9.久しぶりに、ドーンときた作品。
見ている最中は感情移入し過ぎて、自分も「生の実感が欲しい」と思うほど、死を身近に感じることで生きていると確認できるのか、と想像した(主人公たちは生の実感が欲しくて自爆するわけではないが)
スウェーデンの自殺の話が出てくるのも、日本やスウェーデンのように平和で「死が遠すぎて」人々が自殺する国と、イスラエルなどの紛争が続いていて「死が身近」な国の対比なのかな、と。戦争状態も良くないが、平和すぎるのも良くない(時間がありすぎて、自らの内面と向き合い過ぎたり、社会の欺瞞を考えすぎたり)のかも…と考えさせられた。
日本の子供は、異なった価値観を合意形成する能力が多国より劣っているというデータがあったような気がするが、日本人が「他者(特にマイノリティ)の視点から物事を考えることができない」のは、“世間”という日本独自の概念があるからではないかと。
世間に恥じないように…というのは、同じような境遇で暮らしている人たち(=世間)の基準に合わせることである。違った生い立ちや境遇の人たちは別の「世間」に属しているので、結果として当人は自分と似た人の価値観・視点でしか物事を見れない。
健常者・男性・異性愛者・老人…マジョリティに迎合してマイノリティの視点がない社会を日本が続ける限り、日本はスウェーデンのように「平和なのに人々が自殺する」国であり続ける。(日本の方がスウェーデンの1.5倍以上の自殺率だが)
この作品の点数が低いのも、他者の視点が持てないからではないのかと感じた(全ての人が、現地に思いを馳せていないわけではないが)
こういった作品を見るのであれば、問題に関する最低限の知識と現地の人の心情を想像する能力を身につけていただきたい。(日本社会とこのサイトで、マジョリティである男性への皮肉も込めて