1.ひそかに愛する青年の後ろ姿を、彼女はこっそりと8ミリで撮影する。そしてその映像を、彼女は壁にかけた自分のワンピースに映写するのだ。彼女の服に重なる、愛する男の後ろ姿。そしてその映像を、彼女の手がゆっくりと“愛撫”していく…。
断言してもいい、ぼくはこれほどまでに美しく、官能的で、それ以上に深い諦念と、透明な哀しみにあふれた映像を、それまでもそれからも見たことがないことを。ワンピースの生地の起伏によって歪んだ後ろ姿。彼は決して振り向かない。それを慈しむようになぞっていく手。…「恋」する者の歓喜と絶望が、かくも鮮烈に「映像」(というか、この作品にはどうしても「イマージュ」という言葉を用いたい)へと昇華した瞬間、このささやかな8ミリ映画は、間違いなくひとつの<事件>となった。
そう、これは坂本崇子という女性が、クリスマスイブまでの日々を8ミリカメラで映像日記風に綴った、ただそれだけの作品だ。季節のうつろいや、街の表情、殺した蚊、…何気ない日常の風景に、彼女自身のモノローグが重ねられていく。しかし、“ただそれだけ”のはずの映像(と、彼女の「声」)は、いつしか見る者(の「心」)を狂おしいまでにをとらえ、魅了し、決して忘れられないものにするだろう。何故なら、ここにあるのはひとりの女性の「魂のふるえ(=エモーション)」そのものだから。そのエモーションは、見る者の心に否応なく共振する。彼女と同じ「ふるえ」を受け取り、同じものを見て、同じように感じるのだ。それを「恋」というなら、この映画は何より「恋の映画」に他ならない。あの時、小さな会場で本作を見た誰もが間違いなく「恋」してしまったことを、ぼくは知っている。そしてぼくという観客も、出会って20年近くたった今もなお、「恋」し続けている…。
それにしても、もう一度“再会”する機会はあるんだろうか。ある、と信じたい。どうですか、「イメージ・フォーラム」関係者の皆さん!