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ゆきさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 614
性別 男性
自己紹介  洋画は字幕版も吹き替え版も両方観た上で感想を書くようにしています。
 ネタバレが多い為、未見映画の情報集めには役立てないかも知れませんが……
 自分と好みが合う人がいたら、点数などを基準に映画選びの参考にしてもらえたら嬉しいです。

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1.  吸血鬼ゴケミドロ 《ネタバレ》 
 とにかくもう、展開が早い早い。  映画が始まって十分も経っていないのに「旅客機がハイジャックされる」→「不時着する」までを描き、その間にも「血の海のように赤い空」「その中を泳ぐように飛ぶ旅客機」「窓に激突して血みどろになる鳥」と、印象的な場面をバンバン盛り込んできますからね。  「爆弾魔は誰か?」「狙撃犯は誰か?」といった作中の謎も、手早く解き明かし「人間VSゴケミドロ」「人間VS人間」という対立劇に移行する。  その潔さ、割り切りの良さ、実に天晴です。  本作は国内外でカルト的な人気を誇っており、あのタランティーノ監督もお気に入りとの事ですが、その理由の一つは、この「早さ」が心地良いからじゃないかな? と思えました。   作品のテイストとしては、自分の大好きな「マタンゴ」に近いものがあり、ゴケミドロなんかよりも、人間の方がよっぽど恐ろしいと思える作りになっているのも特徴ですね。  日頃恨みを抱いている相手に、喉が焼けて苦しくなると承知の上で、水ではなくウィスキーを飲ませる件なんて、特に印象深い。  また、如何にもな悪徳政治家とその手下だけでなく、金髪美人のニールさんまでエゴを剥き出しにする辺りも、意外性があって良かったです。  ヒロインと並んで「善人側」であると思っていた彼女が、銃を手にして主人公に発砲し、自分だけでも助かろうと足掻く姿を見せてくる訳ですからね。  これは、本当にショッキングでした。   楠侑子演じる法子さんがゴケミドロに操られ「人類の滅亡は目前に迫っている」と語った後、笑って崖から身を投げるシーンも、忘れ難い味があります。  干からびてミイラになり、恐ろしい姿になっていた、その死体よりも何よりも(もしや、最後の笑いと自殺に関しては、操られての事ではなく、自らの意思だったのでは?)と思える辺りが怖いんですよね。  それは人間の意思がゴケミドロに敗北してしまった事の証明、狂気に負けてしまう人間の弱さの証明に他ならず、深い絶望感を与えてくれます。   そんな風に「テンポの良さ」「随所に盛り込まれる衝撃的な場面」などの長所がある為、細かな脚本の粗は気にならない……と言いたいのですが、ちょっと粗が多過ぎて、流石に気になっちゃう辺りが、玉に瑕。  まず、高英男演じる殺し屋は素晴らしい存在感があり、ゴケミドロに寄生されて襲い掛かって来る姿もインパクトがあって良いんですが、これって脚本的に考えると、凄く変なんですよね。  だって彼、最初から主人公達と敵対している殺し屋であり、別に寄生なんてされなくても、元々が銃を使って争っていた相手なんです。  にも拘らず寄生されてからはゾンビや吸血鬼よろしく、ゆっくりと動いて襲い掛かって来るのだから「見た目が怖くなっただけで、むしろ敵としての危険度は下がっている」訳であり、これは明らかにチグハグ。  ベタかも知れませんが、こういった寄生型の場合「本来なら敵対するような間柄じゃなかった相手に襲われてしまう」「善良だった人物が化け物に変わってしまう」という形の方が、よりショッキングだったんじゃないかなと。  もしかしたら「ゴケミドロよりも人間の方が恐ろしい。だからこそ寄生される前の方が危険な存在だった」というメッセージを意図的に盛り込んだのかも知れませんが、それならゴケミドロなんか襲来しなくても人類が勝手に自滅したという結末の方が相応しい訳で、やっぱりチグハグ。  脚本上の難点は他にも色々とあるのですが、自分としては、そこが一番気になっちゃいました。   ただ、バッドエンドが苦手な自分でも、本作の「人類滅亡エンド」に関しては、不思議と受け入れられるものがありましたね。  最後まで善良さを保っていた主人公とヒロインが、直接死亡する描写が無い事。  「宇宙の生物は、人間が下らん戦争に明け暮れている隙を狙って攻撃しようとしている」との言葉通り、戦争批判が根底にある事。  そして何より「人類が戦争を続けていると、何時かこうなっちゃうかも知れないよ」という反面教師的なメッセージが込められているからこそ、観ていて嫌な気持ちにならなかったのだと思われます。   そういった具合に、歪だけど不思議と整っていて、もしかしたら凄い映画なんじゃないか……と錯覚しそうになる。  そんな絶妙な、しかして危ういバランスこそが、本作最大の魅力なのかも知れません。
[DVD(邦画)] 7点(2017-10-28 06:41:00)(良:3票)
2.  機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY 《ネタバレ》 
 これは、ちょっと度肝を抜かれた作品。  軽い気持ちで観たところ(そこまでやるか!)(ここまで面白いのか!)と様々な衝撃を受ける事になりました。   文字数制限のギリギリまで使い、劇中で登場する「サイコ・ザク」の恰好良さについて熱く語りたい気持ちもあるのですが、その場合ガンプラや原作漫画の話題に逸れてしまいそうなので、ここはグッと堪え、映画本編の話を。   主人公二人は、軍規違反のラジオを用いて、音楽を聴きながら次々に敵兵を殺していくという、型破りなキャラクター。  その片方はジャズを好み、地球連邦軍に所属。  もう片方はポップスを好み、ジオン公国軍に所属。  そして連邦所属のイオはガンダムに乗り、ジオン所属のダリルはザクに乗って戦う訳だけど、どちらかといえば後者が主軸になっている辺りが、面白いバランスでしたね。  敵役の象徴であるザクに乗り、主役機のガンダムと戦う兵士の物語としては「ポケットの中の戦争」という先駆者が存在している訳ですが、本作はそれに引けを取らぬ程の名作である、と感じました。   ザクに乗った兵士がどんなにマシンガンを撃っても当たらない、視認出来ない程の速度で移動し、気が付けば目の前に現れて、ビームサーベルの一撃で無慈悲な死を与えてくる……という「ガンダムと戦う事の恐ろしさ」も、入念に描かれているのですよね。  そんなガンダムに搭乗するイオが「本当は戦いたくないのに、仕方なく戦う主人公」というテンプレとは一線を画する「戦うのが好きで、戦争って狂気の中でしか生きられない男」という性格設定なのも面白い。  そもそも彼にガンダム(=フルアーマー・ガンダム サンダーボルト宙域仕様)が与えられた理由が「これに乗って戦い、死んでもらった後に、英雄として喧伝する為」というのだから、凄い話です。   対するダリルも魅力的なキャラクターであり「傷痍軍人だけで結成された特殊部隊『リビング・デッド師団』の撃墜王にして、義足を装着した狙撃手」という肩書きだけでも、痺れてしまうものがあります。  金髪で鋭角的な美男子のイオとは対照的に、黒髪の穏やかな好青年といった容姿であり、哀愁を帯びた佇まいが、実に良かったです。   それと、基本的に本作は「戦争映画」としての純度が高い作品なのですよね。  優しい言葉を掛けてくれた女の子も、ガンダムに憧れる少年兵達も、次々に戦死していく理不尽さを、しっかり描いている。  特に後者は「ガンダムが無事に敵艦隊に辿り着く為の囮、捨て駒」という扱いなのだから、もう参っちゃいます。  「彼の右手を切れ!」の台詞も衝撃でしたし、怪我人を助ける振りして、自分が脱出ポットに乗り込む男という卑劣な描写があるのも良いですね。  モビルスーツによる戦闘を恰好良く、爽快感を得られる程に描く一方で、こういった「戦争とは本来酷いモノなんだよ」ってシーンを忘れずに盛り込む事は、とても大切だと思います。  ポインターでのビームサーベル誘導による敵兵の殺害など(そんな使い方があったか)と唸らされる描写もありましたね。   ア・バオア・クーの決戦にて、両脚が無いサイコミュ高機動試験用ザクと、片腕を失ったジムとの戦いを描き「手足を失ってでも殺し合いを続ける」人間の業の深さを強調している辺りも良い。  思えばそれは「めぐりあい宇宙」のガンダムとジオングの戦いでも象徴的に描かれているメッセージであり、本作が紛れもなく「機動戦士ガンダム」の系譜に連なる作品である事を感じさせてくれます。   戦いを終えて、サイコ・ザクの爆発を見届けるダリルの姿も、音楽と相まって、忘れ難い魅力がありましたね。  現実で手足を失っても、夢の中でだけは自由に動き回れていたのに、とうとうその「夢の中の手足」すらも失われた事を実感し、寂しげに佇む姿。  様々なものを失った代わりに手に入れた勝利が、如何に空しい代物かと、しみじみ感じさせる力がありました。   唯一の難点は、原作の関係上、あるいは「宇宙世紀という名の史実」の関係上、一年戦争を終えても、宇宙移民紛争に決着は付かない為「俺達の戦いは、まだ終わらない」という中途半端な結末である事でしょうか。  それでも、ラストシーンにおける「勝利を得た代わりに、絶望を背負って生き続けなければいけないダリル」と「敗北を経て捕虜になっても、諦めずに戦い続け、見事に脱出成功してみせたイオ」という両者の対比は、お見事の一言。  なので、やっぱり、この結末で良かったんじゃないかな……という想いも強かったりしますね。   ガンダム好き、あるいは戦争映画好きであれば、是非とも観賞し、その世界に浸ってみて欲しい一本。  オススメです。
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2017-05-31 20:17:21)
3.  恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》 
 とにかく恐竜の姿を見せずに焦らすもんだから「早くしてくれよ……」と、ヤキモキさせられましたね。  映画が始まってから四十分程が経過し、我慢の限界が近くなったところで、ボートに乗った女性が襲われるシーンに突入するという流れ。  ここで、それまで焦らされた分を取り戻すかのように、たっぷりとプレシオザウルスの姿を見せてくれたのが嬉しかったです。  女性が喰われるシーンが予想以上に残酷で、血生臭い演出であった点も、衝撃的でした。   ボートにしがみ付いてきて、まだ生きているかと思われた女性を引き上げたら、上半身だけの姿になっていた場面なんて、ちょっとしたトラウマ物。  この辺りの描写は恐竜映画というより、鮫などを題材としたモンスター・パニック物に近い魅力があったように思えますね。  実際に「JAWS/ジョーズ」の影響を受けて作られた品という逸話もあったりして、大いに納得です。   現代の観点からすると、ちょっと稚拙に見えちゃう特撮。  歌詞も曲調も、映画の内容と全然合っていない気がする歌やBGM。  「恐竜がいるなら翼竜がいてもおかしくない」という理屈で、唐突にランフォリンクスまで出てきちゃう脚本。  それらは普通なら欠点となりそうなところなのですが、自分としては妙に愛嬌が感じられて、憎めなかったです。  渡瀬恒彦演じる主人公が、恐竜の生存を信じていた亡父のロマンを受け継ぐかのような形で恐竜と向き合い「プレシオザウルス、お前はやっぱり生きていた……」と胸中で呟く場面なんかも、凄くシュールで、ほんのり情感も込められていて、何となくお気に入り。   それでも、いざ恐竜と怪鳥との戦いになると失速感が半端無かったというか「無理して戦わせなくても良かったんじゃないの?」なんて思えてしまったのが残念でしたね。  作り手としても力を込めたのは上述の「恐竜が人を襲う場面」であって、終盤の対決場面は、大してやる気が無かったんじゃなかろうか……って気がしました。  最後はお約束の「火山が全てを飲み込む」エンドだし、主人公とヒロインが溶岩に飲み込まれまいと樹にしがみついてジタバタする場面を延々引っ張るしで、流石にシュールさを楽しむ余裕も失せて、退屈な気持ちの方が強かったです。  主人公達が死んだのを連想させるバッドエンド風味なのも、好みとは言い難い。   とはいえ、最初から「奇妙奇天烈な怪獣映画」という予備知識があった為、大抵の事柄にはツッコミを入れながら笑って観られたし「予想以上に凶暴で恐ろしいプレシオザウルス」というサプライズもあった為、何だかんだで楽しめた一品でした。
[DVD(邦画)] 6点(2017-03-22 01:45:55)(良:1票)
4.  金閣寺 《ネタバレ》 
 1958年の「炎上」に比べると、かなり原作に忠実に映像化されている一品。   特色としては、エロティックな表現が強まっている事が挙げられそうで「米兵に指示されて女の腹を踏みつける場面」「母が不義を働く姿を寝床から見つめる場面」などは、思わず目を背けたくなるような鮮烈さがありましたね。  これらが単なる「観客へのサービス」で終わらずに「主人公が金閣寺に火を点けた理由」とも密接に絡んでいる作りには感心させられましたが、それによって主人公が単なるマザコン青年にしか思えない形となっていたりもして、少々残念。   母親と、主人公の初恋の相手である「有為子」の比重が増している為、金閣寺の存在感というか、重要性が薄れてしまっている点も気になりましたね。  何せクライマックスの放火シーンにて、火を放った直後には母の乳房に吸い付く幻影を見ているし、最後の一言は「有為子」であるのだから、結局主人公が執着していたのは「女性」であって、金閣寺の「美」に対してではなかったのだな……と、寂しく思えてしまいました。   主人公の友人である鶴川についても、比較的出番を確保されてはいたのですが、原作にあったような「主人公と明るい昼の世界とをつなぐ一縷の糸」というほどの重要性は感じられず、単なる男友達という枠の中に収まっていて、どうにも物足りない。  原作を未読の方からすると、鶴川の葬式で泣いていた主人公の姿が「どうして、そこまで悲しむの?」と、不可解に思えたのではないでしょうか。  内面描写が主となる小説ではなく、映画で表現する以上は、破天荒な柏木の方にスポットを当てるのが正解なのかも知れませんが「炎上」に続けて扱いが悪かった鶴川というキャラクターが、何だか哀れに感じられましたね。  主人公と正反対に思えて、その実は非常に近しい性質を備え持っていた彼が「自殺」という道を選んだからこそ、原作におけるラストシーンの「死を拒み、生を選ぶ」行為の美しさが際立つ訳なのだから、そこは外して欲しくなかったところです。   そんな不満点もありましたが「この世界の全てを拒んでいる有為子の美しさ」「神聖な儀式のように、茶碗に母乳を注ぎ入れる女性」などの場面が、丁寧に映像化されている辺りは、素直に嬉しかったです。  舞い散る火花を見つめながら、息を切らして煙草を喫む主人公の姿なんかも、金閣寺を征服してみせたという達成感、ギラギラした野性的な魅力のようなものが感じられて、良かったですね。  原作とも「炎上」とも異なる魅力を備えた、しっかりと完成された一品であったと思います。
[DVD(邦画)] 6点(2016-10-30 03:09:02)
5.  キングコングの逆襲 《ネタバレ》 
 「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)に先駆けて、劇中で「キングコング対メカニコング」を行っている事。  そして1976年版の「キングコング」に先駆けて「コングに同情的なヒロイン」を描いている事は、特筆に値しますね。  それらの要素は日米合作のテレビアニメ版(1967年)を基にしている為、単なる二番煎じとも言えそうなんですが……  見方を変えれば「アニメだからこそ許されるような展開を、実写でもやってみせた」という訳だし、本作の存在意義は大きかったように思えます。   個人的にお気に入りなのが、中盤におけるコングと恐竜との戦いの場面。  これは勿論、1933年版の展開をなぞっている訳なのですが「恐竜を倒した後に、顎をパカパカするシーンが無い」という違いがあったのです。 (あそこを再現するかと思ったのに、やらないんだなぁ……)  と寂しく思っていたところで、死んだのを確認しなかった報いとばかりに、実は生きていた恐竜がコングに噛み付く展開となり、これには (そうきたか!)  と嬉しくなっちゃいましたね。  倒された恐竜が泡を吹いてみせる姿は、現代目線だと間抜けに思えたりもするのですが、この辺りは古き良き特撮映画の愛嬌として、あたたかい目で見守ってあげたいところ。   クライマックスとなる東京タワー上での戦いも良かったですし、これまた1933年版の展開を逆手に取ったような「コングではなく、メカニコングが高所から落下する」という脚本でもってして、主役のコングを死なせずに、ハッピーエンドで終わらせた辺りも見事でした。   怪獣映画としては珍しく、人間ドラマの部分も退屈させないものとなっており、天本英世が演じるドクター・フーなんて、実に良い悪役っぷりだったと思います。  終盤、悪人であったはずのマダム・ピラニアが裏切って、味方になってくれる辺りは少し説得力に欠けますが、元々が謎の多い女性であった為「実は良い人だったんだ」と考えれば、何とか許容範囲内。   その他、当時の特撮邦画のお約束として、別の映画からの使い回し場面などもあり、色々と粗も見つかってしまう映画なのですが……  愛嬌の方が目立っていて、あまり気になりませんでしたね。   海を渡って故郷へと帰っていくコングの背中に「終」の字が重なって幕を引く演出にも、渋いなぁと唸らされました。  「キングコング」が愛される理由としては、ラストにてコングが死んでしまう悲劇性が大きいと思うのですが、それに対し本作では「コングが死なないハッピーエンドでも、これだけ面白い映画が撮れるんだぞ」と証明してみせた形になっており、大いに満足。  楽しい時間を過ごせた一本でした。
[DVD(邦画)] 7点(2016-09-23 01:19:12)(良:1票)
6.  清須会議 《ネタバレ》 
 冒頭、本能寺における信長の描き方によって「あっ、これコメディだ……」と気付かせてもらえた為、早い段階から史実云々とは切り離して楽しむ事が出来ました。   何といっても、大泉洋演じる秀吉のキャラクターが良かったですね。  猿にも鼠にも見えるという、その風貌の時点で素晴らしい。  おちゃらけていても、積極的に政略を張り巡らせる「働き者」っぷりも良かったですし、庶民からの成り上がり者である事を過度に美化したりせず、家族からは「百姓の心、失うとる」と非難され、白い目で見られるパートを挟むバランス感覚も、お見事です。  中でも特にお気に入りなのは、妻のねねが「今の暮らしでも、うちは十分幸せ」と優しく話しかけても「ここまで這い上がって来たんだで、途中で降りる訳にはいかん」と、その貪欲さを垣間見せる場面。  天下人となる秀吉の器の大きさが感じられる一方で、強過ぎる欲望ゆえの危うさ、陽性の狂気とも言うべき本性が窺えたように思えて、ゾクリとさせられましたね。  長年の友人である前田利家に刃を向けられた際「儂を斬れば、戦の世は後百年続く」と言い放つ姿なんかも、格好良かったです。  今まで色んな秀吉像を見てきましたが、本作の秀吉は、そんな中でも際立って魅力的であったように思えます。   丹羽長秀(信長派)と柴田勝家(信勝派)を長年の友人として描いている辺りも「ほほう、そう来たか」といった感じがして、面白かったですね。  黒田官兵衛も「頭の良い補佐役であるが、お茶目な一面もある」という描かれ方をしており、吹き矢の件や、三法師をあやそうとして盛大に泣かれてしまう場面など、親しみのある笑いを提供してくれている。  官兵衛に関しては「鼻持ちならない天才軍師」という描かれ方も多い人物であるだけに、本作の扱いは嬉しかったです。  遅参した滝川一益をあしらう場面で、硬質な有能さを示す一方、愛嬌のある間抜けな姿も見せてくれている訳で、変幻自在の水の如き魅力を感じられました。   そんな本作の不満点としては……映画全体で見ると、少々バランスが悪かった点が挙げられるでしょうか。  まず、肝心の清須会議が始まるまでが長い。  根回しの場面こそが重要なのは分かるのですが、実際に会議が行われる場面まで一時間以上掛かるとあっては「まだ始まらないの?」と、観ていて焦れてきちゃいますからね。  その対策として「旗取り大会」を挟んだのでしょうが、これに関しては完全に現在のバラエティ番組なノリとなっており、異質感が否めなかったです。  恐らくは秀吉が信雄に見切りを付けるキッカケの場面なのでしょうが、そんな事をしなくても散々「うつけ」っぷりを見せられた後であっただけに、今一つ必然性を感じられませんでした。   その後の「三法師こそが正しい後継者である」と秀吉が論じる展開についても、ちょっと違和感がありましたね。  観客に歴史の知識が無い場合、議論の場で唐突に「信長は生前、既に信忠に家督を譲っていた。つまり清須会議とは信長の跡継ぎではなく、信忠の跡継ぎを決める場である」という真実が明かされる形となっているので、これは如何にも不親切。  会議を始める前の段階で、絶対に説明しておかなければいけない情報ではないか、と思えます。   また、道化役の信雄こそが「この世は、生き残ったもん勝ちだ」という作中の台詞に当てはまる存在である事を、映画を観ただけでは把握出来ない辺りも、実に勿体無い。  この辺りは、作り手側に歴史の知識が備わっているからこその「皆、そのくらいは知っているでしょう?」という、無意識の怠慢に思えてしまいました。   更にキツかったのが、会議が終わった後の尺も長い事。   上述の秀吉と利家との会話なんかは凄く好きなのですが、それと同じように「男同士の友情」を示す場面として、丹羽と柴田の会話も描かれているので、何だか食傷気味に感じられるのです。  おまけに「歴史を動かす女の意地、女の怖さ」も市と松とで連続して描写されているので、どうしても「もういいよ……」と嘆息してしまいました。  相乗効果、あるいは対比の効果を狙ったのかも知れませんが、これに関しては「男の友情」「女の怖さ」で、それぞれ一つずつに絞って描いてくれた方が、好みでしたね。   それでも最後は、秀吉の力強い天下取り宣言で終わっている為、綺麗に纏まっている形なのは、何やら救われた思い。  確かな魅力を秘めている一方で、ちょっと豪華過ぎて、贅沢過ぎた辺りが、玉に瑕な映画でありました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-28 22:26:00)(良:1票)
7.  祇園の姉妹(1936) 《ネタバレ》 
 冒頭、タイトルが「妹姉の園祇」と表記されるのを目にして、これが戦前の映画である事を実感。   溝口監督作というと「雨月物語」が印象深いのですが、あちらと異なり、本作は「現代の観点からすると、ずっと昔の話」「しかし、制作当時からすると、紛れもない今の話」という時代設定なのが、何だか不思議な感じでしたね。  実に八十年前の映画でありながら「主人公の芸妓が、男どもを翻弄する姿の痛快さ」「ラストシーンにて、芸妓の存在そのものを嘆く姿の哀れさ」は胸に迫るものがあり、そこを考えると、やはり凄い作品なのだと思います。  涙を「不景気なもの」と表現するユーモア感覚なんかも、非常に新鮮に感じられて、良かったです。   ただ、歴史に残る名作に対して、こんな事を告白するのは心苦しいのですが、正直ちょっとインパクトが弱いというか、全体的に「平坦」な、盛り上がりに欠ける映画のようにも思えてしまい、残念でしたね。  上述のラストに関しても、ドン底の姉妹がここからどうやって立ち直っていくのだろうかと期待したのに、容赦なく「終」の字が飛び出すものだから、呆気に取られる思い。   この映画の悲劇的な結末を「芸術的である」「素晴らしい」と絶賛する人の気持ちも、分かるような気はします。  それでも、やはり自分としては、ハッピーエンドの方が好きみたいですね。   本作に関しても、たとえ逆境のまま終わるにせよ、主人公姉妹が我が身を憐れんで泣いて幕を閉じるのではなく、もっと力強く前を向いて生きる姿を示して欲しかったな、と思わされました。
[DVD(邦画)] 5点(2016-08-03 11:35:47)
8.  鬼畜 《ネタバレ》 
 これまた、何とも判断の難しい一品ですね。   まず、ストーリーは文句無しで面白い。  演出も冴えているし、主演の緒形拳も、難しい役どころを見事に演じ切っていると思います。  ただ、子役の台詞が……ちょっと棒読み過ぎて、辛かったです。   他人様が「棒読みだ」と指摘するような役者さんでも「これはこれで味があって良いじゃないか」と感じる事が多いはずなのですが、今回ばかりは白旗を上げてしまいましたね。  特にキツかったのが、岩下志麻演じる継母に折檻される場面で「痛い、痛い、痛い。放せ。やだよう」と言う息子の声が、どう考えても打たれている時の声じゃないんです。  それでも効果音で身体を叩く音が聞こえてくるし、岩下志麻の方は鬼気迫る熱演をしているしで、そのすれ違い様が実にシュールでした。   ただ、そんな子役達も、黙って大人を見つめる時の目力は凄いものがあって、それには素直に感心。  また、上述の棒読み演技が効果的に作用している面もあり、ラストシーンの「違うよ、父ちゃんじゃないよ」に関しては、感情が籠っていない声だからこそ良かったのだと思いますね。   この場面、脚本の流れを考えれば「息子の利一が嘘をついて父親を庇っている」はずなのです。 (父子で新幹線に乗っている時、父親の懐具合を思いやった息子が、車掌に嘘をついてみせるのが伏線)  けれども、その感情の窺えない、どこか突き放したような声色がゆえに「息子を捨てたりした人間は、父親なんかじゃない」という意味合いも含んでいるように聞こえてくるのですよね。  意図的な演出だったのかどうかは分かりませんが、結果としては、映画に深みを与える形になったんじゃないかと。   娘が東京タワーに捨てられるシークエンスにも、印象深い場面が幾つもありました。  父親が娘に対し「父ちゃんの名前、知っているか?」「お家はどこだ?」と確かめて、娘が幼く無知であり、我が身に警察の手が及ばない事を確信してから捨ててみせる流れなんて、観ていて恐ろしくなります。  何かを勘付いたのか、娘が中々父親から離れようとしない辺りの演技も良かったですし、父親が娘を置いてエレベーターに乗り込んだ際、閉じゆくドアの隙間越しに、一瞬だけ父娘の目が合うシーンの衝撃も、これまた凄まじい。  希望的観測ですが、あの娘さんに関しては、途中で出会った優しい着物の婦人に拾われて、幸せに暮らす事が出来たのだと思いたいですね。   利一が、楽しそうに笑い合う他の家族を見つめて「何故自分達はそうじゃないのだろう?」とばかりに、寂しげにしている姿も切なかったし、前半と後半にて「子供の口に無理矢理ものを押し込む親の姿」を二度描き、最初は同情的だったはずの父親さえも、継母と同じ鬼畜に堕ちてしまったのを、間接的に表す辺りも上手い。   全体的に息が詰まるような、苦しい映画だったのですが、そんな中、田中邦衛に大竹しのぶなど、子供達を保護する警官役が本当に善良そうで、優しそうで、観客にも癒しを与えてくれた辺りは、嬉しかったですね。  こういったバランス感覚の巧みさが、本作のエンタメ性を、大いに高めているのだと思います。   この映画を観終わった後、自然と脳裏に浮かんでくる「一番の鬼畜は、誰だったのか?」という問い掛け。  自分としては、父親でもなく、継母でもなく、三人の子供を残して姿を消した、小川真由美演じる菊代が一番酷かったと、迷いなく答えられますね。  彼女の顛末は語られず仕舞いですが、せめて遠く離れた場所で、子供達の幸せを祈っていたのだと思いたいところです。
[DVD(邦画)] 7点(2016-08-03 06:44:49)(良:4票)
9.  気球クラブ、その後 《ネタバレ》 
 青春の「その後」といっても、続きではなく終りの話であった訳ですね。   気球クラブ「うわの空」にて、情熱を抱いて気球を飛ばしているのはクラブの創設者である村上しかいない。  その他のメンバーは、主人公の二郎を含めて「本当は、気球なんかどうだって良い」と考えているような奴ばかり。  序盤は、この設定に対し(それって、村上以外のメンバーは楽しいの?)と疑問を抱いてしまい、今一つ映画に入り込めずにいたのですが「花見」という喩えが出てきた場面で、ようやく納得する事が出来ました。   頭上に美しい桜が咲いていても、集まった連中は殆ど見ていない。  ただ酒を飲んで、騒ぐ口実が欲しいだけ。  気球を飛ばす事に「夢」を見出している村上の存在は、酒の肴であり、宴の名目であり、単なるシンボル以外の何物でもなかったのだなと、微かな寂しさと共に理解させられました。  「気球クラブの部屋に一人でいる時に、誰かが入って来て、こう言うの」 「なんだ、まだ誰も来てないのって……私がいるじゃん」  という台詞なんかは、凄く印象深かったです。  クラブのメンバーが求めるのは「個人」ではなく「集団」であった事が窺えるのですが、それよりも何よりも、単純に発言者の女性が可哀想で仕方ない。  そういう場合は、せめて「他の皆は来ていないの?」と言ってあげたいものですね。   村上の死を契機に、気球クラブのメンバーは再び集まって、昔のように気球の中で、最後の宴会を開く事になる。  そこで「もう二度と会わないから」と、互いの携帯番号やメールアドレスを抹消する訳ですが、それが非常に爽やかに、明るく描かれているのも驚き。  けれど、その明るさは決して前向きなものではなくて、どこか後ろ向きであるように感じられるのです。  この映画の主人公が、夢追い人の村上ではなく、傍観者の二郎である点も含め、伝えたかったテーマとしては「夢を抱き、追い続ける事の素晴らしさ」ではなく「夢を抱かない人間の虚しさ、夢を諦めてしまった人間の切なさ」であるのかな、と思わされました。   その後の「ボクは社会人の振りをして生きるのがうまくなった」という独白。  忙しない日常の中で、空飛ぶ気球を見つめて、淡い笑みを浮かべる登場人物達の姿。  ここで終わっていれば「爽やかな青春映画」と評する事も出来たのですが、そうさせてくれない辺りが、園子温監督。  時間軸を巻き戻して「村上と、彼の恋人である美津子が、気球クラブを作った頃の話」を描き、映画に深みと苦みを与えてくれているのですよね。   このエピローグによって「誰が電話しても繋がらなかった美津子が、二郎の恋人からの電話は受けた理由」が明かされる形となっており、それには感心させられたのですが、最後の最後で「村上が風船に託した手紙の中身」を明らかにしなかった事は、大いに不満。  こういった謎を残す形の方が、余韻が生まれて良くなる場合もあるのは分かりますが、完璧に謎のまま終わらせた訳ではなく「主人公の二郎は手紙を読んだのに、観客に内容は明かさないまま」というのが、何とも意地悪に思えたのですよね。  それなら手紙を拾っても開封しないまま、秘密は秘密のままで、再び空に浮かべてあげる形にして欲しかったなぁ、と。   仕方ないので、以下は自分なりの推理。   気球で二人きり、空を飛びながら村上に求婚された際「地上で、これ(指輪)を渡して欲しい」と応えた美津子の台詞からは「もっと地に足を付けて、立派な社会人となってから求婚して欲しい」というメッセージが窺えます。  そんな美津子の提案を、村上は受け入れられず、地上で指輪を渡す事は出来ないままで、二人は別れてしまいました。  そして「僕の気持ちは変わらない」という村上の台詞。  別れた後でさえも村上が「手紙の中身」を明かせなかった理由。  二郎が手紙を読んだ際の、全く驚きが窺えない表情。  他の誰にも内容を明かさず、再び手紙を空に浮かべるという選択。  以上の判断材料からするに、そこに書かれていたのは「既に皆が知っている事」「今更明かす必要も無い事」であったと考えられます。   つまり、手紙の内容とは「いつか空の上でプロポーズさせて下さい」だったのではないか、と推測する次第です。
[DVD(邦画)] 7点(2016-07-27 07:30:09)
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