8.《ネタバレ》 まずパイラ人たち同士の会話が楽しい。なお声は出さずテレパシーで語りあうので字幕である。
上司「視察の報告を聞こう。我々パイラ人の訪問の意図を傳えたか」
部下A「傳えるどころか、地球人は私どもを一回見るなり、激しい恐怖を示すのです。それはまるで醜悪極まりないものを見た様な目です」
上司「何? 彼らは我々パイラ人を醜いと云うのか。それ程、彼等は美しいのか?」
部下A「とんでもない ご覧ください。彼らの理想の美人と謂うのはこれです」
そこへアイドル(美女)のブロマイドが飛んできて壁に貼りつく。
上司「これが!? これが美人か? 顏の真ん中にこんな出っ張りがあるではないか? こんな醜悪な顔を持っているとはかわい想な種族だ しかし、このま〃地球の危機を見捨て〃は、宇宙道徳に背くというものだ」
部下B「一案があります 誰か醜いものになる事を我慢するのです つまり地球人の姿に変身して地球にもぐり込むんです」
上司「かと云って他に方法は考えられん 地球に入れば地球に随えと云う諺もある 誰がその嫌な役目を勤めるかが問題だ」
部下B「誰かと云うより 云い出した私が」
上司「君の犠牲的精神はパイラの歴史に残るだろう では変身機の準備をしたまえ」
こうしてパイラ人の部下Bは地球のアイドルそっくりに変身する(変身機でパイラ人が地球の美女に変身していくのは『メトロポリス』のマリアのオマージュか?)。
これだけの会話でパイラ人の道徳観、上司、部下A、部下Bの考え方、性格などが見えてくる。
でも部下Bはなぜ自分の姿を犠牲にしてまで地球を救おうとするのか?
ひょっとしてじつはゲテモノ趣味で、パイラ人たちが醜いと言う地球人の姿が好きなのか?
それはともかく、カメラワーク、照明、美術など大映、いや映画産業全盛期の美しさがあり、観ていて気持ちいい。
さすがに1956年のSF映画なので脚本は雑だが、一見の価値はある。