156.昔、映画学校の学生時分、脚本家志望だった僕は、「サバ缶」というシナリオを書いた。
またカリキュラムの中で、短編作品の撮影もどこかしらの民家を一泊借りて行った。
もう随分と遠い昔の思い出となってしまったけれど、その時の記憶がありありと思い出される。
そして、月日は経って、地元に帰り、結婚をして、娘が生まれ、父親になった。
何が言いたいかというと、そんな僕が、この「映画」を愛さないわけがないということだ。
いや、参った。これは、日本映画史上待望の「ゾンビ映画」の傑作だ。
巷で話題沸騰となっていたことは知っていたけれど、あまり精力的な情報収集をせぬまま、地元の級友たちとの飲み会前の空き時間にフラリと観に行った。「情報」を最小限に留めたまま鑑賞に至れたことが、極めてラッキーだったと思う。
古今東西「ゾンビ映画」というものは、生み出された実社会の閉塞感や鬱積を、血と狂気の混沌の中で描き出してきた。
したがって、そのジャンルは、もちろん「恐怖映画(ホラー)」ではあるのだが、同時に「風刺映画(コメディ)」でもあると思う。
今作は、そのホラーとコメディというアンビバレントな要素を絶妙なバランスで混ぜ合わせ、驚くべきアイデアで纏め上げて見せている。
ただし、一言で「風刺」と言っても、この映画で描き出されるテーマ性は極めてミニマムだ。
核家族における父性のあり方、あらゆるしがらみにがんじがらめの働き方、そして、一個人レベルに至るまで蔓延する虚構と実像の葛藤。
この映画は、現代のこの国の社会の中で、あまりにも普遍的なそれらの鬱積を根底に敷き詰め、呆れて笑うしかない「暴走」と共に、爆発させ、解放させている。
一つ一つの描写はとてもくだらなくて、チープだけれど、それをあまりのもチャレンジングな試みの中で、「本気」になって叩きつけているからこそ、今作はとてつもない“面白味”と“感動”を生み出しているのだと思う。
映画館で、あんなにも臆面もなく手を叩いて笑った記憶はない。
観客のその反応を誘い出し、エンターテイメントとして成立させたアイデアとチャレンジに脱帽する。
散々笑わせといて、最後の最後でホロリとさせるなんて、ズルい。