1. ターミナル
《ネタバレ》 今日は数週間ぶりの休みだったので、たまには映画館で映画でも観ようと思い、迷った挙句にこの作品を選んだ。なんという無難路線!スピルバーグだし、ほかの作品よりハズレの可能性が低いだろう、との読みである。結果としては、まぁ読み通りであった。内容としては、特に目新しさはなく、いろんな作品で語り尽くされたようなヒューマンドラマといってよいだろう。しかし、この作品には、他のいろんな作品とは決定的に違う点がある。それは、「スピルバーグが撮っている」という点だ。具体的に言うと、カメラワークの違いである。普通の監督が普通に撮れば、おそらく動きのない、単調な映像に仕上がっていたところだろう。ところが、この作品では、広いセットを縦横無尽にカメラが動き回る。あるときは思いっきり引いて、またあるときは長回しなどしてみたりと、ベテランらしい工夫が見受けられる。それだけでもこの作品を観た甲斐があったというもの。個人的には、鏡に向かってビクターが「軽い食事でも…」と連呼するシーンが印象深い。まるでトリュフォーの「夜霧の恋人たち」の中のワンシーン(ドワネルが鏡に向かって恋人の名前を連呼する)のようで思わず笑ってしまった。2時間という尺の中で、すべてを説明しようとするのは不可能であり、その分内容が薄くなってしまっている感は否めないものの、それを補って、それなりに見ごたえのある作品に仕上げてきたあたり、スピルバーグの監督力を称えたい。 7点(2005-01-11 17:54:41) |
2. バスター・キートンの華麗なる一族(キートン半殺し)
《ネタバレ》 久々に投稿すると、投稿の仕方すら忘れてしまうものであるようだ。恐るべし。 さてさて、キートン映画である。彼の映画はいつ、そして何度観ても面白い。初めて観たときの感動、面白さはさすがに感じられないが、普通に観ても楽しめるし、新たな発見をすることもある。私のお気に入りのシーンは、なんといっても「家族の集合写真」のシーンである。あのシーンでは、あまりの馬鹿馬鹿しさに腹を抱えて笑ってしまった。あれは多くの人に是非観てもらいたいシーンである。ところで、1922年というとおよそ80年前である。そんな前に作られた映画が、我々を笑わせる。よくよく考えるとすごいことである。笑いはいつの時代も不変なのだ、ということを痛感させられる。この映画で発見したキートンのすごさ、それは、「喜劇」だけではなく「映画」としてのレベルの高さである。「蒲田行進曲」よろしく、キートンが階段落ちをするシーンがあるが、あのあたりのシーンを観ていると、それがよく分かる。このシーンでは、カメラが引いて撮っていることが多い。これは、アクロバティックなキートン映画を漏れなく撮ろうとした結果こうなったものと思われる。演技であれこれ挑戦しているキートンは、こういうところでもきちんと挑戦している。やはりキートンは尊敬に値する監督であり、俳優である。 8点(2004-12-24 14:49:06) |
3. キートンのマイホーム(文化生活一週間)
《ネタバレ》 キートンの作品の中で、自分の好きな作品を1本選べと言われたら、おそらくこの作品を選ぶであろう。正直ここまで来るとキートンが神様に見えてくる(笑)。この映画の凄さは、なんといってもキートンのアイデア力(ブッ飛んだ発想力)と、それを実現させてしまったスタッフ力にあると思う。まずアイデア力についてだが、これは言うまでもないだろう。家一軒を回転させたり、家に汽車を突っ込ませたりと、およそ凡人が考えつかないことを彼は平気で思いつくのである。そしてスタッフ力だが、回転する家や、歪んだりしてメチャクチャな家といった、およそ実現不可能なものを実際に作り上げてしまっているのだ。これには脱帽するより他ない。もちろん、今ならCGなど使えば実に簡単に処理できるのであろうが、この映画が撮影されたのは1920年である。この技術がいかに凄いかが想像できよう。この作品に対しては、内容云々もさることながら、この二つの力に敬意を表して10点としたい。 10点(2004-04-18 22:26:18)(良:2票) |
4. キートンの警官騒動
《ネタバレ》 キートン映画は、どれを観てもいいものである。何故なら、そこにメッセージ性がないからである(もちろん、全くないわけではないのだろうが)。何もしていないはずのキートンが、濡れ衣で警官に追いかけられるという、実にシンプルなストーリーなのだが、キートンの人間離れしたアクションが作品にアクセントをつけている。何故追われているのか、きっと分かっていないであろうキートン。でも、逃げるとなれば天才的な才能を発揮する彼は、よくわけも分からず逃げ、そして逃げ切れてしまう(そう、彼はどの作品でも大抵1回は何かから逃げているのだ!)。まぁ、ここまではいつものキートン映画だ。しかし、ラストがだいぶ違っている。普段のキートン映画ならば、大抵ハッピーエンドで締めくくられる。女性と結ばれる、というパターンが一番多いように思われる。ところが、この作品ではどうか。好きな女性にはフラれ、警官には捕まると、踏んだり蹴ったりである。そして墓石に帽子という、なんともブラックなエンディングである。いつものキートン映画とは違うキートン映画を観たい人にはお薦めの1本である。 7点(2004-02-22 02:36:48)(良:1票) |
5. 街の灯(1931)
《ネタバレ》 正直言うと、それまで私にはチャップリンの映画の良さが分からなかった。おそらくチャップリンの映画のメッセージ性の強さを理由にしていたのかもしれない。だったらキートンを観よう。何も考えずに(キートンに失礼だが)観られるから。そう考えていたのかもしれない。それはある意味で正しいのかもしれないが、実は彼の映画はそんなに単純ではなかったのだ。この映画には、メッセージ性以上に注目すべき点がある。それは、この映画で出てくる登場人物のキャラクター描写である。チャップリン扮する主人公は、浮浪者でありながらも好きな女性のためにあれこれ努力するのだが、その彼の行動をよく見てみると、実によくそのキャラクターが分かる。例えば、人が捨てた葉巻を、他の浮浪者を突き飛ばしてまで拾って吸ったかと思えば、強そうなボクシングの相手に媚を売ってみたりする。彼の中には、「卑しさ」が内在しているのだ。しかし、彼女の前ではそれを出さないように必死である。それと対照的なのが、彼の釈放後のシーンである。そこには、卑しい自分自身を取り繕う以前の彼の姿はかけらもなく、子供のいたずらに対しても本気で怒ってしまう。もうこれは絶望的である。この映画が、というかチャップリンがすごいのは、こういうシーンをちゃんと用意しているところだろう。絶望を見せておきながら、最後には彼女と再会をする。しかも、彼女が盲目だったので、手で確かめるあたりが心にくい。これを「良い映画」と呼ばずして、何を良い映画と呼べよう?観終わった後、私がそう思ったのは言うまでもない。 10点(2004-01-06 01:24:08)(良:4票) |
6. キートンの恋愛三代記
《ネタバレ》 キートンにしては珍しく教訓めいた物語である。原始時代、中世、現代の3つの時期を舞台にして、今も昔も恋愛事情は変わらないこと、結局愛は勝つ(そんな歌があったっけ)ことを、キートン自身が、まさに「体を張って」説いているのが本作品である。相も変わらず、キートンは飛んだり跳ねたりと大忙しである。アメフトのシーンなど、私はあまりの凄さに開いた口が塞がらなかったほどである。しかし、今回ばかりはキートンの「演技」(なのか?(笑))ではなく、話について書いてみよう。この映画のポイントは、なんといっても付属的に用意されたあのエンディングである。ご覧になった方はお気づきだと思うが、現代に近付くにつれて子供の数が減り、最終的には子供ではなくペットになっているのだ。キートンの時代には既に少子化が進んでいたのであろうか?いずれにしても、それをさりげなく、しかも分かり易くウィットに富んだ形で提示してきたキートンには頭が下がる思いである。 7点(2003-10-29 05:53:31) |
7. 裏窓(1954)
《ネタバレ》 やっぱりヒッチ、いや、ムッシュイッチコック(フランス人はHの発音ができないからこうなっちゃう)ってすげーなぁ、と、何度見ても思ってしまう1本である。絵(映像)の力を最大限に生かすことにおいては、この人の右に出る監督はいないのではないか?と思ってしまう位、彼の映像はすごいのである。まずオープニング。普通ならばナレーションで説明してしまうところなのだが、ヒッチコックは全てカメラ1台で説明してしまうのである。アパートの住民について、主人公の職業、現在、そして怪我した理由までを、全部絵で見せてくれるのである。だから話も早いし、次の展開にスムーズに入れる、というわけだ。次に、ジェフの「のぞき」。普通ならば、覗かれている本人をもっと撮るだろう。彼の部屋で、彼が何をして、何を思っているのか、いちいち説明してしまいがちであるが、ヒッチコックにはそれはどうでもいいようだ。いや、「覗く」ことで生まれる距離感を、彼はうまく利用しているのである。つまり、何をやっているのかわからない状態にして、「怪しさ」を醸し出しているのである。その辺の作りは見事としか言いようがない。それに、ラストのストロボをたくシーン。よくもまぁあんなものを考え出したもんだと思ってしまう。あのアイデアを捻り出すのに相当苦労したはずである。なぜなら、早々簡単に出てくるような類のアイデアではないからである。ヒッチコック万歳。私もこんな映画が撮れたら幸せだろうな、と思ってしまう。 [ビデオ(字幕)] 10点(2003-09-14 02:24:53)(良:2票) |
8. 知りすぎていた男
《ネタバレ》 ヒッチコックの世界、「映画術」を堪能できる1本である。特にコンサートのシーンは圧巻である。このシーンについて書く前に、その前のシーンについても言及せねばなるまい。まず、殺し屋とその親分が、首相暗殺の打ち合わせをするシーンが出てくる。そこで殺し屋は、「この音楽が流れているときに首相を撃て」と指示される。しかし、その音楽はわずか数十秒の長さなのだ。これがひとつの伏線になっているのだ。というのも、実際の音楽はものすごく長く、ここでそれをバラしてしまいたくないからである。で、実際のコンサートシーンでは、さっき一瞬で終わった音楽が実はものすごい長い曲であることがわかる。そのあいだカメラは何を追っているか?というと、コンサートシーン、ジョー、殺し屋、遅れて会場入りしたベンを交互に撮っているのだ。それを音楽の尺に合わせて細かくつないでいる。そうすることでどうなるか?というと、音楽がクライマックス(=暗殺の合図)に刻一刻と近づいていくのに、どうすることもできないジョー、必死で殺し屋のいる場所を探すベンという、絶望的な状況が鮮明になるのだ。だから、観ている我々も「間に合うのだろうか?」とハラハラしてしまう、というわけである。見事な「映画術」だ。しかし、ヒッチコック映画のいいところはそういう点だけではない。オチもきちんとつけてくれるのもヒッチコック映画のいいところである。来客中に家を出て行ってしまった2人が帰ってきたときには、お客はみんな寝てしまっていた。そこへ2人は何食わぬ顔をして帰り、こう言ってのける。「息子を迎えに行って遅くなっちゃった」と。お前はどこまで迎えに行っていたんだ?と観客が総ツッコミを入れたくなるラストなのだが、こういうユーモラスなオチも、前にハラハラがあるから余計に笑えるのだ。これだからヒッチコック映画は止められない。 9点(2003-07-10 21:06:35)(良:2票) |