1.《ネタバレ》 シャイア・ラブーフの自伝的作品で、脚本を本人が書き上げ、かつキーマンとなる主人公の「父親」を自身が演じている、というアイデア。これが中々に…
一緒に居るとお互いダメになってしまう二人、とゆーのはまま存在するもんかと思うけれど、互いの互いに対するアンビヴァレントな感情の縺れ、或いは依存関係の歪み、だとかいった「理由」の側面はともかく、本作ではその二人とゆーのが(よくある恋人同士ではなくて)親子、とゆーのは少々物珍しく、かつ事態はより深刻な様にも思われる。ただ、本作のその部分のリアリティはやはりとゆーか相当に高度で、この話があくまで実話に誠実なものだとゆーのにも容易に納得は出来るのだし、そしてこの二人が互いを傷つけ合う様にしか生きられないのだ、ということ(状況或いは人間性そのものについて)にも、やはり大いに納得はゆくのである。実に切なく、そして哀しい親子の物語(ラブストーリー)だと感じましたね。
また、その親子ふたりをつくり出す演技は率直にかなり素晴らしかったと思いますが、特に父親役のシャイア・ラブーフのそれはある部分で演技の域を超えているとゆーか、非常に強力なメッセージ(それは本当は我々に向けたモノでもないのかも知れませんが)を感じるとゆーか、とても好印象だったのですね。前述どおりのそのアンビヴァレントさと、父親の方を演じていながらもソコに「息子」である自分の真実の感情を含ませた(のではないか)というコトも含めて、非常に多面的・多層的でテクニカル、かつ実に「熱い」素晴らしい仕事だと思いました。
そして、あくまで本作で描かれた時間軸においては、彼らの間にはそれでも確かに愛というものもまた存在していた様に見える、その部分は率直にとても美しい映画でもあったと思います(美しくないモノの中に本当に美しいモノが際立っている様な映画、でもあるかと)。彼らのその後は(おそらく敢えて)描かれておらず、そもそも彼らの物語はまだ終わっている訳でもないのだろうとも思うと、その物語の終着がまた美しいモノであることを願って止まない、という温かい共感に包まれる様なエンドロールの余韻も、中々に優れたものであったなあ、と思います(演出もソッチの方に寄せてたよーに思われますし)。