2.迫り来る放射能という「目に見えない殺し屋」を扱った作品としては、ウォード・ムーアの古典的なアメリカSF「ロト」を映画化したレイ・ミランドの『性本能と原爆戦』がある。被爆世界において勝ち残るために、主人公の親父がブラック魔王ばりの悪どさを発揮する。まるで放射能より人間の方が怖いような話。まあ原作はもっと中年男性の内観に重きを置いて、知的な感じなんだけどね(ていうか原作はオヤジ度爆発な続編「ロトの娘」と共に、SF史に残る傑作です)。
で、本作はというと。
同じネタでも、本作はドイツ映画。「他人を蹴落として幸福を掴む」のを良しとするアメリカ的人生観の対極に位置する映画だ。まず主人公たちは若い。世知に長けた中年じゃないのだ。生死のかかった局面であからさまに判断を間違えるし、自暴自棄のバカもやる。守るべき人を守り通す事の意味や大切さも、理解していない。アメリカ映画なら、最初の30分で脱落してるようなバカ者たち。彼らに焦点をあてた展開が、もう泣けるくらいに素晴らしい。この残酷なまでの無知、救いがたい過ち、人生の重さがわかっていない未熟さ、それらが正直に映像に展開され、とてつもなく愛しくなる。
前半の、誰もいなくなった草原で、必死に自転車のペダルを漕いで風下に逃げようとする主人公。これはまったく、十代のカリカチュアだ。とても痛い姿で噴き出しているが、まぎれもなく純度100%の青春、放射能青春映画だ。『性本能と原爆戦』が放射能ホームドラマだったのと同じくらいに。
『マーズ・アタック!』『宇宙戦争』と比べてみるのも面白いだろう。アメリカは生存競争テーマの宝庫だから、他にもいろいろありそうだ。例えばオイラは…。
この映画の冒頭で、主人公の肢体を披露するちょっとしたサービスシーンが入る。
思うにコレは『13日の金曜日』のクリスタルレイクのパクリで、案の定ニヤッとするような展開になるんだけど、このシーンは監督の宣言…「この映画の主人公はジェイソンに殺られる程度の、ごく普通の若者ですよ~ん」という意味に受け取った。
決してヒーローになれない者たちの、過酷な状況下で描かれる、バカで、必死の青春が、言葉にできないくらい美しい。
終わり方はいかにもドイツなんで好悪の別れるトコロだけど…。