12.ネット上のいろんな人の評価を読んでも、評価がいまひとつなのは実に不思議だ。
素直に感動している自分はやはり頭が悪いのだろうかという変な疑いを持ってしまった。
20年以上ぶりに観たら、脇役のエピソードなど実に細かいところまで覚えていたままであった。
オールスター映画であるので、実にうまく脇に至る配役がなされていたとしか言いようがない。
僅かな出番の役者のエピソードや表情までも実に印象に残っている。
この映画は公開当時、年2回の「男はつらいよ」を休んで製作された経緯があるが、当時、毎回「男はつらいよ」を楽しみにしている観客に向けたような、渥美清、倍賞千恵子の人物配置とやりとりが絶妙に感じる。
前田吟、吉岡秀隆の配置も「男はつらいよ」そのまんまであるし、前田吟の渥美清に対する僅かな台詞のニュアンスも「男はつらいよ」そのもので笑ってしまう。
「男はつらいよ」は休みだけど、この映画にも「とらや」の面々はいるから楽しんでねというサービス精神。
当時のリアルタイムな観客にサービスしようという精神ってすごく大事に思う。
この人物配置を違和感なく別の映画にはめ込むテクニックというのは、プロにしか出来ない技だ。
こういうさりげない遊び心って今の映画にすごく欠けている気がするのである。
多くの評価を読むと「散漫である」という感想が多いが、自分はそうは思わない。
そもそもこれは映画を愛する人達の「群像劇」であり、映画を愛する人達を軸にした「青春映画」である。
断片的なエピソードの積み重ねの中で、愛すべき各々の人物の描かれない裏側や行く末を想像するのが群像劇の楽しみ方だと思うのである。
幹となる田中小春のストーリーも必要十分に思える。田中小春だけを執拗に描いていたら生々しく、刺々しい映画になったように思う。
20年以上前、大人の映画に興味を持ち始めた頃、映画の成り立ちや、時代背景、観客がどう映画を受け止めていたか、これを観てすごく勉強になったことを感謝している。
つまりは自分は映画が好きだから映画への愛を描いた映画には甘くなることは白状します。