3.《ネタバレ》 原作にかなり忠実に見える。特に大きな改変はないようで、これは製作時点の昭和29年でも、大正末年~昭和初期の内容がそのまま通用するとの考えだと思われる。
話としては同じでも、登場人物の生の迫力が映像的な価値を加えており、また例えば「婦人部会」はこういう場所でやっていたのかといった意外感もある(座敷があるとは思わなかった)。追加要素として、玉の井に売られたとか妊婦の拷問場面(少し)といった刺激的なところもあるが、運動会での人々の表情や、独自要素としての人形劇などユーモラスな場面も加えている。ストーブの煙突が熱かったのは笑った。
撮影場所に関しては、谷間の長屋は広大な空き地(現・駒沢オリンピック公園)にオープンセットを作ったとのことだが、ほか主人公が坂を降りて来る場面で右側に見える塀は、現在の小石川植物園の敷地北西側にある塀と同じに見える(65年間も同じ塀???)ので、他にも小石川の現地周辺で撮った部分があったかも知れない。
ところで今さらながらの素朴な疑問は、労働運動と革命運動は必ずセットでなければならないのかということである。要は19世紀ドイツの著名な思想家の影響なのはわかるが、劇中の争議団員は必ずしも革命自体を目指していたようには見えず、一方で経営者側の台詞によれば真に問題なのは「赤色攻勢(??)」であって、この争議自体には妥協の余地もあったということらしかった。つまり体制側がロシア革命の波及を恐れたことが弾圧を招いたのであり、争議の敗因もこの辺にあったように取れる。
労働者が力を持ち、社会的地位の向上や労働条件の改善を目指すこと自体が否定されるものでは当然ないが、少なくとも現在の感覚でいえば、この時期に日本でも革命が起きていればよかったなどとは全く思えない(社会主義国も戦争はする)。最初の方で、「失業者がうんと出りゃそれだけ革命が早くなる」という発言に対して中心人物の男が反発していたのは、本当に大事なのは労働者の生活であること、さらにいえば、労働者が野心家(革命家)の道具にされてはならないとの主張にも感じられた。
この映画(と原作)がこれまでどう解釈されてきたのかは知らないが、とりあえず自分としては以上のように思っておく。
ほか出演者としては、幹部連中の中にいた加藤嘉氏がイメージと全く違う姿で意外だった。また「生きる」(1952)で印象深い小田切みきという女優が主人公と親しい役で目立っていた。