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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  夫婦善哉
日曜日の正午、あまりに眠たくて2歳の娘の世話を妻に任せて、居間のソファで居眠り。ふと目が覚めると2時間以上寝てしまっており、ちょうど帰宅した妻に呆れられた。 眠気が治まらぬまま反省しつつ、再び外出する妻をソファに寝転んだまま送り出した後、この映画を観始めた。 この作品における映画体験としては、何ともいいタイミングだったと思う。   お椀二杯で一人前の“夫婦善哉”のように、詰まるところ“良い夫婦”というものは、二人揃ってようやく一人前になるものなのかもしれない。 この映画に登場する“夫婦”の男女は、二人ともどうあっても結局のところ一人では行きていけない。 森繁久彌演じる柳吉は、どこからどう見ても大店のどら息子であり、駄目男ぶりが甚だしい。 淡島千景演じる蝶子も、しっかり者の人気芸者ではあるけれど、最後の最後まで柳吉無しで生きてはいけない駄目女だ。  駄目男と駄目女が連れ添い、愚にもつかないすったもんだを延々と繰り返す映画である。特筆する程のストーリー的な面白味もあるとは言えない。 しかし、この映画が多くの日本人に愛されている映画であろうことは容易に理解できる。  やはり魅力的なのは、駄目男と駄目女の主人公夫婦に他ならない。 つくづく愚かな二人なのだけれども、どうしたって彼らのことを憎めるわけがない。 その理由は明らかで、この二人の姿こそ、世の中のすべての男女が持ち得る愛すべき愚かさだからだ。 どんな男も柳吉のようになろうし、どんな女も蝶子のようになり得る。 この映画を観た多くの人が、「馬鹿」と蔑みつつも、どこかこの二人の“寄り添い”に憧れを抱いてしまうのだと思う。  中盤、何度目か知らないが愛する男が再び自分の元に帰ってきて、女は心から喜ぶ。 お互い軽い悪態をつきあいつつ、女は真っ昼間なのに部屋のカーテンを閉める。 男は勘弁しろよという表情だが、実のところまんざらでもなさそうだ。 森繁久彌、淡島千景、二人の名優の一挙手一投足を含め、このシーンの総てが可愛過ぎる。   さて、僕自身、決して甲斐性があるわけではないので、せめてこの映画の夫婦のように愛らしい二人で居続けたいものだと思う。 「頼りにしてまっせ」を連発しつつ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-25 23:42:24)
2.  メゾン・ド・ヒミコ
ゲイのための老人ホーム“メゾン・ド・ヒミコ”。それはとても、映画で描くにふさわしい素材ではないかと思う。独特の楽天性、普遍的に抱える劣等感や哀しみ、そういうゲイならではの感情が、「老人」という要素の介入によって殊更に、切なく広がってくる。 そしてそのベースの上に、主要キャラクター3人の複雑な人間関係が、巧みに入り混じり、今までにない一風変わった人間ドラマを構築している。 物語の中心である、柴咲コウ、オダギリジョー、田中泯の演技がそれぞれ良く、各々が難しいキャラクターを違和感なく息づかせていると思う。 とりまく空気は、どこまでも淋しげで、哀しいのに、なぜかじんわりと温かくなる映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2006-03-03 03:38:00)
3.  めがね
「何が自由か、知っている」 このコピーを見た時、まだ作品を観ていないのに、なぜだか「なんてこの映画を捉えた巧いフレーズだろうか」と思った。 「かもめ食堂」の監督が描き出す新しい映画世界が、きっと「自由」というものの本質をさらっと表現しているのだろうということは、かなり容易に想像ができたからだ。  そしてそれは想像通りに、美しく、美味しそうな描写の中で、淡々と何気なく伝えられていた。  「自由」というものを得るために、必要なのは時間を過ごすためのトランクではなく、その本質を見ようとする「意識」だ。 何もしない時間を、楽しむということは、コツがいる。 個人としての自分を、本当の意味で自立させなければ、本当に自由な時間というもを過ごすことはできない。 そしてそれは、大きな勇気と、経験が要る。  おだやかな時間の描写の中で、この映画は、そういう人間として生きていく上での本質的な「強さ」とその意味を伝えてくる。  ストーリー性が無い分、「かごめ食堂」よりも一層に映画としての面白味は、ゆっくりとじわりじわりと染み込むように伝ってくる。  並ぶテーブル、古めかしいかき氷機、当たり前に広がる曇り空、そういう何の変哲もないワンカットごとに、「情感」が溢れるこの映画の価値は、紛れもなく本物だと思う。
[映画館(邦画)] 8点(2007-11-25 14:05:08)
4.  名探偵ピカチュウ
日曜日の昼下がり、インドア派(出不精とも言う)の小1の息子と映画鑑賞をすることが多くなってきた。 親としては、好奇心旺盛に外に出かけたがってほしいとも思うが、映画ファンとしてはもちろん嬉しい。 外に出るばかりが好奇心旺盛ではなかろうし、アニメや映画を観たがることだって無論立派な「好奇心」だろう。  とはいえ、放っておくとこれまた同じアニメ映画ばかりを観る我が息子(それはそれで悪いことではないけれど)。「スポンジ・ボブ」の映画を知らぬ間に5回以上観ていたのには驚いた。 もう年齢的に実写映画もイケるんじゃないかと思案し、自分自身も未鑑賞だったこのハリウッド版ポケモン映画をチョイス。 現在配信中のTVシリーズも毎週楽しみにしていて、目下ポケモンブーム真っ只中の彼にとっては、丁度いいエンタメ作品なのではないかと思った。実際、良好なハリウッド映画初体験になったのではないかと思う。  自分の子ども時代にも既に「ポケモン」は存在していたけれど、僕自身は全くと言っていい門外漢で、“ピカチュウ”以外のモンスター名も、子どもたちがハマっているのを横目で見ながら最近ようやくその幾つかを認識しだした程度だ。 ただ今作のエンターテイメント映画としてのクオリティーは、正直想像よりもずっと高く、ハリウッドのファミリームービーとして充分に及第点だったと思う。  ちょっと驚くくらいに、フルCGを駆使した映像的クオリティーは高品質だった。そして何と言っても、体毛のモフモフ感がたまらないピカチュウが可愛すぎた。 動物的なアニメキャラクターの実写化って大体失敗するものだけれど、ピカチュウをはじめとする今作のキャラクターたちは、リアル化によって気持ち悪くなることはなく、同時にアニメーション時のキャラクター造形も崩さない極めて絶妙なクリエイトに成功していると思う。  そんな可愛らしいピカチュウが、その風貌に反して“おじさん”の声で話すというアイデアも結果的には中々良かった。 最初に「ライアン・レイノルズがピカチュウを演じる」と聞いたときは、「なんだそりゃ」と一笑に付したけれど、今作のテーマに直結するその設定は、ストーリー的な整合性もあり、娯楽性も高めていたと思える。 今回は6歳児との鑑賞のため必然的に日本語吹き替え版で観たので、ライアン・レイノルズのピカチュウ役は楽しめなかったのだけれど、日本語版の西島秀俊も、殊の外ピカチュウ役を楽しんで演じていて良かった。  さて、次は何を観ようかな。子どもと一緒に観るための映画を考えるのもまた楽し。
[インターネット(吹替)] 7点(2021-07-12 23:19:34)
5.  名探偵コナン 緋色の弾丸
休日、子どもたちが観ていたので、横目で見ていたら、結局最後まで観てしまった。 振り返ってみれば、実に10年ぶりのコナン映画鑑賞。  「名探偵コナン」は単行本を連載開始当初より買い続けていて、既刊全巻保有をなんとかキープしている。 が、とっくの昔に購入自体が「惰性」になってしまっており、新刊を購入するたびに、妻とともにアンチトークを繰り広げるのがお決まりとなっている。  通常回からかなり“トンデモ”要素が強まってきており、キャラクターたちの時代錯誤な台詞回しも手伝って、ツッコミどころ満載の漫画になっているわけだが、映画化になるとそのトンデモぶりはさらに強まる。  本作の最強ツッコミポイントは、何と言っても赤井秀一による、名古屋ー東京縦断超絶射撃だろう。 あらゆる物理的法則や常識を超越した“弾丸”は、すべての殺人トリックをなきものにするメチャクチャな展開だった。  まあしかし、漫画作品同様、大いにツッコミながらこの世界観を楽しむのが、正しいあり方なのかもしれない。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-24 23:54:11)
6.  メアリと魔女の花
冒頭の一連のシークエンスはまさに“ジブリ的”であり、期待感と高揚感が刺激された。 「天空の城ラピュタ」のようであり、「千と千尋の神隠し」のようであり、「崖の上のポニョ」のようであった。 この映画が、「スタジオジブリ」としての再出発作品だと言うのならば、僕は一定の満足感を得られたかもしれない。  米林宏昌監督としては3作目だが、スタジオジブリから独立し、新スタジオを立ち上げて臨む第一回作品として、彼のこれからのフィルモグラフィーにおいても非常に大切な一作だったに違いない。 選んだ題材は「魔女」。当然ながら観客は特にジブリファンでなくとも「魔女の宅急便」を否が応でも連想する。 キャッチコピーにも「魔女、ふたたび。」と掲げる大胆不敵ぶり。 そして、冒頭からの過去のジブリ作品に対しての過剰なまでのオマージュ性は、敬意と感謝を込めつつも、それを越えていくことの堂々たる宣言かと期待した。  がしかし、最終的に得られた感想は、冒頭のシークエンスで感じた印象に集約されていた。 即ち、「ジブリのような映画」でしかなかったということ。 シーンもキャラクターも台詞回しですら、映画を構成する殆どすべての要素が“のようなもの”だった。  “ジブリの継承”と言えば聞こえはいいけれど、同時に恥ずかしいくらいに“二番煎じ”の域を出ておらず、むしろ“呪縛”めいたものも否定できない。 当然ながら、それではアニメ映画として新しい世界が開くはずもない。 悪いけど、この国のアニメーションはもっと先に進んでいて、そんなところにいつまでも留まってはいない。  奇しくも、昨年の国内映画シーンは、片渕須直監督の「この世界の片隅に」と、新海誠監督の「君の名は。」が席巻し、今年も「夜は短し歩けよ乙女」で湯浅政明監督が改めて新時代への名乗りを上げた。 勿論、最先鋒には庵野秀明や細田守も君臨していて、国内のアニメ映画界は、群雄割拠の戦国時代に突入している。  そんな映画ファンにとってはしびれる状況の中で、米林宏昌監督がこの“二番煎じ”で満足しているというのならば、それはあまりにも残念でならない。 ジブリからの直接的な独立者として色々と難しい立ち位置ではあるのだろう。そうであったとしても、ここまで古巣に対しての目配せをし、媚びへつらう必要があったのだろうか。 エンドロールの最終盤にクレジットされる御大3名に対しての「感謝」の二文字が気持ち悪くって仕方なかった。   “偏屈な天才”がまたもや「引退詐欺」を画策しているという噂も聞く。 米林宏昌監督があくまでも“ジブリ”というブランドの枠組の中で「作画」のみに没頭し、老いた天才と共に心中したいというのであればそれもいいだろう。 けれど、個人的には前作「思い出のマーニー」に多大な可能性を感じただけに、勿体なく思う。  新スタジオの名前はスタジオポノック。「ポノック」とは「午前0時」の意で一日のはじまりを表現しているらしい。 果たして、「午前0時」は一日のはじまりなのか終わりなのか。 残念ながらこの作品からは、過ぎた一日の疲弊感とそれに伴う想像力の欠如しか感じない。
[映画館(邦画)] 4点(2017-07-15 17:41:47)
7.  名探偵コナン 瞳の中の暗殺者
あまりに大げささが目につくコナン映画シリーズの中では、サスペンス重視でよかったのではないかと思う。それでも仰々しく派手だけど、これくらいなら映画ってことで納得できる。
[地上波(邦画)] 4点(2003-11-26 11:50:17)
8.  名探偵コナン 世紀末の魔術師
漫画においてもそうだけど、そもそも怪盗キッドの存在がマンガすぎるんじゃないかと。まあそれを言えばコナン自体がマンガ的ではあるし、実際マンガだからいいんだろうけど、個人的にはもっと推理重視にしてほしいところだ。
[地上波(邦画)] 4点(2003-11-26 11:44:17)
9.  名探偵コナン 紺青の拳
相変わらずというかなんというか、繰り広げられる事件、アクション、サスペンス、すべてにおいて「なんだそりゃ…」の連続。娘と二人で観ながら、終始ツッコミっぱなしだった。  映画作品に限らず、原作漫画の展開ももれなくそうだが、「名探偵コナン」というコンテンツは、もはやミステリーを楽しむものではなく、半笑いのツッコミを放ち続け、観終わった後もそれを共有した人たちと「いやーひどかったなあ」と言い合うまでが“セット”の娯楽なんだろう。  本作はシンガポールが舞台だが、例によって大仰なスペクタクル展開によって観光の象徴たるマリナーベイ・サンズがほぼ「崩壊」する。 最近では、映画の舞台に選ばれた街が、その崩壊を含めて観光PRとして歓迎しているフシすらある。 映画シリーズとしての品質はまったく評価できないけれど、1997年から劇場版を公開し続け、2コロナ禍真っ只中の2020年のただ一回を除いて、27作も連ねてきたことは純粋にスゴいと思う。  なんだかんだ言って単行本は全巻揃えているくせに、今までは積極的にコナン映画を避け続けてきたけれど、改めて“ツッコミ映画”として観ていこうかなとも思ったり思わなかったり。
[地上波(邦画)] 3点(2024-04-14 15:21:10)
10.  名探偵コナン ベイカー街の亡霊
もはやアクション映画シリーズと化しているコナン映画であるが、今回は脚本が野沢尚ということで本格的なサスペンスを期待した。が、実際は従来のアクション映画のノリを出ていなかった。ま、映画だと大金が使えるからどうしても派手にしたくなるんだろうねえ。
[地上波(邦画)] 3点(2003-11-26 11:55:30)
11.  名探偵コナン 時計じかけの摩天楼
あーなんてコナンはクサイんだろう。漫画で読む分にはまだたえられるけど、声に出して言われると恥ずかしすぎる~。あとコナンのアクション性、あなたは実際何者なのですか?「江戸川コナン、探偵さ」じゃ済まされないよ。
[地上波(邦画)] 3点(2003-11-26 11:47:17)
12.  名探偵コナン 14番目の標的
映画だからってそんなに派手にしなくしなくてもいいのではないかと思う。推理漫画なんだからもっと濃厚な推理サスペンスに仕上げたのでいいのではないかね。
[地上波(邦画)] 3点(2003-11-26 11:41:34)
13.  メカゴジラの逆襲
シリーズ通してメカゴジラというキャラクターの出演は意外に多くて、その度に宇宙人製作だったり地球人製作だったりと設定は変わっている。そして今作は2作連続の出演で、タイトルも独占してしまっている。しかしそれほどこのキャラクターに魅力はないのではないかと思う。
3点(2003-10-14 11:30:34)
14.  名探偵コナン 迷宮の十字路
映画版コナンは異様にアクション性が高くなってしまうので、もともとストーリーには期待していないのだが、今作はさらにアニメーションの陳腐さが際立ち、限りなく程度の低い映画になってしまっていると思う。何度もなぞったようなありきたりなストーリー展開にも落胆する。まあそれほどクオリティを求めても仕方ないのかもしれないけど、相当な数の子供たちを観客動員として集めている以上、ある程度の質は必要だと思う。
2点(2004-04-17 00:53:29)
15.  名探偵コナン 天国へのカウントダウン
なるほど、もはやコナン映画は推理映画として見るべきではないのですね。バリバリのアクション映画として見ないとテンションの高さに呆然としてしまいます。でも子供が明瞭に推理するってのがコナンの面白味じゃないのかな。
[地上波(邦画)] 2点(2003-11-26 11:52:53)
16.  名探偵コナン 戦慄の楽譜
「名探偵コナン」のコミックスは、“惰性”で買い続けて全巻揃っている。いつ購入を止めてもいいんだけれど、暇つぶしにはなるのでついつい買ってしまう。 この映画作品も、“暇つぶし”になるかと思い、テレビ放映を録画してしまった。 おおよそ予測はしていたことだけれど、“暇つぶし”というよりも、“時間の無駄”になったと言わざるを得ない。  大人が観るものではないと意に介さなければ良いとは思うが、むしろ子供向けだからこそ、めためたな脚本に対して辟易してしまった。 これほどまで登場人物の言動や問題解決のプロセスに整合性が皆無なものを、“ミステリー”として子供たちに見せるべきではないとさえ思う。 こんなものが“ミステリー”だと認識したまま成長する子供たちが可哀想だ。  原作漫画と同様、「もういいから終わらせようよ」と思わずにはいられない。
[地上波(邦画)] 1点(2011-08-23 11:44:09)
17.  メトロポリス(2001)
圧倒的なまでのCGの多用による映像美への試みは認めるが、それが結果的に非常に見にくいアニメーションに終始してしまっている。CGによる映像技術の進歩は周知の通りであるが、だからと言ってそれを節操なく使えばいいというものではない。それを見失ってはアニメ大国である日本の未来も危ういものとなることは間違いない。今作の場合、映像の構築に盲目的に突っ走ってしまったため、肝心の物語性は薄れ、手塚治虫の原作を生かしきれない陳腐なストーリーに終わってしまったことが最大の敗因であろう。
1点(2003-12-17 13:22:24)
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