1.《ネタバレ》 自然環境に恵まれた旧東ドイツのテューリンゲン州を舞台にして、主人公がワイマール(人口約6万5千)からイエナ(人口約10万)までを歩くロードムービー的な作りになっている。原作はマンガ(コミック)だそうで、イエナとワイマールは原作者ゆかりの地ということらしい。なおこの映画にはマンガっぽい印象はない。
見た目は一応ゾンビ映画のようだが、それよりウイルスで人類社会がほぼ全滅したことの方に重点がある。大まかにいえば(ありきたりなようだが)いわば地球の意志により、世界の終わりと始まりがもたらされたということらしい。
生き残ったワイマールとイエナがそれぞれ人類の社会秩序と科学技術の象徴とすれば、それを否定した新世界が外部に広がり、ブタさんやキリンさんが我が物顔で歩いていた。元領主だか元地主だかの古い館の中で、動物の剥製や角が飾ってある場所を野鳥が占拠してしまっているのが旧支配者の没落を示していたようだった。
特徴的だったのは感染者が植物ゾンビwwになるということだが、これには(A)普通にゾンビらしく襲って来るがやがて自滅していく連中と、(B)感染したのが顔には出ているが普通に話が通じて穏やかに生きている者という違いがあったらしい。この映画としては(A)には否定的だが(B)はそれなりに幸せという扱いのようで、これでハッピーエンドと思うのが現代ヨーロッパの風潮なのかも知れない。もしかして緑の党といった団体はこういう世界を目指していたりするのか。
ところで監督その他のスタッフは女性ばかりのようだが、登場人物も明らかに女性優位になっている。前記(A)と(B)は新世界で滅ぶべき者と残る者の違いだろうが、結果的に残るのは女性(だった者)だけで、まるで新世界に男は不要というようでもある。世間でよくいう“男がいなくて人類が続くと思っているのか”という素朴な疑問に応えるために、雌雄の交配がなくても繁殖?(生存?)する生物という設定にした?のだとすれば、なかなか尖った問題意識を含んでいたことになるが、この点原作マンガでどこまで踏み込んでいたのかわからない。
ちなみに花嫁ゾンビBrautzombieというのは結構気色悪かったが、これを日本人女優(身長156cm)にやらせていたのは差別的ではないかと一応書いておく。排除の論理が感じられてしまうとそういう皮肉も言いたくなるわけだが、しかし実はこの映画を見た日の夢に出たので、人の心に訴える力のある映画ではあったらしい。