Menu
 > レビュワー
 > かっぱ堰 さんの口コミ一覧
かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1249
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版 《ネタバレ》 
電通案件といわれたワニと同類かと思わせる題名が事前の印象を悪くしている。 全体としては新型コロナウイルス感染症の脅威のもとで、映画業界と映画好きの人々を和ませ元気づける映画のようではある。当時の世相を反映した面もあるだろうが、登場人物とは生活環境が違っていたので(田舎住まいで普通に通勤)個人的に共感できるものはない。ただ医療関係者への感謝の言葉が出たのは特徴的だった。また当時は確かに、先に治療薬が普及してやがてワクチンが開発されるものだと思っていた。 元になったのが樋口真嗣氏の「カプセル怪獣計画」とのことで、昭和怪獣ネタが多いのはわかるが楽しめるというより煩わしい。要はアマビエと同じようなノリだったのだろうが、一般向け映画の体裁で得々と怪獣話をするのは大人気なく見える。 しかし屋外で怪獣が浮遊していたり踊ったりする映像は、意味不明だが悪くなかった。夜の路上を進んで行って、人知れず踊っていた連中にたまたま出会った感じの場面は好きだ。  物語的には、カプセル怪獣は結局人類の味方だったようで、意外に素朴で良心的な作りではあったらしい。しかしその後の現実の世界を見ていると、この機に乗じて社会不安と不満と不信を煽る連中だらけで人の良心など信じられなくなってしまい、みんながヒーローというメッセージが今となっては白々しく感じられる。だからどうしろともいえないのでいい方を変えると、この頃の月単位の期間限定で何とか成り立ち得た映画とはいえるかも知れないが、しかしそもそもこの当時でも「あなたのマスクも実はカプセル怪獣かもしれません」と言われれば失笑するしかなかったのではないか(メイドインどこの怪獣なのか、あるいはアベノ怪獣とでもいうつもりか)。 個人的には、東日本大震災後の原発事故の不安を扱った「青いソラ白い雲」(2011、金子修介監督)に匹敵する映画かと期待して見たわけだが、残念ながらそうでもなかった。見たタイミングも悪かったが。  ちなみに、あえて現時点の感覚で皮肉な見方をすると、この映画の「ペロリンガ」が昔のTV番組に出たペロリンガ星人と同じだとすれば、その善意を簡単に信じていいとは全く思えない。特定個人に利益供与して自陣営に取り込んだり、ワクチン提供で懐柔したりしていたようだが、実はもうすぐそこまで侵略軍が迫っていたと思うべきではないか。ネット通販で簡単に買えたというのもかなり怪しいが、そういう疑念を生じさせる意図まであったとすれば侮れない映画ではある(違うだろうが)。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-07-24 08:06:37)
2.  妖星ゴラス 《ネタバレ》 
企画段階で当時のSF作家がアイデアを出した、と小松左京氏が書いていたのを読んだ覚えがある。黒色矮星という言葉は実際にあるようで、劇中でも「老年期に入った太陽」と説明されており、造形物の印象と違って表面は気体(水素)という設定だったらしい。半径は地球より小さくても質量が6千倍というのは、当時の一般人の感覚からすれば意外な設定なのではないか。 こういう場合に最も現実的なのは逸らすことではないかという気がするが、劇中の人々もそのような考えではあったらしい。しかし質量が大きすぎて不可能だったため、結果的に逃げるというユニークな方法になったと見える。対策の開始から結果が出るまで時間がかかり、途中で正月が挟まるのがいい雰囲気を出していた(決戦前の小休止のような)。 特撮に関してはそれなりだが、南極の工事現場はかなり本物っぽいので感心させられる。また本邦初公開のジェットビートルが、ちゃんと怪獣を攻撃できる仕様だったのは安心した。この映画が1979~82年、「ウルトラマン」が90年代の話とすれば、これの改良型を科学特捜隊で使っていたと考えても変ではない。  政治面ではリアリティがあるともいえないが、隼号の尊い犠牲(万歳!)に応えられない政府や国民でなく、科学者主導で地球を救うというのが昔のSFらしい理想論かも知れない。偉い学者が徒然草を引いて、人間はいつの時代も目先のことに追われている、と語ったところで街の風景を映したのは「日本沈没」のような悲哀感を出していた。理系だろうが古典にも親しんでいるのは本物の知識階層である。 また宇宙省の長官(大臣でなく?)が、突然押しかけた若い連中を座らせて、ちゃんと話して聞かせたのはさすが人間が大きいと思わせる。「話せばわかる」とはこのことだ。しかしその「宇宙のパイロット」に関して、隼号はともかく鳳号はあまりにいい加減な連中なので呆れた。軍隊でないから規律が緩いのかも知れないが、今後は宇宙省も採用方法を見直した方がいいのではないか。  ほか女優陣では、ダブルヒロインの白川由美さんと水野久美さんが、冒頭で何と服を脱ぎ始めるのでドキッとしてしまう。いつも清楚な印象の白川由美さんも、この場面では女の子っぽく見えたのは和まされた。水野久美さんはお色気場面もあったりしたが(これ見よがしなので笑った)、幼馴染に見せる気安い表情が可愛いのは感激した。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:44)
3.  夜明け告げるルーのうた 《ネタバレ》 
似ていると言われているジブリアニメは昔TVで1回見ただけなので内容を忘れているが、全体の印象としては確かに似ている。別に似ているからどうとも思わないが、ほかにトトロ(大)の件などもあり、ここはあえてオリジナリティにこだわってもらいたかったという気は確かにする。 この映画を見て好きだと思うのはやはり映像面での面白さで、色彩感とかユーモラスな生物とか羊羹状の塊とか変なパースの取り方など楽しめるものが多い。キャラクターに関しても、友人男女が気のいい連中で安心できるほか、人魚の屈託なさと顔つきにはかなり和まされた。  物語としては正直に“好き”と言えるかどうかが問題だったようだが、そういうのは主要人物の年齢からすると中学生向けメッセージか。 それより自分としては、最後に様変わりした町の風景で「陽の当たる町になった」ことが表現され、内湾と外洋の区別もなくなって閉塞感が取り払われていたのが印象的だった。人の心が解放されればかえって人口流出が加速するかも知れないが、それは主人公のように自分の意思で帰って来る者がいればいい。また古来伝承されてきた人魚だけでなく、これまでの古い習慣や住民意識や行動様式や生活感覚といった文化的要素も次第に失われていくのだろうが、新しい時代に何を創っていくかが大事ということと思われる。 ただ爺婆は最後にいわゆる“お迎えが来た”ような感じで、確かにある程度の年齢になるともう変化を受け入れられなくなることはあるわけだが(人にもよるだろうが)、まるでこれからの世界にいらない者を厄介払いしたようなのは喜んでいいのかどうか微妙だった。まあ本人らは幸せだったろうからそれでいいということか。もう死なないとすれば極楽浄土に行ったようなものということで。  そのほか個別事項としては、爺さんが気配を感じて動きを止めると世界の時間が止まったかのように見えたのは面白かった。また「活き〆ワークショップ」のエピソードは何ともいえず微妙に可笑しい。この映画の主な対象層は知っているかわからないが、活き締めというのは魚の鮮度を保つために漁師がやることで、その方法の普及のために講習会をやっていたのだろうが、習いに来た漁師は結局覚えられずに終わっていた。ここは吸血鬼が噛んだ相手も吸血鬼同様の不死者になるという意味と思われる。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-04-20 14:58:38)
4.  予兆 散歩する侵略者 劇場版 《ネタバレ》 
「散歩する侵略者」(2017)のスピンオフとして、全5回で放送したTVドラマの総集編とのことである。演劇臭を感じないのはいいとしても、本編と同じSFまがいの設定自体にそれほど面白味はなく、その上に各場面が変に長いので話が前に進まない気がして、冗長な映画という印象は本編よりも強い。ちなみに劇団名に合わせて生き埋めにされた男もいたが、そういうのを面白がってみせるほど好意的な立場でもない。  物語的な面では、観客に説教しようとするような煩わしさはなく、また終盤で「愛」があっさり否定されたように見えたのも結構なことである。ただし本編と同じ話のスピンオフということは、やはり最後に愛は勝つというおめでたい世界観は共有していることになる。 「愛」より重視されていたのは「死の恐怖」のようだったが、今回はそれを知った宇宙人が死んでしまったため、侵略を止める方向には作用しなかったという結末だったのかも知れない。ただしそこで疑問に思ったのは、死の恐怖自体が根源的な存在だというよりも、まずは生物としての生存の本能というのが根底にあって、そこから死の恐怖と共存への努力の両方が派生するのではないかということである。そういう本能を持たない宇宙人が、死の恐怖からいきなり共存への努力に短絡していたのは唐突で説得力に欠けていたが、しかしホラー映画であるからにはとにかく恐怖が重要だと思ったかも知れない(同じ脚本家の「恐怖」(2009)という映画もあった)のでいいことにしておく。  なお気づいた点として、序盤の父と娘はかなり(気色悪いほど)密着度の高い関係だったようで、ここで切り離されたのがかえって幸いだったのではと思った。また侵略の開始が火球とかではなく、地球温暖化による気候変動を連想させる豪雨だったのは、本編のような安手の映像も不要でかつ今日的な意味もある表現だった。 ほかキャストに関しては、特に序盤で空を見ていて振り返った夏帆がかわいい。というか職場で髪を後にまとめた顔がかわいいということだが、そのほか全般的にこの人の見せる表情が最近好きだ(前から好きだが)。[2019/12/14追記]変な男と付き合わなければよかったが。
[ブルーレイ(邦画)] 4点(2018-12-07 18:52:22)
5.  夜のピクニック 《ネタバレ》 
題名の印象からしてよほど特殊な出来事かと思っていたら、要は水戸一高の年中行事の話なのだった。むかし知り合いだったデブの××やすらりと華奢な○○さんがこういうことをやっていたとは初めて知った。旧制中学校の時代だったら色気も何もない男ばかりの体力勝負になったろうが、今は告白の機会と捉えられているらしいのは世の中の軟弱化ということである。  映画としては序盤から羽目を外し加減なのが少し意外で、劇中提供される笑いにも同調しづらい状態で推移する。唐突にファンタジーアニメになったり役割不明な登場人物がいたりして戸惑い気味に見ていたが、しかし次第に何が問題なのかがわかって来て、最終的には疑惑の2人が似た者同士に見えて来たので、自分としてもそれなりにこの映画を受け取れたという気にはなった。 映画単体だとその程度だったが、その後に原作を読むと2人の心情が切ない青春小説で9点くらいつけたくなった。この原作を読んでいれば、この映画もその映像化版/簡略版として素直に受け取れるところが多いと思われる。これでこの物語の真価がわかってから、さらにサイドストーリー集「ピクニックの準備」を見ると劇中世界が広がって登場人物にも思い入れが生じ、そのまた後に再度本編を見るとコメディ部分も笑えるところが若干増え、2人の思いも素直に心に染みて来るようになる。ここまで気合いを入れて見てやっと全面的に受容できたが、同様のことをする人はそう多くないだろうとは思う。  なお自分の高校にこういう行事はなかったが、ちょっとした事情で夜間歩行をさせられて30kmくらい歩いたことはあり、それまで存在も知らなかった峠道や、車も通らなくなった海沿いの道など歩いて面白かった。そういうときの夜の異界感や高揚感がこの映画に感じられるかというとそれほどでもないが、仮眠所の灯りが眩しい様子などはよかったかと思う。
[DVD(邦画)] 6点(2017-05-15 18:51:00)(良:1票)
6.  世にも奇妙な物語 20周年スペシャル・秋 ~人気作家競演編~<TVM> 《ネタバレ》 
全5話のオムニバスである。[ ]内は評点。 【厭な扉】「大歳の客」という民話類型をもとにした話のようだが、ストーリーとしてはありきたりで単純に面白くない。[2]  【はじめの一歩】書下ろしだからかあまり不足なくまとまった印象だが、軽めの話のためそれほど心に染みるものはない。ただ確かにこういう面倒くさい奴はいる。[4]  【栞の恋】なぜか神奈川県足柄上郡山北町の話で、昔の街並みの雰囲気は悪くない。戦争がらみの話だがメッセージ性が強いわけでもなく、普通の庶民感覚に寄り添った物語で少し感動的だった。年代と年齢からすると2人はほんのわずか同時代を生きていたらしい。必然性は不明だが、本物(岸部一徳氏)が出ていたのも微妙に面白い。/その後に原作を読むと、もとが短編のため原作がよく再現されており、場所が別のところなのと(山北町でない)、若干の脚色(いい方向で)を加えたところに違いが出ている。それにしても堀北真希の起用は反則だ(可愛すぎる)。[5]  【殺意取扱説明書】アイデア先行で物語としては面白くない。「不審者に注意」も笑えない。[2]  【燔祭】普通の幸せがあったはず、という切ないラストかも知れないが、これを見ている限りは早く犯人に死んでもらいたいという思いの方が勝る。兄は単純に愚かとしか見えず、女の内面もよくわからない。また兄妹の年齢が離れすぎである。/その後に原作を読むと、もとが文庫で98ページの中編だったのを30分弱に収めるのは難しかったかも知れないとは思うが、その割に原作にはない独自色(いい方向で)を付けようとしていたらしく、これは悪くなかったと思う。ただ原作では兄妹の年齢差が9歳であって、ドラマの25歳差(出演者の実年齢)はやはり離れすぎである。[5]    この番組の近年の水準がどの程度かわからないが、20周年記念の「人気作家競演編」というだけあって、よくあるやりっ放し構造の粗製乱造オムニバスホラーなどよりはまともなお話ができている。ただしそれほどの充実感はなく、やはりこういう番組で扱うとそれなりの出来にしかならないということか。 全体の評点は個別の点数を時間で加重平均した数値(3.7)を四捨五入した。
[DVD(邦画)] 4点(2016-06-09 23:27:00)
7.  予言 《ネタバレ》 
何も出なくても雰囲気だけで感じさせるのは悪くない。映像的には明るい場面も多いがそれで不吉感が削がれることもなく、談話室の窓から見えていた青空は画家のルネ・マグリット(「呪い」など)を思わせるものがあった。また腹に響く大音響はこの監督の特徴なのかも知れないが、この映画でも極めて衝撃的で効果的に使われていた。 ほか登場人物については父親役の顔がくどいので極めて不快だが、車が爆発する直前の子役の表情と、小野真弓が電車で去るときの不思議顔は印象に残った。この映画の小野真弓は全く華がないが、それでも個人的には不憫で愛しく思われる。   ところで基本設定に関して、原作と違うことは別に構わないが、この話の中で新聞を持ち出すこと自体に違和感がある。アカシックレコードなどというありきたりな説明を付けているが、紙媒体の記録をそのまま保管しているのでない限り新聞を介する必然性はないはずだ。また惨事だけでなく普通の出来事についても膨大な記録があるはずだが、ホラー映画という性質から殺人事件とか大事故ばかりを話題にしなければならず、結果として主人公夫妻がたまたま複数の事故に見舞われるという不幸な偶然になっている。それでも新聞だから悲惨な事件に飛びついて当然、といった感じで何となく正当化されてしまっているのが気にいらない。 そもそも全体を司る主体が見えておらず、「地獄に陥れようとする」といったことを誰の判断でやっているのかわからない。これがいわば自然現象として起こっているとすればかなり無理があり、単純な数字合わせとか時間の前後の問題というならまだしも、観客が疑問を持たずにスルーできる限界を超えている。どうせホラーだから雰囲気だけで可などというのでなく、基礎的なところでちゃんと筋を通してもらいたいものである。   ただ、家族愛の話としてはこれでよかった。父親/夫の心情としては満足だろうと思われる。 なお最後に新聞が書き換えられていたのは、主人公の最後の行動が裁定者によって承認されて無限ループを抜け出したことを意味しており、これは霊能者の先生が自分を犠牲にして主人公に選択肢を与えておいてくれた結果だったというように解する。
[DVD(邦画)] 5点(2015-01-03 21:29:14)(良:1票)
8.  洋菓子店コアンドル 《ネタバレ》 
色彩豊かなスイーツの映像だけでも心なごむ映画と予想するわけだが、実際見ると主人公があまりに破壊的な人物のため事前のイメージが砕かれてしまう。 とにかく感情制御に問題があって、自分の心の安定を保つためには客観性も常識も思いやりもなくなるらしいのが大変なところである。特に怒りの抑制が困難らしく、些細なことでも心に収められずにその場でバランスを取ろうとするので大ごとになってしまう。元彼が本気でものを言っているのに笑い飛ばそうとした態度には、さすがに自分としても(実在の人物を思い出してしまって)腹が立った。これまでずっとこんなのを相手にしていた海くんが哀れでならない。 これでその他の条件(主に見た目)がどうかによっては見るのも考えるのも嫌な奴ということになるだろうが、幸い主演女優のおかげでまだしも愛嬌があるのが救われる。劇中ではこの人と元彼・店のシェフ・嫌味な先輩・伝説の男とのやり取りがそれぞれ見所になっていて、専らこのキャラクターの存在が映画全体の価値を決していたように思われた。初回はともかく2回目に見ると彼女の言動には笑いっぱなしで、次第にこの主演女優も好きになって来た気がする。  一方でストーリーとしては緩い感じになっており、娘にケーキの作り方を教えたいと思ったことが何で復帰の動機になるのかとか、要は復帰すればいいのであって元妻とよりを戻すことまで考える必要がどこにあったのかとか細かいことはいろいろあるが、まあ大体のところでいいお話だったのではないかと思われる。 なお常連さん宅にケーキを届ける場面では、常連役の女優の普段のイメージとの関係もあって“この人がこんなことを言ってくれた”と少し感激する思いだった。ただこのケーキを作ったのは主人公ではなかったはずなので、ここは彼女に奮起を促したエピソードだったということだろう。
[DVD(邦画)] 7点(2014-02-03 19:50:39)(良:2票)
9.  陽気なギャングが地球を回す 《ネタバレ》 
見栄えがいいのはわかるが面白くはない。外見が派手なばかりで中身はダイジェスト感が強く、登場人物に肩入れしたくなる前に映画が終わってしまう。その割に何度も出る偽?警官とか上司のコントとかTVレポーターのコメントとかどうでもいいのがうるさく感じられ、またラストの種明かしなどはバカ丸出しのように見えている。唐突な海外ロケは必要性が不明だが、もしかするとこれで地球が回っているのを表現したかったということか。エンドロールを見て、"U.S.Unit"を含めこれだけ多くの人間が動いているのだと思うと映画制作というものが空しく感じられる。  なお原作を読んでみると面白かったので、映画の方をさらに△1点とする。原作にないエピソードまでがダイジェストのように見えているのはどういうことか。
[DVD(邦画)] 1点(2014-02-03 19:50:27)
10.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 
原作も読んだが、映画では省略された箇所や付加された場面があることで印象が微妙に違っている。 まず、映画では終盤に至っても花岡母子の側に破綻の兆しがなく、そのため湯川が花岡に真実を告げさえしなければ全てが問題なく収まった可能性も高いと思える。今さら何をしても死人が生き返るわけではなく、「誰のしあわせにもならない」のだから、湯川がしたのは結局余計なことだったとの感が強い。  また映画では、石神に対する花岡母子の態度がより好意的に見えており、例えば花岡の娘が外で彼に声をかける場面などは印象的だった。そのように何の必然性もない行動は彼にとっては心外なことだろうが、しかし感情問題として嬉しくないはずがない。それまで彼は、自分の存在など他人にとっては“ない”に等しいはずと思っていただろうから、この母子が自分を“ある”ものとして扱ってくれること自体が、いわば無償の愛のように感じられたのではないか。また手紙の中で母子それぞれの名前を挙げて礼を言っていたことからしても、花岡(母)への単純な恋愛感情の問題として捉えるのでは不足と思われる。こういった方向性自体は原作でも同じらしいが、映画の方がより強調されていると感じられる。  恐らく石神の考えでは、もともと自分の存在など他人にとっては“ない”に等しいはずだから、本来のあり方に戻すのも簡単であり、単に“自分のことなど全て忘れろ”と言えばいい。母子の幸せを最優先するなら、それが合理的判断として正しいことは花岡にも理解できるはずである。にもかかわらず彼女は、捨てろといったはずの茶封筒をいつまでも保存しており、また湯川の追及をぎりぎりでかわした最後の目論見までもひっくり返してしまった。誰の目にも明らかな合理的判断に従わないのがなぜなのか彼には理解できず、それで自分の完璧なプランが崩れてしまったことへの失望感もあったろう。しかしこの重大時においてもなお、彼女が”無償の愛”を自分などに向けてくれたこと、いいかえれば、自らを大事に思うのと同じように石神をも大事に思ってくれたことは、感情問題として嬉しくないはずがなかったと思われる。  以上のように考えれば、映画では石神への感情移入を強める方向での誘導が働いているように感じられ、感動もより大きい。しかし、それがかえって第二の殺人に関する倫理性との間で齟齬を生む結果になっているらしいのは残念である。
[DVD(邦画)] 8点(2013-08-11 18:26:03)(良:1票)
11.  妖怪大戦争(1968) 《ネタバレ》 
前作に比べるといかにも変化球である。鬼太郎のマンガでも西洋妖怪との戦いはあったが(「バックベアード」が変に有名)、日本の妖怪に純粋な和風情緒を求める立場としては、いきなりバビロニア(当時はオスマン帝国領)では興醒めである。またこの映画だけのことではないが、妖怪の集団化というのも実はあまり感心しない。もともと妖怪は固有の場所と条件のもとで出現するものであり、その場から離して単なるキャラクター化してしまっては、怪獣総進撃とかウルトラ兄弟勢揃いとかいう企画と同じように、本来それぞれが主役だったものに対する礼を失する気がする。  そういうことから事前の印象はあまり良くなかったが、実際見てみればけっこう面白いのでまあいいかと思う。妖怪連中はほのぼのしており、特にろくろ首が意外と子どもに優しいのは感動した。なぜか土佐言葉なのも親しみを感じる(「わかっつろうが」でわざわざ検索して調べたが、ちゃんと土佐弁と書いたサイトがあった)。二面女も活躍の場が多く、人間側の清純そのもののお嬢さまと並んで二大ヒロインの趣がある。それから前作は落語だったのが今作は漫才になったようで、なんで伊豆の代官所に上方者が雇われているのかわからないが、妖怪連中のお国言葉が多様なのと合わせて全国規模のスケールをもった映画であることを示していた(のだろうか)。 なお本編を見ていても気づかなかったが、DVDの「索引の巻」三十の題名には大笑いした。  ところで、突然の外敵の襲来に対して人間の統治機構に対応能力がなかったのはともかく、権威ある神仏の力を借りても撃退できず、「神の零落した姿」とか言われる妖怪の活躍を待たなければならなかったのは情けないともいえる。この映画では、当時の怪獣映画のように妖怪が人間の味方のようにも見えているが、本来は人間を脅かす存在であって決して融和的なものではない。しかし、同じく本邦の住民として外敵に立ち向かう姿勢には素朴な郷土意識のようなものが感じられ、これには人間側の登場人物も素直に連帯感を覚えていたらしい。この映画の公開と同年にオリンピックがあったわけだが、この連中も日本が金をとれば喜ぶのだろうか(まだ江戸時代だが)。
[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:54)
12.  妖怪百物語 《ネタバレ》 
劇中の噺家が初代林家正蔵の晩年と仮定すれば、時は天保年間ということになる。また悪役が覚書を交わした若年寄の「本庄安芸守」は、実在の大名で美濃高富1万石の本庄道貫と名前だけは一致している。堀田豊前守というのはさすがに実在しないだろうが、寺社奉行というからには大名であり、かつ幕政の出世株だったと思われる。  それで映画の内容は、特撮とかいうよりほとんど完全に時代劇である。大人としては、子どもが見る映画にふさわしくない要素が出ると気になるわけで、町娘が悪役の屋敷に奉公に上がる意味は子どもにはわからないだろうが、実際の屋敷の場面で少々微妙なところがあって(人払いしたように見えた直後に場面転換)、これは本当に手篭めにされてしまったのではないかと一瞬心配になった。しかし危ういところでちゃんと助けが入ったのは、予定通りなのだがホッとした。子ども向けの妖怪映画でそんなことを心配している自分が馬鹿みたいである。そのほか長屋のお仙(坪内ミキ子氏)が、主人公の男に寄せる想いを表情に出していたのがちょっと見どころかと思う。  一方、妖怪映画としては大人が見るとほとんど怖くなく、百物語で始まったはずがなぜか最後は百鬼夜行になり、一度に大勢出るのでユーモラスで賑やかな印象が強くなっている。ただ置いてけ堀の話は、ちゃんと和風情緒ただよう怪談としてまとまっており、もとの本所七不思議の話より怖くなっていた。また“再度の怪”に脅かされた男が、口に出してしまったら同じことが起こる、と考えていたのも面白く、伝統的な感覚を生かした正統派の妖怪映画という面を持っているのは間違いない。 それから、最後に悪人が滅ぶ勧善懲悪的なストーリーではあるが、寺社奉行を大目付組下の武士が摘発し、町人の方を妖怪が制裁したのが連携プレーではなく全く別行動だったというのは、人間と妖怪に慣れ合いなどない、という基本線を守ろうとしていたように感じられた。  なお劇中の噺家の語り口は本格的で興味深いが(本物なので当然)、この人の「言い伝えというものはそれだけの謂れがあって…」という台詞は、現代ではもう聞くことのできない名言と思う。俗信などあまり気にしてもキリがないわけだが、それでも無視して後悔するよりは、とりあえず従っておいた方が無難、という程度の感覚は持っていてもいい。
[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:11)(良:1票)
13.  妖怪大戦争(2005) 《ネタバレ》 
大映の旧作をベースにしながらも、企画に関わった作家諸氏の作品世界や稲生物怪録などを加えてごたまぜにした感じの映画で、何か仲間うちだけで盛り上がったような印象がある。「手の目」とか「震震」といった、旧作に出ない妖怪が実写化されただけで感動するようなカルト的妖怪ファンがいればともかく、一般人としてはそれだけで乗るわけにもいかない。個人的には「網顔」というのが出れば少し喜んだかも知れないが、今回は採用されなかったらしい。 またストーリーも支離滅裂で圧倒的に面白くない。何が起こっているのかわからない割に変に意味ありげな台詞が入っているが、わからせようという意志も感じられず、小説版をわざわざ読んでみる気にもならない。形の上では泣かせる場面もあったが、真面目に泣かそうとしているようにも見えなかった。ほかキャストは豪華なようだが、砂かけ婆を演じていたのが誰だったのか、エンドロールを見なければわからない映画などあったものかと思う。 ただ、川姫の太腿の魅力に関しては皆さんのいうとおりである。男児ばかり狙うのかは不明だが、一度出会ってしまうと生涯心に棲みつく胸キュンタイプの妖怪らしい。少し客観的にいえば、多くの男子の心の深層に潜む“近所に住んでいた憧れのおねえさん”のようなイメージを外部化した妖怪と解釈できるかも知れない。また父親サービスとして見れば、古きよき昭和特撮映画の伝統に倣っているといえなくもない(ただしエロすぎて不健全)。
[DVD(邦画)] 4点(2012-10-15 19:11:43)(良:1票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS