1.《ネタバレ》 豪華キャストのわりには日本での劇場公開もDVD発売もされていないようなので、今のところ見た人はスカパー愛好者しかいないかもという寂しい状況です。
これはなかなかの佳作、見て損はないと私は思う。
神様映画ぽいマターが直接には出てこないが全編に色濃く漂っていて、アレックスの人生に有り得ない確率で起きた2度の交通事故、この映画のキモであるリンダのセリフ中の造語…「世界はなんと大きく、自分は小さいのか。そして彼はつぶやいた。〝ダズリアス〟」。ここにふさわしい言葉は〝神様〟しかありえなく、リンダは〝神〟の存在をそのように理解していて、〝ダズリアス〟と表現した。ここではリンダは知能的には正常という設定だと思う。
そのように、この作品は「人間の存在の小ささ」を終始感じさせ、「小さく無力であるゆえの苦しみ」についてはリンダの父ダークの「起こったことは受け入れる」が救いになっている。リンダのような特別な人間が生まれたことも、そのリンダがなぜか妊娠してしまったことも、生まれたヴィヴィアンが20歳くらいで事故死したことも、そして、アレックスの息子が父親に会えずに事故死したことも…すべてを、になる。キリスト教的である。
「あなたに理解されなくていい」「あなたを理解できなくていい」となったら(リンダに対する場合は必然的にそうなる)、アレックスの言うように「証明したり正当化する必要がないからリンダと居るとラク」になる。人はリンダと接することで「人と人がわかり合う」についての幻想が打ち砕かれ、他人について「わかり合った」と思っているものは「希望か思い込みにすぎない」かもしれないと気付く。すると人は幻想かもしれないもののために、他人に説明したり弁解したり、しなくていい努力を払い続けているのかもしれなくなってくる。
アレックスがリンダと気持ちが通じ合ったと勝手に喜んだら違った、という場面が何度も繰り返され、息子の話は最後まで聞いてもらえず、最終的に彼は「わかり合えない」ということを理解し、受容し「理解できないものの存在をそのまま認める」ということを学んだ、なのである。
「わかり合えない」対象に対してアレックスは「相手が喜ぶことをする」という対処を学んだ。それが冷凍庫のスノーケーキ。
…でも彼は去るのだから、「共存」するところまではいかないので、やっぱり人は神様ではない、なのだ。