5.製作国は中国・日本・韓国・フランスとあるが、極めて台湾映画的な雰囲気を感じた。
台湾映画の“自然な語り口”としての良い所と、台湾映画独特の“退屈さ”、その両方を感じたのだ。
ホウ・シャオシェンの作品にも似た作品だったが、ホウ・シャオシェンの作品はもっと直接的な暴力描写やイベントが発生するのに対し、本作はそれが見られない。
それと、ホウ・シャオシェンの作品は、日常を映し出したにすぎない映像の中から、映画としての作為的な部分が自然と感じられるのに対し、本作は映画的な作為性が前面に押し出されているという点において、その趣きを異にしている。
そういった厳密な部分で言えば、ホウ・シャオシェンの作品とは異なるし、台湾映画的とは言えないのかもしれないが、日常的な雰囲気を纏ったその作風は、存分に台湾映画の匂いを感じるのである。
北野武がプッシュしていることからも分かるように、芸術映画としての魅力も感じることができる作品だ。
ただし、北野作品ほど面白くもないし、衝撃的でもないし、心が温まるわけでもないし、音楽が素敵でもない。
そういう点において、北野作品には遠く及ばないのではないだろうか。
しかしそれにしても、邦題が悪い。
青の稲妻?!
観終えた後でも全くピンとこない邦題だ。
英題は“Unknown Pleasures”。
これは実に的を射ている。
言われてみれば、本作は全編に渡って、主人公の少年二人を中心に退屈さと絶望が渦巻き、女性との関わりでさえ楽しさは微塵も感じられない。
それは地道に努力して生きていくことを断念させ、銀行強盗や宝クジの様な一攫千金への即席的な興味に少年達を走らせる。
アジアの倦怠というか、何というか、どうにもならない鬱積した空気が本作には漂っているのだ。
題名一つでここまで理解の深さが変わってくることを考えると、この『青の稲妻』という邦題のダメさ加減が非常に気になってくるのであった・・・