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1.  バベル
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が、アメリカという国に目を凝らし、必死にとらえようとする力強さに溢れています。アメリカという国が持つ混沌は、そのまま世界の混沌にも相通ずるという主張が前提にあるように感じられます。それはアメリカいや白人社会から、監督ご自身や彼の属するヒスパニック社会に対して、長年投げつけられてきた視線や鬱積から生まれ、マイノリティだから達しえた視点が昇華し、今作品に結晶した。本作品には、悟りを開いた僧侶のような静かさ、痛烈な批判でもなく礼賛でもなく、今この瞬間を受け入れようとする監督の心を感じます。鮮烈な映像とカットの連続は、この瞬間も流れてゆく「現代」を切り取りたい捉えたいという監督の心の表れでしょうか。監督の作品は総じて“今この瞬間”という時代性・現実性に非常に重きを置かれています。古代のバベルがバビロニアつまり現イラクに位置するなら、現代のバベルは、そう…世界貿易センターということになります。数千年の歴史を経ても未だ相互不信と争いがあり、武器があり「銃社会」がある。一触即発のストレスの中を現代の我々は、生きているということなのでしょう。そんな中に一発の銃弾が入り込むだけで、人類が営々と築き上げてきた文明は、又は人々の暮らしや人生は、こんなにも脆くも崩れてしまうものなのでしょうか。全てが暗転してしまうかに見えたラストシーン、監督はささやかな光明を描いています。全世界の誰に対しても不幸は突然やって来る、そして人と人とが理解し合える瞬間は、宗教や民族や言語、貧富の差なんて関係のない、それこそ“素っ裸”になったか弱い人間でも生みだせるのですね。ああ、これで少しだけど救われる。この作品には、普遍的テーマを持たせつつも、コンテンポラリーと刺激にあふれているのです。
[映画館(字幕)] 10点(2007-05-03 13:47:06)
2.  華氏911
「目の前の悲惨な現実に対し、映画というメディアは何かできるか」「映画作家としてどこまでリアルタイムな映画が作りえるか」これこそマイケル=ムーア監督の挑みであり、映画作りの真の狙いなんだと思う。そして、その狙いどおりこのフィルムはまさに、この時代の中でリアルに呼吸している。また監督は、封切1年経たずに今作品をTV放映に漕ぎ着けるつもりらしい。公開1年未満でのTV放映はアカデミー賞選考対象外となるらしいが、それでも、このフォルムの“旬”を誰よりも分かっている監督だからこそ、賞よりTV放映を選んだのだろう。僕は、こんな監督の試みとガッツに惚れた。映画の新しい可能性を感じ取れる。このムーアという男の風貌や体格はいかにも白人アメリカ人だ。だけどその眼差しは、さらに弱者の側にある。やさしい視線と、批判の矛先へのシビアな追求。ここに監督なりの“自国の愛し方”が感じられるんです。このフィルムからは「ブッシュ大統領を中傷してやれ」とか、そんなマイナスなエネルギーはあまり感じられなかった。むしろ温かい前向きなエネルギーに溢れていると思う。それが監督の誠意と信念に立脚しているに他ならない。が、そんなマジなところを映画で見せるのは照れ臭いのだろう、ブラックユーモアいっぱいのマイケル節となる。この辺りもご愛嬌であり、ドキュメンタリーでありながら、マイケル=ムーア監督の作家性や、人となりがふっと垣間見れる。敵に回したらコワイが、結構イイ奴なのかもしれない。
10点(2004-09-21 01:37:09)(良:1票)
3.  ジェイコブス・ラダー(1990)
主人公ジェイコブは預言者です。彼が戦場で負傷し見たもの…それは生き長らえたとしたら辿るかも知れない“もう一つの自分の未来”。だからヴェトナム帰還後のニューヨークのシーンは、「黙示録(もしくは予言)」と呼んだほうがいいかもしれません。その自らの黙示録の中で、彼は人間という愚かな生き物が犯す罪の深さを、知ることになります。ここに、このフィルムのテーマ「罪」と「許し」を見出します。戦争という大量殺戮の「罪」、そして戦争に乗じて行われた国家規模の「罪」、許しがたいほどの悲惨な真実が描かれてゆきます。しかし…その渦中にいるジェイコブは、それら全ての罪を「許す」のです。不安、恐怖、怒り、恨み、妬み、悲しみ。このような負の感情を強く抱いて死ぬと、怨霊だの自縛霊として現世に残るのだとといいます。だとすればこの地上には、無数の亡者たちの怨念に満ち溢れている、まして戦場は最たるもの、です。この現世こそ地獄なのだよ…映画は不気味に語りかけきます。そんなこの世にいれば、僕もふくめ人類全体の「罪」の感覚なんて麻痺してしまっている。「許し」などとは程遠い現実があります。でもジェイコブは許す。その心はどこから生まれてきたのでしょう?その鍵は彼の息子・ゲイブの存在。息子を幼くして死なせてしまったという「罪」の意識にジェイコブは苛まれるも、ゲイブは父親に対し、恨みひとつ残すことなく「許し」天国へと召された。許すことの大切さを身をもって知っていた。この「許し」こそが、こんな地獄のような現世を救済できる大きなパワーとなるんだよ…と優しく諭しているようです。魂の救済は「許し」であり「愛」。使い古され干からびた表現ですが、この物語の流れの中では、それは清らかな水のように、僕の心の奥底にまで染み込んでくるのです。マイナスの感情が、解き放たれてゆくような気分にすらなります。主人公の受難に比べ、自分は日常において何と些細なことで、負のエネルギーを日々蓄積させていることか…と。ジェイコブは“恨み”を残すことなく、息子に導かれ「愛に死ぬ」道を選ぶ。僕はクリスチャンではありません…が、温かい光に包まれ“ヤコブの階段”をのぼるシーンに辿り着く頃、途方もない安堵と多幸感をジェイコブと共有します。たいがいあふれ出る涙で、主人公の微笑みを湛えたラストシーンは、かすんでよく見れないままエンドマークを迎える…というのが普通です。
10点(2004-02-01 01:21:50)(良:2票)
4.  2001年宇宙の旅
このフィルムが生まれた背景に「キューバ危機」と「ケネディ暗殺」が大きく影響していると考えているんです。核戦争による人類の一大危機を目の前に、クラークとキューブリックは、何か人類に“進化を促す”メッセージを送れないか、と考えたんだと思うんです。なぜ人は争うのか…映画はその問いかけから進化の壮大な過程を眼前に提示します。ここで「物質」と「精神」というキーワードが見えてくる。人類最初の道具となる骨が物質なら、宇宙船やHALもそうです。で、その道具を使うお猿さん、さらにボーマン船長らつまり人間も、その肉体に限って言えば物質です。モノはいつか壊れます。つまり「死」。死という恐怖が潜在意識に常にあるので、人間も動物も、つねに生存競争という輪から抜け出すことはできません。冒頭から様々な生存競争が描かれてきますね。お猿さん然り。また未来でも月面などの宇宙開発で、米ソの冷戦状態は続いているようですし。ボーマンとHALがチェスで戦う“前哨戦”のシーンあり、やがて本戦ではボーマンはHALを殺すことになります。もう物質としての進化に限界がきていることが暗示されます。ここで映画は“次次元への大きな進化の流れ”として「物質から精神へ」という壮大なビジョンを提示し、人類が元素でできた肉体の中に、「精神」という摩訶不思議な世界を宿していることを再認識させられます。物質としての滅び行く旧ボーマン(人類)を見せ、生存競争のカルマから解脱する新しい進化のビジョンを、新ボーマン(スターチャイルド)と表現し、人類の進化が肉体ではなく精神体という存在へと移行してゆくことを暗示します。そのスターチャイルドの精神レベルは「神意識」と呼んでいいでしょう。ここにも「死の恐怖を持つ潜在意識」から「神意識」への進化が見て取れます。その意識レベルから見たら人類の争いは、アメーバの同士の争いと大差ないでしょう。冒頭に戻れば、そんな超絶した精神的存在の先駆者が、愚かな核戦争をしようとしている人類(ルサンチマン)に「モノリス」をプレゼントしたわけです…そうまさに超人思想、ニーチェ。曲として「ツァラストラはかく語りき」が使われる必然性がここにあります。人類には、まだまだ無限の可能性が秘められているんだよ…クラーク&キューブリックの壮大なメッセージは、冷戦が収束した今もって新鮮であり、僕の魂をバイブレーションし続けます。
10点(2004-01-12 10:57:33)(良:3票)
5.  天国から来たチャンピオン
このフィルムは僕にとって“学校”なんだと思います、もちろん今でも!生まれて初めて、ちょこっとだけ“人生”ってものを、教わった気がします。主人公ジョーはわずかのうちに、波乱な人生を経験しながらも、でも受難とも幸運とも言える運命を素直に受け入れ、たんたんと生きるてゆくんですね。その姿勢は少なからず僕に影響を与えました。確かにあの頃を境に、ずっと前向きなれたような気がします。ジョーが飄々と歩くシーン、そう決してカッコイイ歩き方ではありませんが、僕に「ああ人生って、こんな一歩一歩の積み重ねなんだ…」と、日々生きる大切さを垣間見させてくれたんです。そんなジョーの歩に合わせるかのように、また背中を後押しするかのように、D・グルーシンのあの曲が重なってゆくんです、もう涙が出ますね。今でも毎朝、仕事場までの道のり、歩いているとあの曲が頭の中で自動演奏される。ホントこの一本に今だ、救われてます(笑)。
10点(2004-01-11 04:14:23)
6.  未知との遭遇
“人類が史上初めて“宇宙デビュー”を果たす、まさに「異文化コミュニケーション」の瞬間を描かれているわけですね。と、同時に人類の意識が、精神世界で語られるところの「宇宙意識」という、より純粋な心のレベルへと昇華する瞬間を描いている、とも言えるでしょう。このあたり「2001年宇宙の旅」にも通じるテーマではないでしょうか。本来なら難しい話になりがちな意識のありかたを、分かりやすく物語で表現してみせた!しかも、よくぞ発想したものと、今だに関心させられるのは、コンタクトの方法に、いかにもスペクタクル映画らしく、キレイな五音階と美しい光をシンクロして見せた!という点。やっぱりスピルバーグはスゴイ人。「宇宙意識」への扉は、光輝くUFOを素直に、アイスクリームだ!と言えるバリー坊やの様な心を持つこと。そう、この「子供のような純粋な心」がこの映画の魂。実にスピルバーグらしいです。映画の中の人々は皆、“宇宙デビュー”を経験し、心穏やかな、子供のような恍惚の表情を浮かべているでしょ(僕は彼らの表情を見るだけで、幸せになります)。それと同じように、観客にもこのコンタクトシーンを体験させ、恍惚感を共有しようとした…。秘密基地は礼拝堂、五音階を奏でるシンセサイザーはパイプオルガン、母船から溢れ出る逆光はステンドグラスか“ジェイコブスラダー”を意味する舞台装置なのでしょう。ラストシーンを観終わる頃、あなたは素直な心と穏やかな表情になれましたか?なれなかった人は、絶対マザーシップには乗せてもらえません(笑)。スピルバーグは、この映画で人々が子供の心を取り戻し、地球全体な平和になると、本当は目論んでいたかもしれませんね。
10点(2003-11-16 13:38:10)
7.  サイレント・ランニング 《ネタバレ》 
人間のエゴというものを、考えさせられます。自然環境の破壊が人類のエゴが原因ならば、自然を愛する一見イイ奴っぽいニューエイジ系の主人公も、物語が進むにつれ酷いエゴイストっぷりを見せ始めますし。そのエゴの果て“緑”を抱えて宇宙を放浪する孤独感が、ひしひしと伝わってきます。深読みすれば、これはナパームやら枯葉剤で、地球を痛めつけた70年代初頭のアメリカ人のエゴと心象の投影なのでは、とすら思えてきます。あ、そうそう、チミノが脚本を書いているのですね、“強いアメリカ”または“偉大なるアングロサクソン”と自らへの批判が、自嘲気味に出ているようにも感じられませんか?そうアメリカンニュー“SF”シネマ。宇宙空間にぽつんと浮いた植物栽培ドームで、ロボット君が地球最後の緑へ、ジョウロで水をあげてますね…心に痛いシーン。痛すぎて、たいがい僕は涙します。
10点(2003-11-12 18:14:24)(良:1票)
8.  カプリコン・1
コレ見たの小学6年生の冬休み、テアトル東京のシネラマで。この映画がボクに与えた影響、すっごく大きいのね。エリオット演じるコールフィールドに憧れて、結局ボクも新聞記者になっちゃったし。もう12年前に廃車にしちゃったけど、彼が乗ってたのと同じ赤のフェアレディZに一時期だけ乗ってたし。最近DVDで見直してみたんだ。なんか嬉しくて、涙が出たんですね。
10点(2001-06-24 21:23:02)(良:1票)
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