1.《ネタバレ》 映画としては単純にそこそこ以上に面白い+細かいトコロまで比較的好く出来てる方の作品だ、と思いました。ただその総合的なクオリティはそもそも、まずスタイリッシュな画づくりの質がそこそこだったり、そして吉沢亮の演技もまずまずだったり、という要素も多分に在るにせよ、根本的には今作の元ネタが実話、かつソレが正に「小説よりも奇なり」という極めて良質な題材だった、というコトに依るトコロが大きいとも思われます。実際の映画としても、登場人物のキャラクターから事件の顛末のワリと細かい部分までが結構キッチリ事実に則した半ノンフィクションと言って好い様な質感ですし、その意味では「素材そのものの味を楽しもう」という系統の映画だと言えるかも知れません(おそらく本件については各所でドキュメンタリ的な纏め方は既に為されているのかとも思うのですが、やっぱ好いネタだし劇映画にもしとこーぜ!的なノリなのかな…とも)。
その観点からすると(まずもって多少は脚色が加わっているというコトもあるにせよ)、やはり映画に纏める上で若干は分かり易さを高めるべく簡略化(ないしは取捨選択)している箇所がある…という面については賛否両論があるのかも知れないと思いますね。吉沢亮(=AWAKE製作者)側で言うと、実際の対局後には彼からは非常に物議を醸す様な発言があったのも有名なトコロかと思いますし、対する若葉竜也(=棋士)側についてだって、そもそもの実際の電王戦のフォーマット・(将棋界に於ける)位置づけなんかの説明が省略されているが故に彼がこの対局に望む上での諸々の状況・思惑だとか、或いは彼が実際にはどのような準備をして如何なる戦略のもとにあの手を指すコトを決断したのか…という部分もやはり単純化されていた(=少なくとも詳細には説明されなかった)という、少しバカリの口惜しさは感じられましたかね(まあ、ドキュメンタリではなく劇映画としてはコレも十二分に適切な纏め方だとは思うのですケド)。
とは言え(そうは言っても)本作は、肝心なこの事件の本質の部分についてはワリと嘘偽り無く(かつ比較的分かり易く)的確に描き出せていた様には思われるのです。そしてそれ故、この事件が将棋の歴史の上でもかなり大きな意味を持つモノであったということも今作によって再び顕かにされたと言えるかとも思えますし、そーいう事件の顛末を映画という手に取り易いメディアとして後世に残したという意味でも今作にはある種の付加価値があったと思うのですね。色々な意味で決して悪くない、好い方の仕事だったのではないかと思います。