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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  怖がる人々
まず「箱の中」。なんかつい撮影状況を想像するほうで楽しんでしまうところがあって、映画として楽しめたかは微妙。警備員の声は届くが、こっちの声は聞こえてない、という状況。「吉備津の釜」。記憶が立ち上がってくる気配がいい。オチがついてかえってつまらなくなってしまう例。「乗越駅の刑罰」。斉藤晴彦はミスキャストだったが、萩原流行は意外と気にならなかった。花王おさむがいい。不当な非難じゃないんだよね。こっちにもちょっと疚しさがあって、これがあると身に沁みる度合いが深まる。たとえば『激突!』がそうだったように。身内までも糾弾に加わってくる。杉山とく子もいい。「火焔つつじ」。ここでは脅かすものが登場しない。女の嫉妬なんだけど。なかなか開かない雨戸の外にある。二人のときに長回しって効果があるみたい。「五郎八航空」。最後は笑いで締める。理解しがたい状況もの。じっくり怖がらせてくれる一本の映画の方が好きだけど、いろんな「怖い」のパターンがある、という索引の面白さを見せるオムニバスだった。
[映画館(邦画)] 6点(2010-12-27 14:46:46)
22.  恋する女たち(1986)
学園もの、初恋もの。こういうのは最初は己れの周辺の話として観ていたものだが、やがてある段階から「最近の若い子たちはこんな感じなのかねえ」という気分で観るようになっているのに気づき、シミジミさせられる。この時代ぐらいになると、もう親の呪縛からは完全に解かれていて、その世代だけの物語となる。そのぶん大人の絡むシーンはだいたい不調。現実の反映なのか、理想としてなのかはよく分からないけど。見つめるだけの禁欲的な憧れの世界。オタカさんは窓から野球少年を見つめ、少年は図書室でオタカさんを見つめ。喋れば思いばかりが先に立ち、口がまわらなくなり、あるいは心が後ろに引っ込んで、字幕となって悪態をつく。学園の青春は不変です。「野球好きなの?」「ヤクルト」「飲み物のこと言ってんじゃないのよ」「!?」で思いがばれちゃうなんてとこ、おかしかった。自分の思いを隠そうとするヒロインてのが、不変の味わいなんだろうなあ。地方都市のなんかシマッテない感じが良い。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-08 10:40:11)
23.  殺したのは誰だ
“玉突き事故”って言葉があるくらいで、車とビリヤードはイメージの世界では接近している。この映画、保険金詐欺の話なんだけど、車の事故とビリヤードが実際に重ねられるところがミソ。どっちも金を賭けてのぶつけっこ。ロータリーへぶつけようとして逸れるところ、あるいはぐるっとまわってもう一度迫るあたりは、完全にビリヤードと対比されている。中央に据えたカメラの回転にあわせて幾多の車が走っていくのなんかも、ビリヤード的。車が夢や憧れだった時代、犯罪と遊びがどっちも日常からの解放を夢として差し出してくれた時代だ。当時のちょっとシャレた“イカす”感じが伝わってくる。この監督作品は銀座界隈をよく記録しておいてくれてるのが嬉しく、アタマには並木座が映った。小林旭が若々しい青年だったが、デビューしたてのころだな。
[映画館(邦画)] 6点(2009-09-01 11:56:42)
24.  この広い空のどこかに
小林正樹の代表作リストを眺めていると、最初松竹の監督だったとはとても思えないんだけど、ちゃんとこういうホームドラマも作っているのだ。シナリオは木下恵介の妹の楠田芳子。川崎の酒屋。かわいい嫁さんが似合う久我美子。高峰秀子は松竹の明るい木下系の役でなく、東宝成瀬系の陰気を引きずっている。ここらへん監督が後年東宝でいくつか映画を撮ることになる予感か。まさか。商店街と土手が一緒にある場所を日本映画はとくに好んだ。戦災で脚を傷めた高峰がしばしば訪れる。とても絵になる。商店街という人間関係の濃密な場と、土手というそこからの息抜きの逃げ場があることで、ダイアローグ的な展開とモノローグ的な展開とを整理しやすいのかも知れない。ホームドラマのテーマは、「一人一人はいい人なんだけど、うまくいかないのよね家庭って」ってところに集約され、それがやがて時の流れとともに溶け合っていくのを肯定的に捉えるのが定番、もひとつ掘り下げがないのがもどかしい。二階では若夫婦がラ・クンパルシータを踊り、階下では陰気に姑と妹、それぞれにお菓子の缶がある、なんて描写。脚の悪い高峰が、手の指のなくなった男の縁談が来て傷つくところなんかは、ハッとさせる。後年の小林監督の社会性も、ちゃんとこうした庶民生活のささやかな残酷のスケッチという基礎があるからしっかりしていたのだ(なのになぜか場内で笑いが起こったのが分からない)。またこの映画、かつての酒屋の店先というものの記録にもなっている。屋根の上の物干し場とか。当時の多摩川のボート場も記録されている。
[映画館(邦画)] 6点(2009-07-04 12:08:14)
25.  獄門島(1949)
映画の中では誰もが「ゴクモンジマ」と発音していた。ついでに言うと“分鬼頭”は「ブンキトー」。これは同時代の物語だったのだ。引揚者のゴタゴタがまだ生々しかった時代。ラストに封建的なものへの批判が付いているのも、いかにもである。崑映画のノスタルジー的な味が入り込む余地がない。現実そのものだった。横溝ミステリーって、けっこう発表時ではリアリズムだったんだな。それにしても奇妙な気分である。崑作品のイメージが強いので、往年の名優たちによるリメイクを見ているような倒錯感。金田一が時代劇禁止中の片岡千恵蔵(いたってダンディ)。警部が大友柳太朗(何言ってんのかわかんない)。いい娘は三宅邦子で、島の警官が小杉勇、和尚が斎藤達雄、一番びっくりしたのは白痴三人娘の一人が千石規子だったことだ。やっぱりこの白痴三人娘はいいなあ。絢爛としたものが暗い風土の中を狂って駆け抜けていくってイメージは、横溝世界の芯であろう。海のギャングとの銃撃戦などで、壁に隠れてバキューンとピストルを撃つときの、片手で脇に低く構えたあの格好が懐かしい。実録やくざ映画あたりから、腰を落として両手で構えるリアリズムになってしまったが、昔の探偵はスタイル重視、反動もなんのその、片手でかっこよく撃っていたのだった。縁側のマムシを撃ったところでは場内が沸いた。犯人指摘の場で金田一が大笑いするのは、多羅尾伴内と混ざってる。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-14 12:18:37)
26.  恋の片道切符 《ネタバレ》 
60年の新宿を、それも大通りではない新宿をたっぷり見せてくれる。ロカビリー歌手をめぐる物語。ポスターの多用。人の通行と直角に立っている、壁に貼られた薄っぺらの人間。時代のイケニエとして消費されることを自覚している若者たち。現在から見るとそのナイーブさが滑稽と紙一重なんだけど、そのじれったいぐらいのナイーブさがラストで弾け、若者同士が傷つくという構図。やはり、怒りの映画の時代なのである。人間関係から逃げていた小坂が、ラストで急速にピストル犯になるところがサプライズで、社会的成功を軽蔑していたはずの者の底にも、わだかまりが眠っていて、それが一気に顕在化した、というか。テープが飛びくる通路を歩く小坂のあおり、ステージ前まで来て、ふと煙草を口にくわえる、彼の内面が切り替わっていくところの描写が的確。篠田のデビュー作。助監督に山田洋次。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-09 12:17:33)
27.  KOROSHI 殺し
仕事ってものには残念ながら他人を損ねる要素があり、この映画の失業者らが殺しの循環をしている構図には、けっこう現代を突いているものがあった。たとえば、アメリカの生活の苦しい者たちが軍へリクルートされ、成績を上げようと懸命になってイラク人を殺している図を重ねられそう。石橋凌にもう少しオカシサが出ていればもっと良かっただろう。緒形拳が話を持ち込んできたとき、冗談じゃないかとか、ドッキリカメラじゃないかとか、もっとそれらしいリアクションがほしいところ。荒涼とした白の世界。外で回る風力発電の風車、室内で回る扇風機。被害者が画面の外に歩き出たところで銃声が轟く殺しの場。題名の刺々しさと裏腹な静かな画面展開がいい。ラスト、緒形が石橋の目を見つめるところで、「決して相手の目を見てはいけません」が生きた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-30 12:14:10)
28.  香華
木下恵介における母は、親としての母よりも、家族の軸としての母としてより重要だった。「二十四の瞳」の生徒と女先生もそのヴァリエーションだったわけ。でも本作では、あくまで娘と母との関係が中心。家なしでやっていこうとした娘(岡田茉莉子)と母(乙羽信子)との葛藤の話。家族の軸になろうなんてこれっぽっちも思っていない母をめぐって、家という枠から脱した一代記ものドラマがドロドロと展開するところが、木下としてはかなり異色作である。家から浮いてしまった女性だから、あれまで墓に固執したということで、家のモチーフは底に潜んではいるのだけれど。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-06 12:16:44)
29.  ここに泉あり 《ネタバレ》 
納得半分、反発半分。納得は、岡田英次の脇に小林桂樹を置いたことで、これが適度に批判者の役を持ち、いやらしさを緩和させている。一つの文化に接触させる機会を地方に与えるというのは、悪いことではない。ただそこに中央から周辺への啓蒙という意識が加わると、どうしても反発を感じざるを得ない。山奥の子どもたちに「彼らもあのまま木こりで終わってしまうんだなあ」などと上から憐れむような態度を見せられると、それは違うでしょ、と思う。楽団員たちが聞けない美しい音(たとえば小川紳介の「ニッポン国古屋敷村」で出来たての炭がたてた澄んだ響きのようなもの)が確固としてあるわけだ。地方で生まれ地方だけで充足している文化というものがあるわけだ。中央的なものを地方に広めることが文化活動のすべてであってはならない。中央の山田耕筰を連れてきて「オーケストラの少女」をやらないと映画が終わらないところに、都会人の作る良心的社会派映画の弱さがある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-03 12:22:34)
30.  コワイ女 《ネタバレ》 
1話と3話はすでにある定型ホラーをモデルとした習作、といった出来だが、2話の「鋼」はオリジナルな世界を作ることに成功している。箱入り娘ならぬ袋入り娘とデートする話。しかもこの袋は彼女を大事に保護するためではなく、どうも彼女が周囲に危害を加えないようにくるんであるらしいのだ。その奇妙なデートを通して、娘ハガネちゃんの顔は見えず声も聞こえない。なのにしだいに彼女がかわいくすら思えてくるのは、けっこう「少女」の普遍を描けているからだろう。ドテッと転んだり、ちょっと目を離すと川に浮かんでたりするトラブルメイカーぶり、気分しだいで親しみと攻撃が目まぐるしく交錯する移り気、少女はこういう鋼を隠し持っているもの。彼女サイドから見れば、女シザーハンズの物語としてこの映画を捉えることもできる。黙々とミシン(マシンでもある)を踏むシーンが彼女の孤独をチラリと浮かばせた。また青年の側から見ると、純情とはいえ思春期の男、カラダさえあればあとはどうだっていい、という気持ちがなかったとは言えず、本当にそうかな、という脅しを含んだ問い返しの映画にもなっている。妹思いの優しさがそのまま不気味さにもなる兄、というヘンテコな役をリアリティたっぷりに演じるとなると、今や香川照之以外考えられなくなった。
[DVD(邦画)] 6点(2007-12-31 12:28:39)
31.  恋と涙の太陽
主人公はヘリコプター操縦士の橋幸夫、古風な漢方薬店のせがれ。家に対しては革新的な立場から文句を言っているが、女医倍賞千恵子と見合いをする段になると「女だてらに」の保守派になる。この翌年に作られた日活の『夢は夜ひらく』では横浜ドリームランドが登場したが、本作は富士急ハイランド。大型レジャー施設が客を集めようとし始めた時期だった。妹が早瀬久美(新人の但し書きつき)、芸者が山東昭子で三枚目役。恋のライバルに香山美子、これが漢方薬に通じる古風な日本舞踊の世界の人。樹海の中のわざわざ開けたところで倒れていて橋に発見される。待田京介がチョロチョロ出る悪党。味わいとしては橋がホテルで香山と話し合っていたとき突如歌いだす瞬間のときめき。出来ることならバックの楽団なりコーラスなりが慌てて登場してきて欲しかった。
[映画館(邦画)] 5点(2013-11-26 09:45:32)
32.  ゴジラVSキングギドラ
日本とゴジラの関係の変遷を見ると、この国の戦後史を語れる。日本人にとってゴジラとは何だったのか。最初はストレートなもので、原爆であり戦争だった。それが地球防衛軍的なものになっていき、本作に至ると、実にややこしいものになってしまった。その「ややこしさ」の提示が本作の意義。ちょっとハッとさせられたのは、土屋嘉男とゴジラが見詰め合うシーン。しばらく見詰めあったのちに、彼の戦後を否定するかのように、ゴジラはビルを叩き壊す。この瞬間だけゴジラが今回登場した意義が見えた。現在ゴジラをどう扱えばいいのか難しくなってしまった困惑。放射能汚染のために蘇ったゴジラをイイモンとして出すわけにはいかない。といってキングギドラをイイモンにしてゴジラをワルモンにするのも馴染まない。ゴジラは保護者なのか脅威なのか。もちろん強大な神ってのはその両者を兼ね備えているものだろうが、怪獣たちの戦いを俯瞰で眺める時代にはいってしまったんだなあ、という感慨も湧けば、かつてのゴジラを恐る恐る見上げていられた時代の明快さが、たとえ単純すぎても「よかったなあ」と思えてくるわけで。
[映画館(邦画)] 5点(2012-11-21 09:34:18)
33.  ゴジラVSモスラ 《ネタバレ》 
怪獣出現のトキメキのなさが愉快でない。庶民てのが全然出てこないのもいかん。庶民の日常生活がズズズッと滑り落ちていく快感てのが怪獣もののツボではないか。向こう側(非日常)の世界の物語だけになっちゃう。主人公も昔はマスコミ関係者に割り振られたのが、政府に吸収されてしまった。根本から考え直してほしい。ゴジラに頼らない新しいアイデアで一本作るぐらいの気概が欲しい。登場人物の公私混同も引っかかる。別所君がコスモスを連れてっちゃうのが罰せられない。タイの法規に日本の官憲が優越するのを当たり前に見てるのも気にかかる。…ああいかんいかん、どうも怪獣もの観てると「昔は良かった」式の、不甲斐ない後輩を叱咤勉励する気分になってしまうんだなあ。別に先輩でもないただの一観客なんだけど。
[映画館(邦画)] 5点(2012-01-04 10:07:56)
34.  ゴジラVSメカゴジラ
ゴジラシリーズ、いつのまにか新聞記者などの第三者が登場しなくなって「公人」ばかりになってしまっている。生活者の気配がないのだ。街を壊されては困る者の視線がないので、局外から見ているプロレスみたいなものになり、ストーリー展開が薄くなってしまった。でももう原点に帰るだけの力が東宝にはなかったんだろうなあ。つくづく感じたのは音楽の力。これあるがゆえに変な瞑想性が出て、いいです。異界性とでも言いますか、恐怖と言うより生命の不思議って感じ。人間の側が守るものを失ってしまっているのに、ゴジラの側は子を守ろうとした皮肉。京都・幕張がメインだが、怪獣が大きくなり過ぎた。ラドンとゴジラが最後協力してしまうあたりに、ちょっと面白味。
[映画館(邦画)] 5点(2011-03-01 12:15:52)
35.  ゴジラVSスペースゴジラ
どうも製作者サイドがこちらの希望を分かってくれてないという、身をよじるようなじれったさを感じた。まずいろいろ出しすぎ。タイトルの二頭に(“頭”でいいのか)、こちらにロボットモゲラ、それにベビーゴジラとミニモスラ。怪獣が多ければ多いほどサービスと思われているようなのが悔しい。出すぎると集中性に欠ける。さらによくわかんない悪漢も混ぜて、しかし庶民がいない。自衛隊的なものはあくまで脇に回るべきなんじゃないか。怪獣と庶民とが向き合わない。それに怪獣はあくまで庶民が暮らす街で仕事をしてもらいたい。宇宙空間なんて誰も望んでいない(それにしてもずいぶん密な宇宙だった)。スケールを広げて宇宙、ってのがサービスだと思われているのが悔しい。あの結晶が福岡の街に生えるイメージなんか、新しいものに膨らませられそうな芽を感じたものだが、そういう新ネタを膨らますだけの余裕がもうこの頃にはなくなっていたんだなあ。そういえば宇宙怪獣ドゴラも北九州だった、福岡県てのは宇宙となにかフィルムコミッションの協定でも結んでいるのか。怪獣が街を破壊する態度が、いかにも破壊だけが目的となっている。『モスラ』はちゃんと独自の目的があって東京タワーを倒した。とにかくビルを壊しとけばいいんだろ、と思われているようで悔しい。たとえば建物を慎重によけて進む律儀な怪獣ってのだっていてもいいのに。まあ、つまんないだろうけどね。
[映画館(邦画)] 5点(2010-06-12 11:58:12)
36.  GONIN 《ネタバレ》 
バッティングセンターで始まるからというわけでもないだろうが、すぐ殴る。暴力が溜められない。暴力が瀰漫している。単純に言えば殺伐としている。撮りたかったいくつかのシーンはあったのだろう。竹中直人が帰宅した家、子どもがピアノへゆっくりと歩き、閉じられたドアの向こうに一瞬倒れている姿がうつる。かすかに見える風呂場の血。あるいはレストランでふと客がいなくなっている根津甚八のシーン。ただそれらがストーリーのツボにはまってるかというとそうでもない。アクション映画の話は単純なほうがいいとは思うんだけど、それはこういうこととは違うんだなあ。片目の殺し屋ってのは、ピストルだと難しいんじゃないか。鶴見辰吾にちょっと凄味。五人組が結びつくところに説得力が感じられなかった。
[映画館(邦画)] 5点(2010-02-05 11:58:17)
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