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プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  寝ても覚めても
主人公の行動には驚き、確かに戦慄する。とても共感できないが、惹き込まれた。安易な共感は物語を陳腐にする。この映画にはいろいろと考えさせる多面的な面白さがあった。様々な視点や視線があるように思えた。 こう言うと語弊があるかもしれないが、震災以降、君と世界は一体化し、誰も世界を疑うことができない、そういう時代の流れが急速に訪れているように感じる。それによって個人の内面や物語といったものは世界に沈んでしまった。世界を疑う違和こそが内面を失いつつある人達のココロの快復に求められるのだとすれば、この映画の主題はその為のギリギリの「戦い」そのものと言える。そこから始まる物語。悪から善を生む、汚ったねぇ河から始まる物語。世界から一番遠い君の恋愛物語。共感できないが故に素晴らしい人間讃歌だと思った。
[インターネット(邦画)] 10点(2019-03-30 22:08:03)
2.  人生万歳! 《ネタバレ》 
原題を”Whatever Works”、つまり「何でもあり」と言う。主人公はウディ・アレンを少し精悍にしたような役者ラリー・デヴィッド。これまでのウディ主演の主人公よりも性格は悪い。彼は、ノーベル賞候補にもなった物理学の元教授で頭が良く、上流階級で、知識があって、理論に勝る為、常に人を見下している。故に孤独でもある。  そんな主人公が尺取虫ほどの脳みその(と主人公が呼ぶ)若くて可愛らしい家出娘に一方的に惚れられて、彼女と結婚する。音楽を含めた趣味や生活観が全く合わないながらも、その違いこそが2人の関係を支える、まさに共依存のような間柄となる。お互いを思う気持ちがうまい具合にすれ違うことで2人はうまくいく。だから、彼女が知恵を獲得することで、2人の関係性はバランスが崩れ、最終的に破局するのである。  しかし、映画はそこで終わらない。何故なら「何でもあり」だから。恋愛とはそういうものだ。だからどうした。ウディにとって、人生の中の恋愛という可能性はいつまでも死なない。人生万歳! すごく晴れやかで、筋が通った、いい映画!
[DVD(字幕)] 10点(2012-01-18 00:52:49)
3.  ミッション:8ミニッツ 《ネタバレ》 
主人公は、テロの犠牲になった一般人の記憶に意識を同化させることにより、彼の最期の8分間を何度も「生きる」。彼は、テロの犯人を見つけ出すというミッションを与えられるのであるが、犯人に辿り着くことなく、列車を何度も爆発させてしまう。その中で、列車の中で関わる人々の動きが彼自身の行動の変化によって毎回違うことに彼は気付く。これは記憶の変遷、仮想現実の単なるバリエーション(誤差範囲)にすぎないのか?そして、何度目かの意識同化の中で、彼は逃走した犯人の手掛かりを見つけることに成功し、犯人は現実の中で逮捕される。しかし、ミッションの成否に関わらず、列車の中の人々は、現実にはもう既に死んでいる過去の記憶の断片にすぎないのだ。そして彼も。。。  彼は、2-3度目かの記憶同化の際に、同席していた女性を列車から救い出し命を助ける。彼は、既存記憶の枠を超えて彼女の命を助け得たことに、彼の行動が持つある種の可能性に気付く。繰り返される8分間の中で、彼は彼女と何度も出会い、会話を繰り返し、彼女に恋をした。彼は現実には死んでいる彼女を助けたいと切実に願った。。。  脳内信号が言語データとして扱えること。他人の脳内記憶データを認識することにより、意識が時空間を超えて存在できること。そして、そこから人間原理に基づく量子論的な多世界解釈が生まれること。この映画のラストシーン。時空を超えた意識が確率論的な現実を生み出し、量子論的な多世界解釈と結びつく。彼は彼女を助け、世界を変える。意識のパラレルワールドを現実として生きる。素晴らしい。そうきたか!僕は「やったー!」と叫びたくなった。  あと8分しか生きられなかったら、何をする?  たぶん、今年一番のSF映画だと思う。監督のダンカン・ジョーンズは、デヴィッド・ボウイの息子である。さすが、センスがいいね。※Lufthansa国際線の機内で鑑賞。
[DVD(吹替)] 10点(2011-08-23 00:55:07)(良:5票)
4.  ブラウン・バニー 《ネタバレ》 
映画が現実に起こりえるとか起こりえないとか、そういった基準で観られるべきものではないというのが僕の考え方だ。バイオレット、リリィー、、、なぜ花の名前か?ローズ。美しいものの余韻。名前という幻想。名前にこそ意味がある。取り替えのきかない名前という幻想。それは彼の心を執拗に捉えていく。 なぜリリィーは涙を流しているのか、そんなことは疑問として意味がない。ただ涙を流しているということが答えなのだ。妄想?失われたものへの掛け替えのない想い。それを抱えていかなければ生きる意味なんてない。でもこれ以上の哀しみを背負う必要があるのだろうか。そして思いとどまる。 ロードムーヴィーとは何かを探す旅を映す。彼は?砂漠での疾走。砂漠という茫洋。無意味の意味。彼は何を追い求めているのだろう。 デイジーは死んで、死んだものは現実には帰ってこない。だから彼は夢想する。幻想としてのデイジーを彼は許す。人が生きる原理を掴むにはまず許すことから始めなければならない。彼が欲したのは、彼女を許すということ。その不可能性の可能性。それは幻想であるが、それは彼にとって必要なことだったのである。そして彼は帰還するのだ。 
10点(2005-01-23 11:32:23)(良:1票)
5.  ラストタンゴ・イン・パリ 《ネタバレ》 
絶望が引き寄せる孤独と絶望を希求するが故の孤独。孤独と孤独が紡ぐ性愛、その現実感が満たす孤独という名の救済と慰撫。「ラストタンゴ・イン・パリ」が描く男と女の恋愛劇には、マーロンブランドの強烈な個性に引き摺られながら、その醜悪さも切実さも含めて最後まで惹き付ける魅力があった。<と感じる人は少ないようだw> 最終的に男は恋愛を絶望からの帰還へと変化させるが、女にとってそれはあくまで現実からの逃亡に過ぎなかった。確かに本来的な孤独の意味、その「失われざるための愚かしさ」に囚われていたのは女の方であったか。女は何を求め、何を殺したのか、それは男が追いかけたものでは全くなかったことは確かである。男が逃れた狂気は既に女の側にあったのだ。しかし、男を殺したことによって急速に現実的問題に執心する女の姿は、陽気なラストタンゴが全く夢の如く思えるほどに、冷たい。あれは何だったのだろうか。マーロンブランドが醜悪にして、痺れるほどに最高の演技を見せた恋愛映画の傑作。
10点(2004-07-10 23:26:27)(良:2票)
6.  ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版
曖昧な記憶だが、確かに「完全版」と呼ばれるものも観たことがある。が、僕にとっては「完全版」であろうが、「劇場版」であろうが、この名作のモチーフは全く揺るがない。大体、なぜ「完全版」なのか?「劇場版」があまりにも不完全で納得いかなかったが故の再編集なのだろうか。もしかしたら、観やすく編集された「劇場版」に寄せられる賞賛の声が作家の思惑と違うという多少ひねくれた理由によるのかもしれない。でも、この2つのバージョンは、元々が同じ水脈の基で創られたものだし、そこで挿入されるエピソードが全く無駄なものだとはとても思えない。<この辺は鉄腕麗人氏と同じ意見です> にもかかわらず、「劇場版」に対して「完全版」の評価が低いというのは、単にこの映画の真のモチーフを多くの人が捉え損なっているだけなのではないだろうか。僕は、この映画が単に映画ファンを泣かせるだけのノスタルジックな作品だとは全く思わない。「劇場版」のレビューでも書いたが、この作品は、アルフレードという良く言えばナイーブ、悪く言えば偏狂的で自意識が凝り固まってしまった男のこれまた偏狂的な人生を解き明かす謎解き物語なのだ。ラストシーンは正にその謎が解ける瞬間。だからこそ僕はあのシーンに胸を掴まされる。老映写技師と少年の心の交流という美しい物語に見せながら、その実、自意識の罠に嵌り、映画という空虚なリアリティに心を奪われた男と、その謎に囚われ続けながらも正反対の生き方を選んだ男、ある意味で大人になりきれず青春の影に押しつぶされた2人の男たちの哀しい物語なのです。その物語に僕は感動したのだ。作品というのは、如何ようにでも解釈可能なものだから、多くの人が抱いた感想に敢えてケチをつける気持ちは全然ないけど、あまりにも同じような声が聞こえてくるので、ちょっとひとこと言いたくなる。それは、単に僕がひねくれ者だからです。あと、映画はやっぱり完全な形でひとつだけ世に出して欲しい。それがそもそもの混乱の元なのだ。
10点(2003-11-06 02:29:04)(良:2票)
7.  野性の夜に
セザール賞受賞前に監督・主演であるシリル・コラールがAIDSで死んだという悲劇的なニュースが、この映画の公開時には、セットとして報じられていました。確かに映画自体も主人公が同じAIDSに感染しており、ある意味で主人公はシリル・コラールその人だと言っていいかもしれません。そんな悲劇的な話題が本編よりも先行してしまったのは事実ですが、それを差し引いてもこの映画には僕らを引き付ける魅力があるというのも紛いない事実でしょう。ロマーヌ・ボーランジュもとても魅力的です。恋人であるシリルがAIDSであることを知った時、その不条理さを呪い、悩み、そして自分の人生そのものを問い詰めて、それでも彼を愛しぬくことを決断する、そんな彼女のポジティブさが結局シリルを救うことになるのです。愛を信念として生き抜くこと、そんな「母」のような力強い少女をロマーヌは切々と演じました。これは絶望的な状況の中でのラブストーリーです。普段の僕なら知らず知らずの内にアンハッピーエンディングを求めてしまうところだけど、この映画の中のハッピーエンディングは、映画の外のシリルの逝去という事実と相まって、「生きる」ということの切実さを訴える粛々たる感動を僕らに与えてくれるのです。
[映画館(字幕)] 10点(2003-10-12 23:48:26)
8.  ニキータ
アンヌ・パリローがとても魅力的です。ジャン・ユーグも「ベティブルー」に続き、恋する男を切々と演じます。この映画はある意味で絶望的な状況の中でのラブストーリーということが出来るでしょう。確かにアクションも素晴らしいし、脇役で登場するジャン・レノの存在感ある役回りも魅力的です。だけど、この映画が僕らを引き付けて止まないのは、アンヌとジャン・ユーグ、またチェッキー・カリョを含めたラブストーリーの深い切実さにあるのだと僕は思います。最後に見せる彼らの涙は、そのことのリアリティを僕らに強く印象付けるのでした。
10点(2003-10-12 23:42:36)
9.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
とても好きな映画。僕が観たのは「グレートブルー」(THE BIG BLUE)でしたが。映像と音楽がとにかく素晴らしいですね。シチリアの白い大地と青い海、青い空のコントラスト。まるで海が奏でたような、静謐でいて躍動感溢れる音楽。ジャックのライバルであり、友人でもあるエンゾのキャラクター造形も何ともいえない味があります。ジャックにとって海とは、父親を奪った悪魔でありながら、常に自らを優しく包み込み、安らかな一体感を誘う大いなる(母なる)存在であったのではないか。その海がまたしても友人であるエンゾを奪った時。。。彼は悩みながらも、最期は海に誘われるがまま、海と同化することを選びます。そこに本当の答えがあると信じ。。。彼の中では自分こそ人の命を奪う海であり、悪魔だと思ったのかもしれませんね。彼にとっては避けられない結末だったのでしょう。彼はジョアンナという素敵な女性に恋をし、普通の生活を始めようとした矢先でもありました。簡単に言ってしまえば、男のロマンということになるのかな?? 大いなるものに導かれ、己の信じる運命に抗えず、自分の本当を確かめる為に、あなたを振り切って出ていこうとする彼氏に対して、ジョアンナのように「Go and see my love.」と言って送り出すことができるだろうか? どうでしょう、女性の皆さん。まぁ現代の普通の男性にとって、可愛い彼女と子供以上に大切なものなんてないだろうけど。
10点(2003-09-07 18:11:09)
10.  ラウンド・ミッドナイト 《ネタバレ》 
世界は何故丸裸なのかな? 心と魂は人間の中にある。 魚は水の中。  だが世界は周りに何もない。 いいことか、悪いことか、 覚えておこう。  『ラウンド・ミッドナイト』 -デクスター・ゴードン/海辺の語り-  デクスターゴードンのナチュラルな演技(アドリブ)に魅了される。 その息遣い。失われた熱情をなぞりながらもジャズへの愛情を深く感じる映画。 そう、これは映画である。ジャズ・ライクな映画。  ジャズに生きた男がその魂を語る言葉。声。そして音楽。 それが彼の世界であり、この映画の魂。 レディ・フランソワが受け止めたように、 それは、僕らの心と魂に伝わる。 失われたものを想起させる。  素晴らしい映画。珠玉の作品。 ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス。 演奏シーンも痺れる。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2003-07-27 16:00:45)
11.  ピアノ・レッスン
これは、あやうく刹那的な恋の感情が心的呪縛の開放とともに愛へと転化した幸福な物語なのだろうか。僕のようなプチニヒリズム的心情の持ち主には、素直にそのようには受け入れがたいところもあったのだけれど、う~んと考えてみるにつれ、こんな始まりを感じさせるハッピーエンディングな志向は、古今東西の恋物語を見回してみても、多少なりとも画期的なことだし、ある意味では確信的なことかもしれない。そこには、「The piano」の作者の水脈に対する信頼度の問題があるけれど、この物語がとても誠実であり、実際に僕の心をぐぐっと惹きつけてやまないという事実があるのは確かなのです。主人公にとってのピアノは内面世界の象徴であったと思うんだけど、最後に彼女がピアノを断ち切ることによって何を失い、何を得たのだろうか。ピアノ=内面の象徴化=自己の観念化という図式で考えれば、当初彼女の凝り固まった内面には、地平としての他者が不在であり、だからこそ、突如現れた他者としての恋感情が強烈にして彼女のピアノの旋律を狂わせたのだと思う。この恋感情が彼女を突き破り、現実をも転覆してしまうところはやっぱり確信的です。このハッピーエンディングには、彼女が欠損者であることがひとつの大きな要素となっていると言えるのではないかな。欠損からの快復の物語がエンディング以降に語られるのだろうけど、恋感情からストレートに移行するように思える、そこに恋と同列の可能性をもつある種の「癒し」の感情を強く感じることができる。こんなことを考えるのは初めてなので、うまく言えないのだけど、この作品は、終わりが始まりとなるような新しい可能性をもった画期的なラブストーリーなのだということがいえないだろうか。<最後に、、、この作品の邦題はやっぱり単純に「ピアノ」とすべきだったのではないかなぁ>
10点(2002-12-31 01:30:04)(良:1票)
12.  ベティ・ブルー/愛と激情の日々
僕はこの「ベティブルー」の世界に否応なく惹きつけられる。言うまでもないが、これはゾーグの物語である。そしてこれは、「恋」と「愛」という感情と世界をめぐるリアルな物語なのである。「恋」は受難である。僕らはそれを受け入れた途端に、あの輝かしいキラキラとした、それでいて息苦しいほどに高揚した感情が単なる受難に変わるのを知っている。それは、恋という感情にとって、彼女が世界そのものだからである。それから、彼は恋の感情を追憶しているだけの自身に気がつくかどうか。気がついたら、終わりだし、気がつかなくてもそれはまた同じことなのだ。ベティは誘う女として登場し、ゾーグは彼女に恋をする。一緒に暮らし始めた頃から、彼女は、ひたすら一途な感情をゾーグにぶつけてくるようになる。時にそれは、ゾーグの理解を超えた激しさを見せ、彼を戸惑わせる。僕は、それをゾーグ自身の心の揺れそのもの、そのリアルな反映だと思っている。自らを傷つけるベティ、それもまさにゾーグ自身なのだ。この映画が奏でる優しいメロディに潜む恐ろしいほどにリアルな物語。それは、ゾーグという意識の物語でもあり、それはまた、ベティそのものでもあるのだ。
10点(2002-11-12 01:19:59)(良:1票)
13.  ニュー・シネマ・パラダイス
兵士はなぜ99日待ちつづけて100日目に現れなかったか?それは100日目には王女様が現れてしまうことが約束されていたからではないでしょうか。99日目までに王女が現れることへの期待と待つことによって募っていく憧れそのものが彼にとっての恋愛だったと僕は思います。可能性としての恋愛。憧れ。叶わない、手の届かないことの中に可能性としての恋愛がある。それは、挫折を恐れるナイーブな感性をもつアルフレドの人生観そのものじゃないかな。あの兵士はアルフレドそのものでしょう。逸話の中の王女とスクリーンの中の女優たち。アルフレドの憧れとトトの挫折。この映画の忘れられないラストシーンもそう考えるとよりいっそう印象深いものになるんじゃないかな。
10点(2002-04-11 23:48:29)(良:1票)
14.  ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
キューバ音楽に興味がない人<普通の人はあまりないよね>でもお薦めです。音楽って素晴らしいなぁって単純に思える。忘れられたキューバ音楽の巨人達<おじいちゃん達>が演奏する姿は本当に感動的です。なぜだろうか?本来、音楽って世代を超えた根源的なものなのに今ではなかなかそう言えない部分がありますよね。おじいちゃん達の演奏は音楽が魂を揺さぶるものだってことを、キューバ音楽に限らずいいものは流行り廃りに関係なくやっぱりいいんだっていう当たり前のことを改めて感じさせるのでしょうね。あらゆるしがらみを超越した老フラミンゴ達がそれぞれ自慢の楽器を持って集う楽しい音楽パーティって感じでとても心が和みました。音楽ドキュメンタリー風映画としては、スコセッシ/ザ・バンドの「ラストワルツ」もお薦めなんだけどね~。
10点(2002-03-24 16:04:52)
15.  マルホランド・ドライブ
「マルホランドドライブ」はリンチの集大成的作品といえるでしょう。リンチの映画は一種の妄想です。まぁ映画そのものが映画作家の妄想であることも確かなんだけど、リンチの場合はそのことを明確に主張しているように僕には思える。この映画のすごいところは、リンチの妄想という土俵の上でさらに妄想的な世界と現実的な世界が入り乱れているにも関わらず、メインストーリーがしっかりと成り立っていることである。前半はマルホランドドライブの境界に入り込んだカミーラが妄想の世界に迷い込んでいるというのが僕の解釈だけど、観てる時には全くそのことに気がつかない。逆にカミーラの存在に違和を感じてしまう。箱を明けたところで妄想的世界が終わり、その後に「以前の」物語が始まるんだけど、それまでの流れと一変して激しい展開になる。これが実は現実的世界で、この物語の軸となるのは、ダイアンのカミーラへの強烈な恋心である。この「恋」への執心と現実の違いに対する嫉妬、憎しみ、絶望がダイアンの中の世界を歪ませてつくらせた物語が前半の妄想世界だと僕は思う。最後にカミーラはダイアンの雇った殺し屋に殺られそうになるんだけど、不意の交通事故で助かって最初のシーンにつながる。とにかくこの作品のストーリー展開と映像にはもう観ている最中から興奮しまくりました。(レズシーンだけじゃない!?)それはリンチの奇妙に捻れた映像感覚が僕らの内面の捻れに共鳴しているからなんだと思う。そして観終わった後に、この物語の核がダイアンの恋心であり、それがとても哀しい「ラブストーリー」なんだって気がついた時には妙に心が揺さぶられるものがあったのです。「マルホランドドライブ」は、リンチのベスト作品だと思う。ついにここまで来たか…っていうのが素直な感想。
10点(2002-03-10 10:35:18)
16.  ストレイト・ストーリー
ストレイトじいさんのストレイトなお話。いいですね。ただひたすら自分を抱えて生きてきたこと。その素直な表明。自分の生きがたさは誰のせいでもなく、ただ自分のうちで耐え続けていくべきものなのだ。その凛然とした態度。それを理解し、理解される娘の姿にも心動かされる。
10点(2002-03-01 22:25:21)
17.  トリコロール/青の愛
青は孤独に美しい。この映画で表現されるビノシュの青は、哀しみです。画面の彼女が崩れ落ちるとき、青白い素肌が妖艶な炎のように、情景に広がる静謐から沸き立ちます。僕らは、ただひたすら、彼女の青に溶け込む透徹な美しさ、何ものをも受容しない絶望の美しさに酔うのみなのでしょう。フランス国旗のトリコロールの青は自由を表すといいますが、哀しみが何ものにも代えられない自分を抱えることと同義であるという意味において、この映画の青と象徴的な重なりをみせるのでしょう。
10点(2002-03-01 02:29:10)
18.  髪結いの亭主
恋の話だと思う。恋とはなんて自分勝手なものでしょうか。この映画は妄想そのものだといえる。それは男の妄想。最後の手紙以外は全て男の頭の中の映像だったのではないかな?だって相手の女性が綺麗すぎるもの。
10点(2002-03-01 01:40:33)(良:1票)
19.  海を飛ぶ夢
正確に言えば、彼の死は「尊厳死」でもなく、「安楽死」でもない。彼は「自殺」したのであり、彼を支援する立場は「自殺幇助」であろう。 映画の中に「尊厳を守るために死ぬ」という彼の言葉がある為、そこから「尊厳死」というひとつのイメージが喚起されるが、それを限定的に扱ってしまうと、この映画から僕らが受けるより深い響きを損なってしまうように思う。それはとても勿体無いことだ。 彼は頚椎損傷を原因とする四肢麻痺により、28年間も寝たきりの生活を余儀なくされ、そこには既に長い長い物語が横たわっている。しかし、敢えて言えば、この映画は、彼と家族の長い物語の果てに、フリアとロサという全く違うタイプの二人の女性が彼らに関わる、その中で彼らが彼の自殺を決心し、そして決行する、短い期間に凝縮された感情の物語として僕は捉えるのである。もっと言えば、この物語は彼だけの物語ではなく、彼に関わった人たちの物語でもあるのだ。彼は自殺する。しかし、そこには、自殺する彼を中心にして、彼らの「生きる」ことへの濃密な意志と疑義が垣間見えないだろうか。そして彼自身についても、生と死への思いが微妙に捩れる瞬間が、その人間的な揺らぎが、共振するように僕らを揺さぶるのである。 「海を飛ぶ夢」とは何だろうか? 映像とともに印象的に語られる彼の「海を飛ぶ夢」とは? それは叶わない夢でありながら、彼を28年間支え続けてきた不可能性の可能性ではなかったか。彼はフリアに想う。「永遠に縮まらない距離」のことを。フリアもロサも結局は錯覚してしまったのだと僕は思う。彼だけが彼女達との触れ合いの中で揺らぎながらも、結局はその距離が決定的であることを悟るのである。そんな彼自身が決して相対化され得ないこと、そのことを今度は僕らが悟るに至るのだ。 間違ってはならないのは、彼は仏のように悟って死ぬのでは決してなく、人間という不可解さを自明のものとして死ぬのである。それは生きることへの揺らぎと言っていい。そこに逆説的に浮かび上がる、静かに切り取られ選び取られた生の有り様こそが僕らの胸を強く掴むのであろう。 僕としてはやはり彼に焦点を当ててしまうが、やはり、この物語は彼に関わった人々の「生きる」物語である。そしてもちろん、その反映の中に僕らも含まれている。それが観るということだろう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-06-18 22:29:51)(良:1票)
20.  ロング・エンゲージメント
『シンデレラの罠』のジャプリゾが描く第一次世界大戦期の歴史ミステリー。これをジュネ&オドレイのアメリコンビで映像化。僕は映画を先に観てから原作を読むという幸福な関係でこの作品に接したので、映画自体もとても楽しめた。ジャプリゾは映画の脚本も書いている人なので、原作自体も映画的なスピード感覚に溢れ、場面展開も小気味よい。相手からの手紙を挿入することによって、周りに状況を語らせ、主人公の語らなさ(レティセンス)を補完する手法も読み手の好奇心を煽り、ついつい読みを走らされる。また、ジャプリゾは、フランスで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳した人でもある。サリンジャーが戦争を直接描かないことによって、戦争という心的状況を突き詰めた作家であることを思えば、この小説に戦闘シーンの直接的描写が一切ないのも納得できる。ミステリーは、謎解きによって真相を追い求めていくものであるが、今では、事件の真相とそこに本当の真実がないというアンビバレンツな感覚こそが現代的なリアリティでもあり、そこからどう一歩進めるか、どう結末を付けるのかが今僕らの読む物語に求められているのではないだろうか。さて、映画であるが、この作品は基本的にミステリーだが、主人公が恋人を思い続ける恋愛映画でもあり、そこにアメリ的な「生きることそのものが、希望であり可能性であること」という思想が全面的に押し出されていく。主人公が事件の謎解きをしていく中で、事件に関わった人々の様々な人生と事件に対峙することで自らに問い掛けざるを得なかった生きることに対する戸惑いが次第に露呈されて、それは僕らの中にも沈殿していくのである。しかし、主人公は決して希望の芽を摘むことなく、謎解きこそを自らの生きる希望に変えるのである。偶然に頼る主人公の心情は余りにも乙女チックすぎる気もするが、彼女の楽観的意思の切実さは、逆にこの作品に時代的なリアリティを与えることに成功していると僕は感じた。人は様々な人達の様々の物語に翻弄され、いつでも間違え得る状況にいるが、その中でも適切に綱引きを行いながら、常に真っ当さを信じて生きていくべきなのだろう。この映画は遠い過去を描いていながら、そんな現代的な歴史性をとても素直に描いてみせる。あと、戦闘描写のリアリティについては、あまりここで語るべきものでもないと僕は思う。そこには客観的描写以外の何もないからである。
[映画館(字幕)] 9点(2005-03-21 21:06:36)
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