1.《ネタバレ》 えー、なんかこの映画の世界では80年代にエネルギー源の枯渇(石油を掘り尽くした?)と技術の退化(?)が起こって21世紀には世界は200年前と同程度の文明に逆戻りしてしまったそうです。でも『北斗の拳』みたいな荒廃してるわけでなく、ビルや道路や車といったかつての機械文明の製品はそのまま残っていて、ただ電気を発生させることが出来ないので使用できない単なるオブジェと化しているわけです。というわけで人々は移動手段は18世紀さながらの馬か馬由来乗りもので、タクシーなんか人力車なんですよ。 この様にプロットはもう徹底的におバカ、中坊の妄想みたいなもんです。そして展開されるストーリーがまたくだらない。ある医学教授が天才的なアイデアを思いつきました、「そうだ!セックスが生みだすエネルギーを電力に転換できるんじゃないか!」。どうもこの世界の人類は、技術だけじゃなくて頭の中身まで退化してしまったみたいです(笑)。この教授は精力絶倫のホテル支配人と同僚教授の淫乱妻を無理矢理に怪我させて同じ病室にほうり込み、実験のためにセックスさせようとします。つうか、普通に事情を説明してやってもらえばいいのに、というよりもなんでセックスが電力を生むのかが意味不明。この絶倫男を演じるのが名匠ヴィットリオの息子クリスチャン・デ・シーカで、たしかに若き頃の親父に面影が似てますね。実験はもちろん成功するわけですが、このセックス発電で電気機関車を走らせるバカバカしさには抱腹絶倒です。そしてもっと大量に発電するためにホテルにカップルを何百組も詰め込み(なぜか同性愛のカップルまで)アレしまくるんですから、こんなバカなお話し考えついた監督にはもう開いた口がふさがりません。そしてこの巨大ラブホが産み出す電力に満足した政府高官いわく「これでイタリアは世界一の超大国だ!」、そりゃイタリア男の精力は世界屈指ですからねえ(笑)。 結末はかなり皮肉が効いています。電力増産のためにセックスが国民の義務になってしまい、誰とヤッても許される社会になってしまい夫婦制度は半ば崩壊です。でもセックスの妨げになるというよく理解できない理屈で恋愛はご法度になってしまいます。配偶者が他人と励んでいるのを観ても、恋愛感情が無ければ安心しておれるということみたいです。ディストピア映画は数あれど、こんな地獄ならひょっとしていいかも(笑)、でも人口が爆発的に増えることは容易に想像がつき、イタリア政府はどうするつもりなんでしょうか(笑)。 余談ですけど、この映画は日本公開時に地方では『ブレードランナー』との二本立てだったそうです。いまや伝説の傑作と崇められている『ブレードランナー』が、公開時にいかに低評価だったかを教えてくれるエピソードです。