意味するのかもしれない。
片目を失い、老境に達しつつも、彼はあくまでもボクサー。

◆クリント・イーストウッドについて
監督イーストウッドが作品をがっちり捕らえているのに対して、役者イーストウッドはまずフリーマン、スワンクありきで、流れのままにフランキーを演じているような気がする。
今までのイーストウッドにはあり得ないくらいエモーショナルな演技。

「どうしたらいいのかわからない」
フランキーは常に、どうしたらいいのかわからない。
教会へ足は運んでも、真剣に祈りをささげることはできない。
実の娘ケイティに宛てた手紙が戻ってきてしまうなら、他のアプローチもあったはず。でもしない。
努力しているふりで、実は全てを先送りにしていたフランキー。マギーに出会うまでは。
kikaさん [映画館(字幕)] 10点(2009-10-11 18:01:42)(良:3票)
316.《ネタバレ》 妻投稿。友達の赤ちゃん一緒に育てている私は「ミリオンダラー・ベイビー」というタイトルを「アメリカンドリームをつかむ女性」ではなく「存在そのものをお金で換算される赤ちゃん」というように額面通りに受け取ってしまいました。そして映画の内容は全くその通りでした。私は安楽死を100%否定しないけど、最後にマギーが安楽死する姿は引き取り手もなく使い物にならなくなった競走馬が処分される姿みたいでかわいそうでした。それを見守るフランキーの姿も「大好きなお馬さんと別れなくてはならない獣医」という「感動」物語にしか見えませんでした。これ本当に人間を対象にした映画なんですか?
はち-ご=さん [DVD(吹替)] 3点(2008-11-23 05:33:33)(良:3票)
315.《ネタバレ》 身体に障害を負って辛いのは当たり前。周囲の人間が心配したり世話を焼いたりするのも当たり前。そんな日常は、近所の病院に行けばいくらでも転がっています。わざわざ映画で見せられなくても…。これにかぎらず、イーストウッドの作品でいつも感じるのは、徹底した“featuring俺”の姿勢。監督&主演なんだから仕方ないが、そのいかにも米人風の安っぽさに、辟易したり失笑したり。
眉山さん [地上波(吹替)] 3点(2006-12-16 08:18:50)(良:3票)
314.《ネタバレ》 最近「海を飛ぶ夢」という映画を見ていたので、「尊厳死」について多少は考えていたのと、その作品のレビューでこの映画の展開について書いていた人がいたので、あまり驚きも感じられませんでした。主人公は舌を噛んで自殺しようとしますよね。その点では「海を飛ぶ夢」よりはマシです。ただし、基本的には私は映画には夢や希望を求めますのでこういう救いのない作品の評価は下がります。実は私は最後までひょっとしてイーストウッドは彼女を励まし続け、なんとか助けるじゃないの?と思ってました。用意していた注射も魔法の液体で生きる意志が生まれるんじゃないの!?で、イーストウッドが本当に実行したんなら、その後モーガンが速攻病室に駆け込み彼女を助けて、「長生きも悪く無いよ」とかね(ノンキかなあ)。最後の行為を「タオルを投げた」とかいう見方があるようですが、逆だと思います。タオルはボクサーの意思(死の覚悟)に反して、命を救うために(ボクサーの尊厳を無視して)投げるのでは?イーストウッドは何度もタオルを投げようとしますが、結局、彼女の尊厳を重んじて、苦渋の決断で最後までタオルを投げなかったんじゃないのかと思います。モーガンに無理をさせて失明させてしまった事をずっと後悔し、以後選手達に無理の無い試合の組み方をしてきたイーストウッドですが、己の尊厳の為に生死を賭けて戦うボクサー達との付き合いの長さが、「尊厳死」(タオルを投げない)を認める思考回路を生んだんだと思いますが、障害者になっても懸命に生きている人はたくさんいるわけで(パラリンピックなんか見てると自分が恥ずかしくなります)、「拍手喝采を浴びてないと生きている気がしない」というのは、一度栄光を味わった人間の脆さであり、イーストウッド行為は単ににそれに同調しているだけのような気もします。 そもそも人間は脆いものだとは思いますが、だからこそせめて映画ではそれを克服する姿を見たいものです。
東京50km圏道路地図さん [映画館(字幕)] 5点(2005-06-18 23:40:38)(良:3票)
313.《ネタバレ》 あちこちですすり泣きの声がする館内で、私は泣けませんでした。「初恋のきた道」では5回も泣いた私(笑)が、いったいどうして?と、見終わってから考えたのですが、一つには、よく計算された脚本&演技&演出の「計算」が(私には)透けて見えてしまったこと。いま一つは、ラストにいたる筋書きが想像を超えたものではなかったこと。そして決定的だったのは、私にはこの幕切れは受け入れられなかったこと、でした。

  むしろ、ラストは「こういう結末にだけはしてくれるな」という想いを抱いたもの。たしかに、人間が生きることの意味を問うたとき、フランキーのとった行動は一つの選択肢ではあるでしょう。しかし、私にはあの道は「進んではならない道」に思えるのです。それは、現実に同じような境遇にあっても、なお懸命に生き抜こうとする人が少なからずおられるから。

  たとえば、ほぼ全身不随でありながら、わずかに動く口だけで見事な水彩画を描く星野富弘氏は、その生きざまで逆に健常者に勇気を与えてさえおられます。彼とて一度は絶望の淵に突き落とされています。でも、そこから「再生」を選んでいます。その道は決して平坦ではないはずで、大変な勇気と努力を要したと思います。行きつ戻りつ、悩んだり悟ったり、また苦悩したり……そんな繰り返しを経て、ようやく今日にいたっていらっしゃるのです。私は、その過程こそが素晴らしいと思う。

  また、前半のマギーのド根性ぶりを見せつけられたあとでは、本作におけるマギーの死への願いは不自然に感じるのです。マギーなら、車椅子の生活でもマギーらしい生き方をするはずだと思えてなりません。犬のアクセルにしても、決して自分から死んだのではない。殺されています。アクセルは、そのことに逆に無念の想いを抱いていたんじゃないでしょうか。

  はっきりいって、「お涙頂戴」のためにあの結末を用意したことで、本作の意義と値打ちは制作者自らがブチ壊したと思っています。映画って、こんな結末を描くためにあるの? という疑問が残ります。人が生きることの強さや可能性を信じきらなかった本作は、だから、私には9点や10点はつけられない作品となりました。ということで、6点也です。あ~、また「ショーシャンク」みたいにマイノリティ……。
delft-Qさん [映画館(字幕)] 6点(2005-06-18 01:53:28)(良:3票)
312.「ミリオンダラー・ベイビー」はそのタイトルからくるイメージとは程遠い、実に重みのある作品だった。もちろん途中までは、確かにアメリカン・ドリームを実現しようと奮闘する、いわゆるウエルメイドな痛快篇であることには違いないが、人生、好事魔多しで、奈落の底へ叩き落とされた途端、ドラマは後半急速に深刻さを帯びてくる。実の娘あるいは家族への想いが届かないもどかしさに、人生のほろ苦さを味わうフランキーとマギーは実の父娘以上の、まさに運命共同体である。そんな戦友とも言える二人が見た束の間の夢は、残酷な形で跳ね返ってくる。それはたまらなく悲惨で、ひたすら重苦しく、ほんの僅かな望みさえ奪われてしまう二人の無念さが、胸に迫ってくる。本作で表現される光と闇は他で類を見ないほど巧みであり、暗い情念の世界がスポットライトを浴びているファイトシーンとの対比で、悲惨さをより際立たせるには実に効果的だったと思う。そしてフランキーが応急処置のスペシャリストでもあることが、図らずも皮肉な形となって表れるのが終盤のシークエンス。その一部始終を暗闇から見届ける親友のスクラップの眼差し。神に背いて究極の選択をするフランキーに対し、スクラップのその眼差しは、まるで沈黙する神のようである。自らの運命を宿命として受け入れるスクラップの生き方に対し、見るに見兼ねてひたすら行動に移すフランキーのイメージは、「許されざる者」のマニーの姿とだぶる。そして、生きることに絶望した人間に一縷の望みを叶えてやるという魂の救済の物語としては、「ひとりぼっちの青春」のM・サラザンとJ・フォンダの関係に重なり合う。まさしくフランキーは“廃馬を撃った”のであるが、マギーの微笑と一滴の涙がすべてを物語るように、彼自身の魂をも救済されたと思いたい。これが本作が究極の愛の物語と言われる所以であろう。人間とは哀しく生きることは苦しいという使い古されたテーマが、これほど切実に心に響く作品も滅多にお目にはかかれない。どうやらアカデミー会員は最良の選択をしたようだ。
ドラえもんさん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-08 18:36:39)(良:3票)
311.《ネタバレ》 「タフなだけではだめだ」「人の逆をつけ」「自分を守れ」、、繰り返されるボクシングの教訓は、そのまま登場人物の人生そのものと重なります。ボクシングは体に沁みついてしまうスポーツのようで、スクラップやデンジャーのようにそこから離れられない(そこにいるしかない)者もいる。けれどフランキーとマギーの二人がそこに戻ってくることはない。マギーの母が一言「よく頑張ったね、誇りに思うよ」と言ってくれたらどんなに救われただろうかと思うと、そしてフランキーの映画には描かれないそれまでやこれからを考えると、、悲しすぎる孤独や絶望に、心が沈みこんでしまいそうです。これは映画なのだからと自分に言い聞かせてみても、受けてしまった衝撃は当分薄れそうにありません。それでも観て良かったとも思います。マギーの頑固で気高い魂や、彼女を守ろうとするフランキーの葛藤が、深いグリーンの色調の中で美しく息づいていました。イーストウッド監督の演出も演技も音楽も、円熟という言葉では足りないほどの凄みがあり、他の映画をかすませるような残酷ささえ感じました。
あまみさん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-03 13:31:11)(良:3票)
310.ごめんなさい。映画として何一つケチのつけようのない素晴らしい出来だと思うのですが、話がどうしてもダメでした。泣かされ損というか、この救いの無さに、たとえようのないあざとさを感じます。これほどまでに欠点の少ない映画は何年に1回見るかどうかというほどのこの出来栄えの中で、どうしてこれほどまでに嫌な話を描かなければならなかったのか、わたしにはとても理解出来ません。シナリオは非常に良く出来ていますし、ヒラリー・スワンクの卑屈な個性もこの役柄に怖いくらいハマりました。モーガン・フリーマン、クリント・イーストウッドも、おそらく当たり役と言って良いでしょう。何箇所か、ありがちな、でも必要なカタルシスはありますし、ラストでは伝えたいものもしっかり伝わって来ます。でもこの映画が、イーストウッド監督作品でありながら都市部を中心とした小規模な公開に終わったのは、この映画が実際にここで描かれている地方の貧しい人々の目に、入れられるものではなかったからでしょう。アメリカで貧しい家に生まれるというのがどういうことか、この作品は徹底的に残酷にそのテーマを取り上げながら、結局絶望しか描けていない。貧困は「ミスティック・リバー」でも強調されたテーマですし、イーストウッドにはそれを描きたいという強い渇望があるように見えますが、こうしたテーマに悲しさだけしか見出せないところが、実はハリウッドスターとしての彼の限界なのではないかと感じました。皿洗いをして、床掃除をして、人生に後悔しながら死んでいく人たちが、この映画を観て素晴らしいと思うでしょうか。映画が本当に夢を与えなければならない人たちに対して、この映画が勇気や力を与えるでしょうか。大変良く出来た映画であるという観点から高い点をつけますが、わたし自身はこの映画を二度と観ないと思います。もしかしたらわたしがイーストウッドの作品を観るのは、これが最後になるかも知れません。それぐらい、嫌な映画でした。
anemoneさん [映画館(字幕)] 9点(2005-05-30 00:02:57)(良:3票)
309.イーストウッド監督のほとんどの作品は悲しみを深く描いた重厚な物語ですが、本作の「重さ」はその中でも頭一つ抜けているのではないかと思います。辛い話に耐えられない方には絶対お勧め出来ません。
やり場の無い悲しみの中で、「愛とは」「生きるとは」という、誰にも決定的な答えを出せないテーマが提示され、鑑賞後もその余韻をしばらく消す事が出来ません。
たとえ物語に共感出来なくとも、どうしても考えさせられてしまう重厚な映画に仕上がっていると思います。
主演3人の演技には全く文句のつけようがありません。
中でもヒラリー・スワンクの演技は素晴らしい、というか凄まじいものを感じました。

とりあえず、単なるボクシング映画だという勘違いだけはしないように・・。
おーるさん [DVD(字幕)] 8点(2010-09-16 17:08:02)(良:2票)
308.《ネタバレ》 本人が望むなら尊厳死とか安楽死ってのはありだと思うけどね。てかあの対戦相手って反則負けじゃないの??それが納得いかずかなり萎えました。
すたーちゃいるどさん [DVD(字幕)] 5点(2007-09-02 13:02:27)(良:2票)
307.「どんなことがあっても生きるべき」という言い方がある。「生きること」は素晴らしいのだから,全ての人間がそうすべきだ,それが正しいのだ,と言いたいのだろうが,それはちょっとおかしいのではないかと私は思う。なるほど生きることは尊いが,だからといって当事者の立場や生き方を無視してまで「生きるべき」と決め付けてよいとは思えない。「障害者でも立派に生きている」のは事実だが,だからといって他人にヘラン・ケラーのように生きろと説教したり,「弱い」とか「残念だ」などと評してよい理由にはならないだろう。そもそも,人の死というのはプライベートなものなのだから,ある人の死を「人として正しい」とか「間違ってる」とか判断することは,その人の決断の意思,死の尊厳やそれまでの人生を無視することにつながる行為だとはいえまいか。年齢にも貧困にもめげず,決してあきらめずに生きたマギーのような人が,仮に最後に挫けたとして,あきらめたとして,それを「間違っている」と決め付けることなど,だから私にはできない。人の数だけ人生があるように,そして人の数だけ愛の形があるように,人間の選択も様々な形があると,私はそう思うのだが。
veryautumnさん [DVD(字幕)] 8点(2006-03-12 00:11:05)(良:2票)
306.《ネタバレ》 悪いけど、「ミスティック・リバー」からこっち、クリント・イーストウッドはイカれているとしか思えないわ。陰惨なのは結構、バッドエンディングでもOKだけど・・・・ボクシングやら、宗教やら、尊厳死やらなんやらに包んでテーマがさっぱりわからないけど、結局言いたいことは「負け犬」は「負け犬」でしかないってことじゃないの?(ミスティックリバーも然り) なんかアメリカの怖さのようなものを感じてしまう。
ETNAさん [CS・衛星(字幕)] 5点(2006-03-06 21:02:44)(良:2票)
305.《ネタバレ》 まずみなさん高得点なのがビックリです。
これは改めて言う事も有りませんが聖書の啓示などから物語を組み立てています。
ただ私はそれで作品の良し悪しを言う訳では有りません。

まずこの作品について最大の疑問はチャンピオンが倒れてレフリーがストッピングサイン
つまりロープダウンしたチャンピオンに向かい両腕を大きく振って
TKO(テクニカルノックアウト)を示してる。
つまりタイトル戦はマギーが勝ったはずです。それでこの試合の勝敗はついたはずですよね?
不意に殴られてマギーの首が折れたのはその後です。

それがなぜか後でマギーが「私は頑張ったのよ」と母につぶやき「でも負けたんでしょ」
と母が言う。誰もそれを訂正しない。つまり劇中マギーは負けていた。なぜか?

まったく、この点でもう話しに成りません。その後のストーリーはどうでも良く成りました。
ボクシングもうちょっと調べてから映画作れ!と言いたいです。
フランキーのする事はまず試合が終わったにも関わらず後ろから殴りマギーを不具にした元チャンピオンを始末する事です。
チャンピオンも試合後の暴行ですから傷害罪に問われますよ。

その他マギーの母親やその他家族の描き方。酷いです。極端過ぎるでしょう。
この作品を高尚と言うならこの世は闇です。物事はそう簡単に割り切れません。
ボクシングの神様に教授されあれよあれよと言う間にチャンピオン寸前にまで昇りつめ
一転地獄に叩き落される主人公。
白痴の様な青年を諭す神(フランキー)のしもべエディ 
まったく高慢ちきで話に成りません。
この作品がアカデミー賞4部門独占したって所が怖すぎですよ。
自分としては3点を付けざろ得ませんでした。

役者さんとしては私は非常に好きで才能と個性のある人なのに。。。残念で成りません。
一般人さん [DVD(字幕)] 3点(2006-01-15 03:23:53)(良:2票)
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【点数情報】

Review人数 324人
平均点数 6.91点
030.93%
151.54%
230.93%
3134.01%
4144.32%
5288.64%
63912.04%
78225.31%
87021.60%
94513.89%
10226.79%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 6.33点 Review27人
2 ストーリー評価 7.08点 Review49人
3 鑑賞後の後味 5.20点 Review49人
4 音楽評価 6.89点 Review38人
5 感泣評価 6.60点 Review46人
chart

【アカデミー賞 情報】

2004年 77回
作品賞 受賞 
主演男優賞クリント・イーストウッド候補(ノミネート) 
主演女優賞ヒラリー・スワンク受賞 
助演男優賞モーガン・フリーマン受賞 
監督賞クリント・イーストウッド受賞 
脚色賞ポール・ハギス候補(ノミネート) 
編集賞ジョエル・コックス〔編集〕候補(ノミネート) 

【ゴールデングローブ賞 情報】

2004年 62回
作品賞(ドラマ部門) 候補(ノミネート) 
主演女優賞(ドラマ部門)ヒラリー・スワンク受賞 
助演男優賞モーガン・フリーマン候補(ノミネート) 
監督賞クリント・イーストウッド受賞 
作曲賞クリント・イーストウッド候補(ノミネート) 

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