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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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361.  シカゴ(2002) 《ネタバレ》 
アカデミー作品賞に相応しい素晴らしい作品だと思う。 作品賞にも相応しいが、本来は監督賞をあげるべきではないか。これほど中身がないストーリーの映画を超一級のエンターテイメント作品に仕上げた手腕は最も誉められるべきだろう。とても初監督作品とは思えない手抜きのない完成度の高い映画であり、まさにプロの作品だと思う。 他の普通の映画であれば、脚本をみれば、ある程度どのような映画に仕上るかは素人でも多少の想像はできるとは思うが、この映画の脚本を渡されて、映画を創れと言われても、本作以上のものを創れる人はおそらくボブフォッシー以外にはいないだろう。 また、ストーリーはないと言っても、殺人でさえも市民の娯楽、すべてがショービジネスのような世界「シカゴ」を余すところなく描かれている。タイトル通り、まさに何でもありの街の「シカゴ」を描いた作品である。 そしてミュージカルの利便性を最大限に活用している点も他の作品ではみられないところ。 自分のキャラクターのツボをミュージカルにして歌いあげることによって、瞬時にキャラクターを理解できるのは眼から鱗モノだ。エイモスのセロファンとしての悲哀や、愛なんて要らない金だけが全ての男ビリーフリン、ギブ(施し)があればテイク(見返り)が必ずある頼もしい看守のママなど、セリフや仕草で表すことよりも、最も楽に効率良く伝えることができる。 自分が想っている素直な感情をそのまま力強く観客に伝えることができるミュージカル特有の良さが最大限に伝わってきた。 演じる役者もなかなか良かった。キャサリンゼタジョーンズの迫力には驚かされたし、操り人形を扱うかのごとく周りを翻弄する弁護士をギアも冴えわたっていた。法廷をサーカスのように見立てたり、弁論をタップダンスで表現するのも素晴らしい演出だ。 一点難を言えば、レネーゼルウィガーか。冒頭のゼタジョーンズの代わりに自分が「ジャァァーズ」と歌う所を空想するところで、ゼタジョーンズとの声量や歌の上手さの比較ができてしまうのが残念だ。他の部分の歌は声量を要しない部分が多いので問題はなかったが。また、随所にレネーに対して「キュート」「キュート」というセリフを聞くと、自分の感覚では首を傾げてしまう。アメリカ人にとってキュートなのだろうか。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-27 22:49:32)
362.  go(1999) 《ネタバレ》 
なかなか面白い映画だと思う。有名監督の作品でそこそこ有名な女優たちもでており、DVD化もされているのにこれほどレビューが少ないのはどういう訳だろうか。 総論としては、全体のストーリーの繋ぎや前振りがなかなかよいと思う。とくに黒人の黄色ジャケットはトイレで一振りさせておいて、クルマに繋ぐのはなかなか上手い。しかし、全体的にそれぞれのエピソードのオチが弱いかなという印象。ストーリーに一本筋が入った「核」がないため、どれもこれも小さい花火みたいな仕上がりになっている。 各論としては、ロナ編やサイモン編はなかなかの良作。アダムとザック編はちょっとイマイチかな。 欲をいえば、ロナのクルマ事故はたんなる事故という描き方になってしまったのがちょっと残念。「駐車場で迷ってどうする」位の話で、事故を起こすというよりも、もうちょっとアダムとザックが誰かに追われるといったストーリーや因果関係を入れこまないとストーリーが深まらない。 その他にもクスリを2錠飲んだマーニー、マルチ商法の夫婦にもストーリーにやや広がりを欠いているし、アダムとザックも救急車呼んでもらって御仕舞という感じで、オチていない。各ストーリーにもうちっと「毒」を入れこめばもうちょっと締まった感じになるかもしれない。ストーリーが意外と綺麗すぎるのが難点かな。 そうはいっても、それぞれのキャラクターとストーリーが微妙に交差しながら進む、中々面白い映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2005-11-23 23:59:50)
363.  デッドゾーン
悪い映画ではなかったけど、それほどいい映画だろうか。 ラストについても、訳の分からん政治家のためというよりも、ストレートに元恋人のために自分の身を犠牲にした方がよりよかったかもしれない。 それにしても、ストーリーと演出がどうもたんたんとし過ぎている感じもする(それがよいのかもしれないが)。子どもを救う等のために超能力を使い、超能力を使う度に好きな人と離れなくてはならないという孤独をもっと描いてほしかった。あの医者のおっさんに聞くというよりも、ラストももうちょっとウォーケンに苦悩が必要か。
[ビデオ(字幕)] 4点(2005-11-23 23:46:24)
364.  エリザベスタウン 《ネタバレ》 
どん底に落ちた人生からの再生というのはなかなかよいテーマだったが、映画自体は監督が個人的な趣味で創っているような感じだった。やや観客を置き去りしているように思えるので、日米でコケたのはやむを得ないかもしれない。 また、終始滑り気味な笑い(60Bを行き過ぎて一人怒り狂うドリュー、サムソン等)と、センスはよいのだろうが映像よりも主張し、目立ってしまっている音楽(ムーンリバーやクルマでの旅行の際の音楽はよい)も多少難点だ。 また、人生の再生という主題に対してやや焦点がぼやけてしまっている感が否めない。確かに人生の再生を一つの事柄で表すのは難しいのは分かるが。 父の死を乗り越えようと料理やタップダンス等に精を出しつつ、悲しみに浸るよりもユーモアを忘れない母のスーザンサランドンや、昔の恋人?を忘れられなく、ドリューと同様にどん底にいながら健気に頑張るクレアなどがドリューに与えた影響が多少分かりづらいような気がする。 また、父の遺灰と共に(本当は生きている父と行きたかった)旅行にでて、心が癒されていく様もちょっと端折り過ぎではないか。本当の意味で一人になって自分を見つめ直す旅行であるはずなのだから。前半と中盤にやや無意味に時間を要されたのも痛い。 肝心のクレアとの関係の描き方も「恋人までの距離」のジェシーとセリーヌを見ているようで中々良かったとは思うが、一番中途半端な感じになったような気もする。もっと描くか、もっと描かないかのどちらかではないか。二人のやり取りは電話だけにして、最後に再会するという流れでもよい。 しかし、近くに居た人は泣いていたような感じだったし、終了後に一人か二人ぐらいが拍手していたのでよいと感じる人もいるようだ。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-21 01:15:42)
365.  ブラザーズ・グリム
ギリアム監督作品はあまり見たことないのでよくは分からないが、素直にストーリーを追っても面白くはない作品を撮る特殊なタイプの監督なんでしょうか。 ストーリー自体は極めて平凡。どこにも驚くような仕掛けや展開もなければ、兄弟愛を謳った感動するようなストーリーでもない。 また、ファンタジー作品とみても、昨今同種のあまたある作品群の中からあえて特筆すべき点はどこにも見当たらない。 しかし、面白い点を探せば、この映画はどうやらコメディとみるのが妥当ではないかというところ。ファンタジーの名を借りたコメディというのは恐らく彼のような特殊なタイプの監督でしか撮れない映画なのかもしれない。 そうはいっても、この監督の笑いは恐らく理解できる人は限られていると思われる。映画館で観るよりも、家で一人で細かい笑いを楽しむような部類の映画なのかもしれない。ツボに嵌まる人は少なからずいるだろうが、このような一般受けしない映画にそこそこの大金を注ぎ込むアメリカの製作会社の気持ちが全く分からないな。観客を呼べそうな面白そうな題材で、観客を呼べる俳優を使っているのに、この調理方法はどうなんだろうか。 たぶんギリアム監督とは感性が違うと思われるので、よほど前評判が高くない限り、彼の監督作品を観ることはないでしょう。
[映画館(字幕)] 5点(2005-11-07 01:04:57)(良:1票)
366.  ドミノ(2005) 《ネタバレ》 
アメリカでは完全に黙殺されてしまった本作だが、トニースコット監督は才能があり、もっと評価されてもよい監督の一人だと思っており、自分は密かに注目していた。公開前に亡くなってしまったが実在した女バウンティハンターの生涯を描くというのも面白そうな題材だ。また、キーラナイトレーも今後主演女優として一本立ちできるかどうか重要な作品となった。 本作での(無駄に)凝った映像、(無駄に切り刻んだ)ストーリーの組み立て方などは個人的には彼の演出は評価したい。 しかし、実在した人物を描いた映画としては、全く評価できる部分はない、ひどいものであった。 いったいどういうつもりなのかは分からないが、アフガンとか、病気の少女(あのボスは30万ドルもないの)とか、後半の展開は「ひょっとしてそれはギャグでやっているのか」というストーリー。タランティーノやトニーの過去の作品に類似するストーリーにはただただ唖然とするばかりであった。 なぜ実在の人間を題材としながら、このような捏造されたでっち上げたストーリーを描いてしまうのか理解に苦しむ。この内容ならば「based on true story(たぶん)」とするよりも「inspired」程度に留めて、登場人物も別名でやるべきだろう。ドミノという冠が付いているがために、あまり本人と離れした映画にもできずどっちつかずの訳の分からない映画になってしまっている。実在の人物を描くという足枷が本作をダメなものとしてしまっているのではないか。この内容ならば当然アメリカから黙殺されてもやむを得ないだろう。 さらに付け加えると、本作はドミノという人物が全く描けていない。彼女が何を思い、何に苦しんで、何を得たのかというものが全く見えない。マザーに向かって「Ilove you」と言ってもなんだか全くわからない。「そういう映画だったっけ?」と自問したくなる。実在の女性を描くのならば、シャーリズセロン主演の「モンスター」ような映画にするつもりはなかったのだろうか。ないとすれば、架空の女バウンティハンターの映画を作ればよいのであってアプローチを間違えているとしかいいようがない。 また、キーラのイメージビデオとして見ればどうかと思ったが、主役の割には焦点がぼやけまくってこれも上手くいっていない。キーラ自身は頑張っていたが、この役には合っていないようだ。無理をして貧乳をさらすよりも自分にあった役を選ぶべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-05 23:52:15)
367.  ソウ2 《ネタバレ》 
「あなた(エリック)はわたし(アマンダ)の最初の被験者なのよ」という言葉で締めくくられていたと思うが、この言葉が意味するところは、本作は「アマンダとエリック」のゲームでしかなかったのだということである。つまり、ジグソウも含めて、息子や閉じ込められた者たちはすべてアマンダのゲームの駒にすぎなかったのである。息子を含めた7人(アマンダを除く)は実はゲームのプレイヤーではなかった。アマンダの役割は息子を暴漢やトラップ(針山のトラップにアマンダが落とされたのは、息子の身代わりに落とされたとした方がよかったと思う)から保護するための守護者の役割である(ゲームの賞品に傷がついたらエリックとのゲームが成り立たなくなってしまう)。だから、彼らにはほとんど生き残る手段が与えられていないのである。誰よりも「生」への執着を示し自らの身体を犠牲にした者(本来のジグソウのゲームでは勝利者になれる)ですら、殺してしまっているのはこれがジグソウのゲームではないからだ。 確かに、前作のジグソウにしても、ゲームのためにプレイヤー以外の者が犠牲になることはあった(前作でアマンダが生き残れたのは、麻酔で身動きが取れなくなった生きた人間の胃の中から鍵を取り出せたというもの、そしてゴードン医師の家族など)が、本作に至っては、「生」の喜びを享受しない者への戒めという趣旨よりも、単なる「復讐」という趣旨に変わってしまっていることが分かる。「復讐」のためならば、他の人間の命を犠牲にしてもよいという考えは、初代ジグソウの理念とはだいぶかけ離れたものだ。「命」を粗末に扱っているのは、誰であろうアマンダということにはならないか。 このように、ややアマンダの哲学には賛同しにくい部分がある。「永遠に生きるためには人々の記憶に残ること」といったよく分からない理屈を持ち出しているのもあまりいただけない。 また、前作に引き続き、ゲームのプレイヤーが適していたかどうかが不明瞭だ。ゴードン医師やエリック刑事といった、人々を守るべき立場の者をハメル必要性があまり感じられない。確かにでっち上げや暴力によって逮捕していたかもしれないが、アマンダのような小娘ひとりをでっち上げで逮捕するメリットは正直あるとは思えず、普通に考えれば何らかの理由があったからではないか。「悪いことはなんでもやったがクスリはやっていない」というのは説明不足すぎる。
[映画館(字幕)] 6点(2005-11-02 23:45:42)(良:1票)
368.  シン・シティ 《ネタバレ》 
正直言ってロドリゲスは名前だけで才に欠ける男ではないかと思っていたが、大きな間違いだったようだ。原作は未見で、どういう内容の映画かも全く知らずに鑑賞したが、徹底したハードボイルドの世界と切ないラブストーリーが見事にマッチしており、さらにセンスある世界観がこのハードボイルドさとラブストーリーをより高次元のものにしている。この見事な世界にたっぷりと酔いしれた。 また、魅力とクセのある役者がそれぞれのキャラクターを見事に演じきっている。恐らく協同監督に原作者フランクミラーがいるためだろう。原作者がキャラクターの本質を徹底的に役者に仕込んだものと思われる。原作者を協同監督にできたのもこの映画の高評価の理由だろう。 また、この世界はバイオレンス溢れる罪深き街を描いているが、このバイオレンスさが全く下品に感じないのも良かった。これは恐らくコミック的な良さ(マーブは何度轢かれても死なない等)を活かしているからではないか。コミック的なものがこの世界を覆っているため、我々の世界とは違う別次元の世界と感じられるからグロさや下品さをあまり感じないのではないか。 【以下完全なネタばれ】 この映画は、ハーディガン(ウィリス)とマーヴ(ローク)とドワイト(オーウェン)の三人の男達(と女達)のストーリーであるが、それぞれのストーリーに深い意味を感じる。 自分を見失うことなく8年を耐え得ることができたハーディガンは、自分を生かしてくれた女を生かすために死んでいった。また、一晩限りでも女の温もりや愛を感じさせてくれた天使の復讐のためにマーヴは死んでいった。 自分を生かしてくれるのも女であり、自分を死なすのも女である。男というものは、女のために生きも死ぬもするという哲学が、この映画に一本筋を通している。 また、愛する女を守るために戦う男ドワイトのストーリーには、女のために男は必死にもなるが、女自身も守られるだけではなく、戦う強さも持ち合わせているということを感じさせた。この主演三人も素晴らしいキャラクターだったが、脇役のイエローバスタードとケビンも女と間違った接し方しかできない悲しいキャラクターではないだろうか。また、男をこうも動かす女の魅力を、ナンシー、ゴールディ、ルシール、ゲイル、ベッキー等々が存分に示してくれた。どう考えても美しくないデボン青木でさえ、魅力を感じてしまうのもこの映画の魔力だろう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-10-02 03:14:27)(良:1票)
369.  シンデレラマン 《ネタバレ》 
各試合白熱し、手に汗握りブラドックを応援し、彼の戦う姿にはそれなりに感動したので、悪くはないと断定できるけど、なんというかやっぱりロンハワードらしいなという感じ。 こんな例えを出してもここでは理解できる人は恐らく1割もいない気がするけど、柴田ヨシトミジョッキーみたいな気がする(分かる人だけ分かって欲しい)。 とにかく教科書的というか、公務員的というか、真面目なんだけど、思い切りのよさや冒険や攻めがなく、観ている者に面白みや驚き、サプライズを感じさせない。おっと思ったのが、試合が終わったのと同時に次の試合が始まっているという流れくらいか。あとはほとんど既視感を感じるシーンばかりだ(確かにサプライズで勝負する映画ではないのは分かるけど)。 演出に関して一点、自分で整理が付いていない問題がある。確かラスキー戦だったと思うけど、肋骨を怪我して、立っているのもしんどいという状態のときに、家族のことを思い出して相手に向かっていったようなシーンがあったと思う。まさにミルクのため、息子との約束のために戦うブラドックらしさを感じる演出ではないだろうか。 しかし、対ベア戦の際には、ブラドックが息子や娘、妻を想うシーンがなかったのをどう受けとめればよいのか自分では整理が付かない。 対ラスキー戦ではなく、対ベア戦の際に、家族のことを思い出すシーンがあれば、彼が戦う意味や彼が倒れることなく必死に戦う原動力を観客は再認識しながら応援することができるような気もする。他方、そんなシーンを入れなくてもブラドックが戦う意味は、母親に反抗して立て篭もってラジオにかぶりつきながら応援してくれる子どもたちや教会に集まった人々を映すことによって、観客は感じることができるので、改めてそんなシーンを入れるのは野暮ったいような感じにもなる。むしろ、ベア戦ではそんなシーンを入れるのは蛇足であり、ブラドックががむしゃらになる姿を映すことにより、ロンハワードは観客が自然とブラドックが戦う意味を感じ取るせるという流れに導くことにしたのだろうか。 しかしながら、試合のシーンが迫力がありすぎて途切れることなく続くので、かえって親子愛や夫婦愛、友情といったテーマがやや影を薄くしていないかという気がする。試合の途中でどっかでぶった切って、観客の試合への集中力を落とすというのも、考えられなくはない演出ではないだろうか。
[映画館(字幕)] 7点(2005-09-19 23:07:40)(良:1票)
370.  チャーリーとチョコレート工場 《ネタバレ》 
久しぶりに何も考えずに、肩のチカラを抜いて、2時間弱の時間をたっぷりと楽しめる映画に出会えた。バートン+デップ+エルフマンのコンビが素晴らしい映画を作り上げた。今回の主役は個人的にはエルフマンではないか。軽妙な音楽が映画に素晴らしい彩りを添えた。 それにしても、ワイルダー版に比べて、バートン版がもの凄く甘々な創りになっているのに驚いた。鑑賞前はワイルダー版よりもブラックビターになるのではないかと思っていたからだ。というわけでワイルダー版とバートン版を比べてみたい。ちなみに当方はダールの原作を読んでいません。以下、ワイルダー版はワ版。バートン版はバ版と略する。 ①「テーマ」ワ版は、子どもへの勧善懲悪をテーマに掲げたが、バ版が「家族の繋がり」をテーマに掲げたため、さらにより深みのある映画となった。 そのため、ウォンカ自身の成長も感じられる映画となった。大人が子どもに教えることだけでなく、子どもから教えられることもあるんだと、そういう強いメッセージもバートンは込めているのではないか。 ②「ウンパルンパ」バ版の首長、精神科医などツボに嵌まったが、表情をわざと殺しているため、個性がないのが残念。全てをディープロイに演じさせるのも悪くはないが、ワ版の個性溢れるメンツの方が楽しめた。ワ版の「側転」は必見。 ③「音楽」バ版のエルフマンの音楽は非常に楽しめたが、ワ版は全般にわたってミュージカル調に仕立て上げているのも見事だった。音楽に関してはイーブンという感じ。 ④「キャラクター」ウォンカを演じたワイルダー、デップどちらも良いが、登場の仕方は、よろよろと杖を付きながら登場したワ版の方がよかった。 ジョーじいちゃんは、ワ版の方がよりチャーリーへの強い愛情を感じた。子ども達は基本的にどちらも同じ感じだけど、バ版のバイオレットの母が強烈な印象を受けた。 ⑤「デザイン」工場内のデザインは当時の技術を考えると、ワ版は相当に優れていると思う。しかし、バ版のチャーリーの家のデザインは秀逸ではないか。相当の衝撃を受けた。ラストのオチにも繋がる良いデザイン。 ⑥「その他」バ版は、偽の当選者騒動がよい効果が出ていなかった。ワ版はもうゴールデンチケットはないけど、純粋にウォンカのチョコレートを食べたいという気持ちが、ゴールデンチケットを引き当てたと感じた。バ版はさらっと流したのがちょっと疑問だった。
[映画館(字幕)] 8点(2005-09-11 22:31:52)
371.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005) 《ネタバレ》 
巷では評判がよい本作ですが、有名らしい伝説のカルト小説の存在すら知らない自分にはちょっと向かない映画でした。一言でいえば、つまらなくはないけど、面白さを感じない。微妙にツボがずれている気がする(自分は宇宙船レッドドワーフ号の笑いは理解しているつもり)。 他の観客もそれほど大笑いしているという感じでもない。もっとも、本作は大笑いするというよりもクスッとくる映画ではあるが。 この映画のツボがたまたま自分に合わないのか、それとも他の多くの日本人にも合うのかどうか知りたいので、レビューが増えることを期待するけど、東京では六本木でしかやっていないのが問題。個人的には、よほどの原作マニアでない限り、六本木まで足を運ぶ必要はないのではないかという気がする。DVDを待っても良いのではないかと思える映画。 【以下ネタばれ含み】 原作を知らないのに語るのには抵抗があるが、なぜハマれなかったのか理由を考えてみたい。 ①「意外と真面目な映画に仕上がっていないか」 ユルイ笑いとナンセンスさが中心になっているかと思いきや、やや哲学的な内容を含み、どうでもいいはずのストーリーなのに真面目くさいのが肌に合わない。 「42」に対する質問や展開もユルくてもよいはずであり、白ネズミの存在や、地球再建なども明確的に描いて欲しかった。 ドアの音、ゼイフォードとフォードが飲む酒、無限不可能性ドライブ後の副作用などにはセンスや興味を惹いたが、やはり笑いと真面目さのバランス感覚が悪い。タオルとかイルカも使い道があったのではないか。肝心のガイドが大切なときに役に立たないというオチでもよい。 ②「せっかくのキャラクターが活きていない」 ゼイフォードを演じたロックウェルや、ハーマを演じたマルコビッチはそれなりの存在感を示したが、アーサー、フォード、トリシアが揃ってイマイチ。もうちょい個性的なキャラになり得たはず。いい味を出しているがマービンももっと笑いが取れるはずだ(緊迫感のある場で場違いな発言をしたり、皆から全く無視されるなど)。 アーサーはもっとマヌケ、悲観的役。フォードは逆に如何なる場面でも「don't panic」で究極の楽観的。トリシアはもっと不思議系でよかったのではないか。 ③この映画をみて「どこかに旅行にでも行きたいな」と思ったりもしたが、そういうテーマに対して上手くストーリーをまとめていない気がした。
[映画館(字幕)] 5点(2005-09-11 19:25:34)
372.  ビューティフル・マインド
人間の行動には計算で割りきれるような「答え」はない。 それは人間が全てのことを「頭」で考えて最良の結果になるように行動しているからではなく、「心」で行動しているからなのだろう。 ナッシュを支え続けたアリシアや、プリンストン大時代のライバルであり、晩年のナッシュを支えた友人がナッシュを助ける理屈などはない。 理屈などなくても、人々は行動する。それは人間には「美しい心」があるからではないだろうか。 宇宙の広がりが無限だと証明する手段がなくても無限だと知っているように、「愛」や「友情」の存在を証明する手段はなくても、「愛」や「友情」が確かに存在すると知っている。 人間の行動を計算することはできなくても、「美しい心」に裏打ちされた「理」は確かに存在するかもしれない。 ナッシュのゲーム理論については不勉強であり全く知らないので、ここで持ち出すべきか妥当ではないのかもしれないが、「人間の行動」をモデル化し理論化したものではないだろうか。そのナッシュの映画に対して、人間の計算できない行動を主題にしているのはとても面白いと感じた。 映画の創りとしては、序盤では、一人の学生の「すべてを支配する真理を見出したい」と夢にかける情熱的な姿を描く。中盤では、スパイ行為をサスペンス風に仕上げる。 そして終盤では、一人の男の人間としての復活をヒューマンドラマ的に劇的に描き出した。 これらの様々な要素を取り入れつつ、「夫婦愛(白いハンカチが象徴)」を映画の根っこに置いて一本筋のある映画に仕立てている。この点は評価されてもよいだろう。 ただ2時間余りでは描き出すのに時間の制約があり、夫婦の葛藤など個別エピソードは随分弱くなっている気がする。 ナッシュ自身の苦悩ももう少し描いた方がより分かりやすくなるのではないか。ナッシュは病状を悪化させないように、「すべてを支配する真理」の発見のような難しい研究は諦めているのではないか。しかし、自分には数学しかないから研究は続けざるを得ない。そんな苦悩や葛藤がもう少し欲しかった。 そんな苦悩や葛藤を描いた後に「学生に教える」という答えを導き出せば、ストーリーはより通るような気がする。それにしても、学生時代、教わるのを拒み、中盤の教授時代も人に教える姿勢も示さなかったあのナッシュが、最後の最後に人に教える(協調)素晴らしさに気づくというのもなかなかよい流れではないか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-09-04 22:13:58)(良:1票)
373.  パニッシャー(2004)
この映画を観終わった第一声は「「復讐」と「制裁」の違いって何かね」という疑問しか湧かない。 主人公は結構こだわっている様だったが、そもそもこの二者を分ける必要があるのかどうか分からない。 タイトルがパニッシャーだからしょうがないのかもしれないけど、映画を観る限り「制裁」にこだわる必要はないだろう。 観ている人であれば誰でもあれは「復讐」以外の何物でもないと思うだろう。 トラボルタ達は社会的害悪というような存在に描いていないのがまず一つの問題点。 どうしても「復讐」と「制裁」を分けたいとすれば、酒ばかり飲んでないでもうちょいちゃんと苦悩しろと言いたい。 「復讐」の気持ちと、元警官なのだからそれなりの善悪や法遵守的思想の狭間で揺れた結果、「自分を自分自身で殺す」=「人間らしさを自分から排除する」ような徹底さを自分に課さないとダメだろう。 そして、どんなに非情さに徹底しても、(家族を愛するような)人間らしさを完全に排除することはできないというオチに持っていくのが常道ではないだろうか。 ストーリーについてはアレコレと論じるまでもないほど相当に酷い創りである。他のレビュワーがおっしゃるように、この脚本と演出は相当レベルが低い。 最大の問題は、これも皆さんがおっしゃるように「金を置いていく」という最低なラストである。ピアス男は金が欲しいから、フランクの居場所を黙っていたのか。そうではないだろう。ピアス男にとっては、フランクはファミリーであり、友達だから裏切れないわけであり、そういうピアス男の問い掛けに対して、「さよならも言わずに金を置く」という答えを出すというセンスは疑いたい。そんなところだけ人間性を失ってどうするんだ、全く。 原作は全く知らないのだが、ギター男にロシア怪力男とキャラクターは多少面白くできそうなのに、全くキャラクターを活かすような演出はされていない。 隣人たちも然り。キャラクターが活かされていない。 悪役であるトラボルタを始め、ゲイのおっさんに、トラボルタの子どもである弟の方もキャラクターがなっていない。 そもそも主人公自体、あまり演技が上手いとは言えず、彼のキャラクターや存在感も薄すぎやしないか。 もっとハードボイルドにするか、相当渋くするか、相当ダークにするかなど様々な選択肢がある中で、最も安易で平凡な創りにしてしまっているのが勿体無いところである。
[DVD(字幕)] 2点(2005-08-28 21:13:17)(良:1票)
374.  愛についてのキンゼイ・レポート
無修正という事が少し話題になっているが、その点については全く衝撃を受けるものではないので期待しないように。それよりもエンディングクレジットの際に流れる映像の方がよっぽど刺激的ではないだろうか。 この映画は「性」についてオモシロオカシク描いたイロモノ的な映画ではなく、極めて真剣に真面目に創られている映画であるので誤解しないように。 映画は色々と考えさせられるところもあり、恐らくよい映画なのかもしれないが、どうにも自分にはピントが合わせづらい映画だった。 この映画は、今から50年前「性」という当時はタブーとも言えるテーマに果敢に挑戦した学者の苦難の半生という見方もできる。また、夫婦の愛を描いた作品でもあり、父と子の確執を描いた作品でもあり、「性」と「愛」の違いや、人間の個性についても描いた作品でもある。 しかし、それらを観客に明確なメッセージを込めて、ストレートに伝えるのではなく、かなりボヤッとした感じで描かれているという印象を受ける。 だから観る者が深く深く噛み締めれば、味が出るのかもしれないが、初見ではあまりピンと来るものがなかった。 というのも、自分はノーマルだと思っているからかもしれないが、自分がアブノーマルかもしれないと思っている人は観れば、特別に感じるものがあるかもしれない。 それにしても、例の出し方が上手いなと感じた。かなり危ない10秒オッサンとレズのおばさん、この二人を登場させることにより、キンゼイレポートの功と罪が明確になったように思える。
[映画館(字幕)] 5点(2005-08-28 13:47:29)(良:1票)
375.  コクーン
自分はまだ若いので、この「老い」というテーマを身近に感じられるわけではない。恐らく70、80歳になって、ようやく「老い」に対する自分なりの答えを出せるかもしれないが、現在の年齢でこの映画を観て、この映画に対する自分なりの'甘い'感想を述べたい。 他の人も言っているように銀河鉄道的発想でもあるが、人生や時間というのは限りがあるから、素晴らしいのではないかという根本的な発想が自分にはある。例え、永遠に生きられるとすれば、何もかも後回しになり、逆に何もしたくなくなるような気がする。 また、いかに自分の人生に満足できるように過ごせるかは、'若さ'というフィジカルな問題ではなく、時間や人生に対する考え方に問題にあるのではないか。それを'永遠の命'に回答を求めたところに、思想というか哲学の違いがある。 この映画を観て、老人たちが結局宇宙に行ってしまったのは、個人的には残念に思った。それが果たして本当の幸せを掴む方法なのかと疑問に思った。自分に残された人生を、娘や孫たちと過ごす数年と、娘や孫たちがいない一生を天秤にかけて、後者を選択することが果たして本当の幸せなのだろうか。 あの宇宙人たちも初めて仲間との死別という別れを経験し、恐らく初めて流したであろう涙や初めて感じたであろう別れの悲しみから、何を学んだのかということを問いてみたい。 したがって、宇宙に行くのは、奥さんを亡くし地球への未練を亡くしたバーニー(見送りに来た老人)と、宇宙人を愛してしまい別れたくないはずの船の操縦員と思われるが、全くの真逆の展開になったのは、ある意味でここまで感覚が異なるものかと、非常に面白いと感じた。 ラスト辺りで、必至に追いかけてくる孫の姿を見て、宇宙人なり、老人たちが真の生き方に気づくという展開の方が良かったのではないか。なぜ孫が追いかけてくるシーンを描いたのか。あそこまで必至になって慕ってくれる孫がいるのになぜ宇宙に向かうのかは分からない。やはり'その時'が来ないと答えは出ないかもしれない。自分はこの映画を反面教師として、高齢化社会に伴い、老人が老人として生きがいの持てるような社会を創ることこそが必要なのではないかと考えてみた。
[DVD(字幕)] 4点(2005-08-22 22:08:49)
376.  ヘルボーイ 《ネタバレ》 
CG、アクション、ストーリーなど全般的に安っぽさが目立っている。しかしながら、ストーリーに突っ込みたいところがあっても、「まあ、チープだからどうでもよいか」と大抵の部分は受け流せるようになっていたのである。 まさにマイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるという現象ではないだろうか。これを演出家が狙っていたのならば凄いと言わざるを得ない。これが「ストーリー」と「映像」どちらかを真面目に創っており、どちらかがダメダメであると、プラスとマイナスが足されてしまい、マイナスの映画になってしまう。この映画のマイナス度がよい相乗効果を与えているのではないだろうか。 この映画は悪い面ばかりではなく、良い面もあると思う。一本の映画にシリアス、ラブストーリー、アクション、ホラー、コメディなど多様な要素を詰め込んで、一本の筋のある映画にしている点は評価すべき(できればマイヤースとの友情も詰めて欲しかったが)。 ただし、評価はしたいのだがどれもこれも中途半端さが半端じゃないのも欠点になっている。もう少しメリハリを付けるべきだっただろう。「シリアス」ならば、教授とヘルボーイの確執や教授を嫌う理由をきちんと描けなければ、確執に裏打ちされた二人の「親子愛」を読み取れない。「ラブストーリー」ならば、ヘルボーイが容姿等を深く悩む部分、二人の想い出、彼女を救うところと彼女が救うところをもう少しドラマティックに演出しないと観客は共感できないだろう。 そもそも、この映画は盛りあがりに随分欠けるのではないだろうか。 ラストのラスプーチン戦も特段の盛りあがりに欠けているが、一番盛り上げる必要があるのは、ヘルボーイが己の角を折るシーンではないか。 この映画のテーマは、「人格や個性を形作る要因は生まれなのか、育った環境なのか、それとも…」というテーマである。その答えは、「何を選択したのか、人生をどう生きるのか」という答えである。重要な選択をするには、それだけ多くの迷い、躊躇、葛藤があるはずである。にもかかわらず、ヘルボーイは躊躇なく、鍵を開けようとし、葛藤もなく自分の角を折る。自分は悪魔なのかそれとも人間なのか、愛する人を救うべきなのか、人類を守るべきなのか、そういう迷いを観客に訴えるような演出や演技としては合格点は与えらないのではないだろうか。 それにしても、唯一クロエネンだけはカッコ良かったな。
[DVD(字幕)] 5点(2005-08-21 15:04:50)
377.  ゴッド・アンド・モンスター 《ネタバレ》 
観終わったあと何とも言い知れぬ感情を覚えた。ありふれた感動とも異なる表現しにくい感情を覚えた。この映画の本質を捉えるのは難しいかもしれないが、非常に「味」のある映画ではないだろうか。 解釈は人によって異なるとは思うが、自分が感じたことを色々と書きたい。 まず、なぜジミーは自殺したのかという点。 「ジミーは脳に障害を持ち正気を保てなくなる前に死を望んだ」という動機は誰でも理解できる。ただ、なぜ睡眠薬一気飲みをためらったのにプールで水死したのか。 それはジミーが「孤独な怪物」のままで死にたくなかったのではないかという気がする。クレイとのやり取りの仲で芽生えた「友情」と言ってよいのか分からない「二人の奇妙な関係」があり、また、自分のために裸になってくれる友、自分のために服を脱がせてくれる友ができ、「孤独な怪物」では「一人の人間」として死ねるからこそ、「死」という選択ができたのではないか。クレイが第一ボタンを外したあとのセリフ「あとは自分でやる」というのは、残りのボタンのことではなく「死」に関してのセリフと受け取った。 また、プールには色々と思い出が詰まっていたからなのだろう。 そしてジミーとクレイの関係。 個人的には、ジミーもクレイも「孤独な怪物」と感じた。その「孤独な怪物」を救ったのもクレイとジミーという「人間」だったようにも映った。孤独な人生から、死という救いへ導いたのはクレイであり、真っ当な人生を送れるように家族を作ろうという気にさせたのはジミーである。二人は互いに互いの人生を変えることができた。映画での二人の関係は非常に興味深い描き方がされている。 この映画の勿体無いところは、「同性愛」という面が目立ってしまうためにやや本質が捉えにくいのかもしれない。テーマとしては、友情、家族、反戦、尊厳死、人生、生き方など実に多くのことを詰め込まれた深い映画だと思う。 ジミーを演じるイアンマッケランがガチンコの同性愛者であり、それゆえ演技が抜群であることが映画に微妙な効果を与えている。 演出も相当に凝っており、他の役者の細かい演技や細かい部分(クレイには本当に盲腸らしき後がある)、音楽も素晴らしい。まさにプロの仕事だと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2005-08-20 12:36:04)
378.  シザーハンズ
自分が近くにいるだけで、愛する人や親しい人を傷つけてしまう。そんなどうしようもならない心の痛みをジョニーデップが繊細な演技で見せてくれた。彼の演技を見ているだけで自分の心が締め付けられるような思いを感じた。 ただ、エドワードの善悪を判断できない、やや行き過ぎた「ピュアさ」にはやや疑問だ。確かに人々の優しさに触れ、孤独な心が癒されていくエドワードのピュアさは大いに結構だ。しかし、どうにもならない苛立ちから壁紙をズタズタにしたり、壁を傷つけたりするという「怒り」に対する率直な行動や、また、愛する人のためなら盗むことさえも厭わない(ジムの家と知っていて入っている、オヤジの選択問題)という純粋さ。そして、銃を持っていたりしていたが、いくらなんでもあの無防備な状態のジムを惨殺するのは、あまりにも行き過ぎではないか。これらは、善悪の判断がないエドワードの「ピュアさ」が招いたことではあるが、このようなバートン ならではの尖った部分、ブラックさが、「クリスマスに雪は何故降るのか」という問いに対する答えがやや汚れてしまってはいないか。おとぎ話のような本ストーリーによい効果を与えたのかは少々疑問がある。 ありがちではあるが、ジムをストーリー上、殺すとしても、なんらかの事故によるべきであって、エドワード自身の手によって殺すべきではなかっただろう。個人的には、エドワードにはブラックなピュアさは不要であり、純粋に「ピュア」であって欲しかった。 また、「ピュア」だからこそなのかもしれないが、エドワードはキムの写真だけで好きになるという設定になっている。しかし、キムの優しさなり何か特別なものに惹かれるという設定の方が良かったのではないか。映画の設定ならば、あのユーモアある出会いでも構わないけど、キムとの出会いはもう少し特別なものであっても良かったのではないか。自分だったら、エドワードは城の上から、街を観察していて、キムのことを知っており、キムの優しさに特別な感情を抱き、エドワード自ら街に降りてくるというような設定の方がよいような気がする。このような設定でなくても構わないが、もう少し出会いや、エドワードがキムを好きになる過程、キムがエドワードを好きになる過程を工夫して、キムとエドワードの関係を膨らませた方がベターだと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2005-08-15 01:55:07)
379.  スリーピー・ホロウ 《ネタバレ》 
なかなか評価が難しい映画である。脚本は7点、演出は10点ということで平均すると8.5点なので、8点か9点にすべきかで悩むところ。 まず、本作を謎解きモノと考えればたぶん点数は低くなるでしょう。色々と風呂敷を広げた割にはストーリーが上手く整理ができていない上に、ストーリーを追った所で黒幕が誰かということに対して伏線が上手く張られていないので、観客やイカボットが黒幕を突き止めるという謎解き独自の面白さに対して評価はできない。 ホラーという点から見てもたぶん点数は低くなるでしょう。この映画を観て、ホラーだと思う人がいるのかどうかも分からないが、(首はいっぱい飛ぶけど)怖いと感じさせる部分は皆無と言ってよいのでないか。ホラー的な要素という点に対しても本作は評価はできない。 したがって、この映画はホラーでも、ミステリーでも、サスペンスでもない気がする。むしろ、新しいジャンルをバートンが創り出したのではないだろうか。バートン独特の世界を楽しむというのが、この映画の鑑賞スタイルのような気がする。スリーピーホロウを舞台に繰り広げられるスモークが掛かったようななんとも不気味な世界。ホースメンや魔女の妹、死の木など、今までの映画に観たことがなくどれも素晴らしいとしかいいようがない。 ただし、やはりこの手の映画なら登場人物等をもう少し整理して「謎解き」の要素を深めた方が映画としてはより評価されると思う。 また、本作は「魔女」をテーマに扱っている。黒幕は、母が周囲から魔女だと思われたため、村から追い出された恨みを抱えており、イカボットも母が魔女だと父から思われたため、母を父に殺されてしまうというトラウマを抱えている。それゆえ、イカボット自身、神を信じられなくなり、科学というか、原因と結果や理性といったものしか信じられなくなるというバックボーンがある。 そういう設定であるにもかかわらず、それらが何かうやむやにされた感がある。黒幕とイカボットはバックボーン自体は同じであるにもかかわらず、そういう設定が上手く説明・利用できておらず、ラストのオチとしては上手く落ちない感がある。科学信奉者が非科学的なものに挑戦するとういう設定自体は面白いが、その設定が上手くストーリーには噛み合わなかったかなという気がする。また、彼がこの事件を機にどのように変わったのかという視点を分かりやすく組み入れても良かったと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2005-08-14 16:18:35)
380.  ミッシング(2003)
映画自体は真面目に創られており、役者も子役を含めて上手い人ばかりでしっかりと演じられていると感じる。 しかし、映画ははっきり言って、面白くない映画としか言いようがない。 原作を知らないので映画化すべきか否かという根本的な問題は置いておいて、なんでこうも面白くないのかの原因を考えると「演出」と「脚本」に問題があったのではないだろうか。 「演出」の問題点は、圧倒的に緊迫感が欠如していると感じられる。 自分たちがいつ殺されるのかも分からない、リリーが無事なのかどうかも分からない、相手もよく分からないという状況下において、それぞれやけに余裕が感じられる。 極めつけは、救出後に山の頂上に陣を張っている際に、父が大切にしていた十字架を返すシーンだ。このシーンは、断絶していた父と娘が心から和解するシーンで、映画のキモでもある大切なシーンである。十字架が和解の象徴にもなっている。そういう大切なシーンだからこそ、戦闘状態という一種の緊張感とは異なる空気になっているが、どうにも相当の違和感を感じる。このシーンだけが緊張感がないと言っているのではなくて、やはり映画全体に漂う空気があまりよろしくない。もっと生きるか、死ぬかといった空気が必要ではないだろうか。 「脚本」の問題点としては、この映画は「親子の断絶と和解」が一つのテーマになっているはずである、にも関わらず論点がやや不明確になっている点が問題だ。この映画には、ジョーンズとマギー、そしてマギーとリリーという二組の親子が登場する。一方は母を捨てて突然いなくなってしまい亀裂が完全に入っている、そしてもう一方は暮らしに不満を抱き、母に対して怒りを抱えており今まさに亀裂が入りつつある。こういう二組の親子がいて、対比的に色々と面白くできそうなのに全く利用できていない。 一方の娘は父の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻し、もう一方の娘も母の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻すという二点がこの映画には必要であるが、ジョーンズとマギーの話で終わっているのが勿体無いと言える。しかも、「自分がいると家族に迷惑になる」というやや具体性に欠ける父の訳の分からない独白でしかないのも、感情移入ができない点となっている。 それにしても、アカデミー賞を取った次回作がアメリカだけでなく日本までもこれほどまで無視されようとは…。
[DVD(字幕)] 4点(2005-08-14 00:16:52)
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