2.《ネタバレ》 元々が舞台劇ゆえか、演出のテンポが非常に良いですね。
物語の殆どが、マンションの一室の中で進行するという作りも好み。
ただし、筒井康隆が原作の為か、強烈な毒を孕んだ作品でもあり「赤ん坊を殺して調理し、客に食べさせる」という展開には、流石に気分が悪くなりました。
勿論、画面には血の一滴どころか、その赤ん坊の顔すらも映らないように配慮されているのですが、泣き声を聞かされただけでも、文字媒体より遥かに生々しく感じられたのですよね。
他にも複数の殺人が発生し、それらに対しては「実は生きていた」オチが付いたりするのに「赤ん坊は、本当に殺されて食べられていた」という徹底振りなのだから、もはや呆れ半分、感心半分といった気持ち。
中盤にて主人公が叫ぶ「芸能人とはかくあるべき論」に関しては、正に熱演と呼ぶに相応しく、一見の価値があるかと思います
「芸能人は、悪い事だってしなきゃいけないんだ」
「後ろ暗い体験が、芸のプラスになっている事だって多いんだ」
「面白くも可笑しくもない清廉潔白な人間が、ドラマを演じたり、失恋の悲しみや庶民の苦しみを謳った歌謡曲を唄えるものじゃないんだ」
「私生児を産んだって良いんだ」
「人を絞め殺したって良いんだ」
「芸の為なんだ」
主張の正しさはともかくとしても、非常に印象深い場面でした。
けれど、その辺りから徐々に暗雲が立ち込め始めたというか、SF的な要素が色濃くなって「何でもあり」な空気になってしまった事は、とても残念。
一応は主人公夫妻の殺人行為をメインに据えており、終盤にて彼らが逮捕されそうになる流れなのに、そこで「空間のひずみ」がどうの「冷蔵庫の中が北極になっている」だのと、新たな要素を付け足されても、話の展開を阻害しているようにしか思えなかったのですよね。
ラストにおける「後藤さんの来訪」も、不条理劇の代名詞である「ゴドーを待ちながら」のパロディであるのは分かるのですが(だから何? 来ないはずのゴドーが来ちゃうのが一番の不条理って事?)と、ひたすら疑問符が浮かぶばかり。
とはいえ、出演者は非常に豪華であり、次々に登場する有名人の顔を眺めるだけでも、それなりに楽しめたりするのだから、全く以て困り物です。
筒井康隆自身も「犬神博士」なるマッドサイエンティストを、楽し気に演じており、彼の小説のファンとしては、それだけでも「素敵な映画」と呼びたくなってしまう。
何とも評価の難しい、さながら「好き」と「嫌い」の境界さえをも捻じ曲げてしまうような、独特な一品でした。