1. 火垂るの墓(1988)
《ネタバレ》 子供たちにトラウマを植え付けるための作品。「裸足のゲン」で使われた手法であり、広島の原爆記念館に行った人間も同じような体験をする。 敗戦で真っ先に犠牲になるのは体力のない子供たちで、私の父も栄養不良で妹を亡くしている。街のあちこちには、戦争孤児たちの姿があった。こうした日本を体験した人たちは、あと20年もすれば日本から消えてしまう。映像という形で彼らの見たもの、聞いたものが残るのは、意味のあることだ。 だが私は、自分の子供に本作を積極的に見せたいとは思わない。本作は、やはりフィクションでしかないからだ。 苦難や苦労は死ぬための儀式なのだろうか。本作はドラマ性を優先させるため、2人を殺してしまった。私は、子供たちの感情を揺さぶり、思考を停止させ、無条件に反戦を唱えさせようとする、本作のその洗脳手段に不安を覚える。 [DVD(邦画)] 2点(2008-08-08 09:10:51)(笑:1票) (良:3票) |
2. 博士の愛した数式
《ネタバレ》 赴任した教師のルート(吉岡秀隆)が生徒への自己紹介の中で、数学博士(寺尾聰)と過ごした日々を話すという物語。この安易で適当な設定は、いったい何なのだろうか。話の中に出てくる数学知識を説明するという趣向は、哲学を扱った小説「ソフィーの世界」のようでおもしろい。しかし吉岡秀隆の教師役、生徒たち、あらかじめ用意された教材の何もかもが嘘くさい。 博士(寺尾聰)に関する未亡人(浅丘ルリ子)の告白も、ドラマ性を高めようとしたのだろうが、薄っぺらい。原作を無視して、無理に掘り下げることはなかった。観客を過小評価し、いらない説明までしてしまっている。 本作を救ったのは、寺尾聰と深津絵里の演技。きれい事尽くしの本作だが、独自の雰囲気で説得力を持たせてしまった。 脚本は観客を混乱させる不要な台詞が多く、原作を誤解したまま完成させてしまったのではないかとさへ思う。たいへん残念な作品だ。 [映画館(邦画)] 4点(2008-08-08 06:05:57) |
3. 犬神家の一族(2006)
《ネタバレ》 当時91歳となる映画監督(故・市川崑)の作品。映画制作という体力勝負の世界で、無茶にも程がある。つまりこれは、巨匠・市川崑に勝手に人が集まり、勝手に作られていった作品だ。この「勝手に人が集まる」というもの、監督の力である。 脚本はもちろん、カットまでも、30年前(1976年)の旧作を踏襲している。まったく出鱈目に選んでいるのではないかというキャスティング以外は、前作に見劣りするところはない。スタッフの気の入りようは、相当なものだったのだろう。 ヒロイン(珠世)の松嶋菜々子は、大きすぎる(172cm)。劇中、たびたびピンチにあうのだが、その肩幅の大きさ故に危機感が感じられない。小夜子(奥菜恵・155cm)に責めてられるシーンは、ギャグのようだった。なぜ奥菜恵に踏み台を使わせ、松嶋菜子をしゃがませなかったのだろうか。 息子を亡くした竹子が飯をむさぼるシーンは、彼女が普段ものをあまり食べそうにない痩せた女だからこそ映える。だがこの役を演じたのは、まるまる太った松坂慶子。 石坂浩二演じる金田一耕助(65歳)、等々力演じる加藤武(77歳)に、仙波刑事が加わるシーンがある。この若手刑事を演じたのは、尾藤イサオ(63歳)。金田一と等々力にあわせてのことではあるのだが、見ている方は苦笑いするしかない。もっとも市川崑は、旧作や、ほかの横溝映画でも、回想シーンに平気で30~40歳も若い役を役者に演じさせているのだが。 本作で、確実に旧作を上回っていると感じた点が1つ。それは、風景だ。30年前と比べて撮影機材の品質が格段に向上したことにより、美しい湖畔を撮影することができた。旧作よりもとても丹念に撮影されている。 ひょっとして市川崑は、この日本の風景を撮影したくて、本作の監督を引き受けたのではないだろうか。そう思い込みさへしてしまう美しさだった。 [映画館(邦画)] 5点(2008-08-06 01:07:18)(良:2票) |
4. 崖の上のポニョ
《ネタバレ》 本作には、子供を乗せた車でのスピード違反など、無意識な児童虐待を行うシーンが肯定的に挿入されている。こうしたことは、親としてとても腹立たしい。現実に、車に残した子供が死亡するなどの無意識な児童虐待による事件が、何度も起きているのだ。また、子供に自分を名前で呼ばせる親、街破壊をしからない大人たち、金魚鉢に水道水を当たり前のように使わせるなど、「しつけ」を放棄しているとも思える本作への制作者たちの姿勢が気になる。米国では子供を家に置き去りにする行為は、違法となる。欧米市場はこうした児童虐待に敏感で、編集、改編なしに本作を輸出するのは無理なのではないだろうか。 本作の設定は、かねてより他社が企画している「金魚姫」に共通する部分が多い。「砂の惑星」の設定から多くをいただいた「風の谷のナウシカ」もそうだったのだが、ジブリは知的所有権に関してずさんなところがある。「ゲド戦記」の歌詞の引用問題も記憶に新しい。一企業として、もっと配慮すべきなのではないか。 大人の事情を棚上げすると、本作の価値は子供が楽しめるかどうかに委ねられる。試写会での子供の反応は、微妙なものだった。しかし私は、ポニョの主題歌を歌う子供たちの声を何度も聞いているので、子供が楽しめないアニメと真っ向否定する気はない。変化に乏しい本作がどう受け入れられるかは、子供たちのその日の体調とご機嫌にかかっている。 [映画館(邦画)] 5点(2008-08-04 11:35:25)(良:3票) |
5. ルパン三世 カリオストロの城
テレビ番組「未来少年コナン」と本作が世に出るまで、宮崎駿はアルプスの少女ハイジなどの児童向けアニメで知られる監督で、マニアには見向きもされていなかった。コナンも本作も、商業ベースでは成功に縁遠かった。が、その作画枚数を無視したような動画によるスピード感は、ほかの作品にはないものだった。 公開時、宮崎駿の柔らかいキャラクターデザインは拒絶され、本作は興行的に失敗した。しかし本作は劇場公開終了後、口コミにより、長い時間をかけて評価が改められていった。 ルパン三世はもともと、大隅正秋と大塚康生のコンビニより大人向けアニメとしてスタートした。宮崎駿のルパンは、ハードボイルドとはかけ離れ、甘く、生活感がなく、おとぎ話のようだ。その後の宮崎駿の成功と、本作の完成度の高さにより、本作はルパン三世というタイトルの最高作品として捕らえられることが多い。だがそれは必ずしも正しくはない。ルパン三世という冠をかぶった中期の宮崎駿作品だという見方もある。 あくまでも泥臭いルパン三世にこだわるのでなければ、本作は多くの人が気楽に楽しめる。ロジックに裏打ちされた大衆性こそが、児童向けアニメで培われた宮崎駿の最大の特長であり、欠点でもある。 [映画館(邦画)] 8点(2008-07-25 21:58:23) |