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1.  サクリファイス
映像の詩人、写実を突き抜けて人間の内面世界までも映し出そうとしてしまった。そんなタルコフスキーの決意のようなものが随所に見られる作品である。縦糸である強いメッセージについては、国柄の違いなどもあり各種評論やタルコフスキー本人のメッセージにその予備知識の助けを借りなければならないが、そのうえでこの映画にみられる、人間の感情、またはその感情が心に映し出す空気に注目してみたい。まず、世界の終わりを家族が知る場面。元首が、淡々とした調子で事実を述べていく。これを聞く家族達、薄暗い部屋の中で、希望の明かりをも灯すことを放棄したかのように、しずかにブラウン管を見つめる。そして一人一人が、世界の最後を前に、それぞれの自意識をもって、「個性的に」行動していく姿が描かれる。ここで問題としたいのは、これがもし主人公の夢ならば、それぞれの家族の行動は、主人公自身の、家族という他者を見た主観でしかない。妻はこういう行動をとるだろう、息子はこう話すだろうという、主人公の想像によるものでしかない。最後に夢が覚め、ゆったりとしたパンで繰り広げられる、家族の狼狽と主人公の発狂。この場面で初めて、カメラは客観的な視点となって人間達をとらえていく。そこにはセリフがなく、有機体が焼失するという科学的事実だけが示される。タルコフスキーが言わんとしている、人間を人間たらしめているものは霊的想像力のみであり、それを失えばただの動物的機械である、というメッセージが、こういう場面の対比でも如実に物語られているのではないか。また、プレゼントにと召使がつくったという家のミニチュア(この場面も、観客を夢幻にいざなう、「ノスタルジア」の水したたる箱庭に匹敵する名場面だと思う)の提示も、家=家族という、ある種人格を持った(と主人公が深層心理で考えている)「者」として、ラストの「モノ」に戻る場面の伏線になっている。すべてが「モノ」でしかなくなった時、家族も家族ではない。点在している「ヒト」でしかない。そのような社会の風潮を、なんとしても改めたいと思ったのではないだろうか?そしてそのメッセージを、最愛の息子に残したかったのではないだろうか? 現代においても、この人間の係わり合いにおける「霊的」親和力は薄れつつあるといわれる。だからこそ、東西の脅威が崩壊した今でも、タルコフスキーのメッセージが心に重くのしかかる。
10点(2004-07-15 00:09:04)
2.  ベニスに死す
ダーク・ボガードのオロオロした演技が、三国連太郎化した藤田敏八風でくさい。また、美少年に惹かれてうなされているのかと思いきや、突然フロントに、何か流行り病でもあるのではと気にしてみたり、とにかく集中力を欠く印象が強い。最後になんとか見せ場があるのが救いだ。マーラーの音楽が、主人公の滑稽さを引きたて、その滑稽さが逆に哀れみを感じさせ、マーラーがさらにその哀れみを増幅させるという、不思議な感覚のラストが面白い。
5点(2004-04-01 20:45:13)
3.  バリー・リンドン
全編から「モンティ・パイソン」の匂いがプンプンする。話はそれなりに悲劇で、それを強調するレディ・リンドンの美しさには、他の作品にみられるおふざけ感は感じられないのだが、「・・・すべてあの世」のクレジットも含めて、やはりキューブリックはこのエピソード自体を笑い飛ばしているように見える。オープニングのナレーションは「フライング・サーカス」の常套手段だし、親子の強盗はセリフも「デニス・ムーア」にそっくり!景色も似ている場面がたくさん出てくる。黒澤監督がこの映画を絶賛したそうだが、はたしてモンティ・パイソンを知っていたのか・・・。
9点(2004-03-21 03:13:17)
4.  8 1/2
理解できる、理解できない云々を言うと何も語れないが、確かにこの作品は観客を幻想の中にいざなうパワーを持っていると思う。眠くなるわけではなく、一つ一つの映像や登場人物やエピソードに力があり、わけがわからずとも引き込まれてしまう。実際自分は十数年ぶりに見たのだが、一つ一つの映像を忘れていたにもかかわらず、「これ、どこかで見た」というデジャヴのような感覚を受けるシーンがいくつもあった。ところが不思議なことに、その感覚は、81/2の劇中で見たのかどうかも確信がもてないようなものだった。これは、ストーリーに裏打ちされる形ではなく、映像の断片そのものが脳に刻み込まれていたためではないかと思う。こういう記憶のしまいこみ方は、実際に我々が見る夢とよく似ているのではないか。また、巷の数多くの異なった作品紹介文にも混乱させられ、結局どこまでが現実でどこからが夢だということすら明確にできないところも、見る側の想像力を書き立てる。最後に「人生は祭りだ、共に生きよう」と輪になって踊るシーンは、ある面では人生を達観した風にも見えるが、実はもがき苦しむ幻想の中で、自分を正当化するため、あるいはひとつの悪夢を終結させるための自己解決・自己都合でしかないとも見て取れる。それが悪いというのではなく、人間はそうやってストレスを排泄して生きている、ということを正直に吐露しているようにも見える。おそらくこの大団円が終わったあとには、寝ざめの悪い朝と、わずらわしい愛人問題と仕事とが待っていることだろう。しかしこの大団円、私もこういう夢をよく見る。セットの上から人生のキャスト総出演でゾロゾロと降りてきたときには、そら恐ろしささえ感じた。
9点(2004-02-29 19:06:20)
5.  レオン/完全版
シチュエーション的にはとても楽しめた。しかしなんか日本映画の匂いがするのはなんでだろうか?ジャン・レノの演技か?ちとクサいような気もする。練習で街の人をうっちゃいかんよ。あれでかなり引いてしまった。
6点(2004-02-27 01:53:15)
6.  冒険者たち(1967)
よい映画を見ると登場人物を本当に好きになってしまうが、この映画はオープニング数シーンで彼らのとりこになってしまった。なぜなんだ?自然でさりげないようでなぜかとても力のある映像、引き込まれずに入られない数々のシークエンス、彼らの自由奔放な生き方を食い入るように見入ってしまった。上品でいてこんなにパワフルな映画は、はじめてみたかもしれない。スバラシイ!
9点(2004-02-27 01:50:10)
7.  大いなる幻影(1937)
映画では、男女や友人同士といった人間社会の「感情」を描いたり、自然風景の美しさを描いたりすることはあるが、人間の生き方そのものを「美」として表現しているこの映画はなかなか稀有である。それが少しも浮き上がることなく、色あせた収容所の壁の中で、まさに窓際に咲く一輪の花のように、鮮やかに映えている点は素晴らしい。「貴族社会」というと、「世間知らず」「脱世」というようなイメージが先行してしまうが、そういうところゆえに生ずる美しさ、というものを感じることができた。歴史の授業では、貴族文化は権威を誇示するものという面を強調されて教わってきたが、そんな一面で捉えられるものではなく、世俗を超越した、気品あふれる「花」のような美的感性を無視することはできないと感じた。対照的にジャン・ギャバンの演技は実に世俗的で、この対比がまた人間模様をかもし出していて、実に楽しい。
9点(2004-02-24 00:24:49)(良:4票)
8.  アンダルシアの犬
見るまでは、街の孤独な少年と野良犬との心温まる交流を描いた作品、だとばかり思っていた!(笑)今となってはこういうコラージュ的映像というものは氾濫してしまっているが、映画というものの可能性を模索していた時代にこういう作品をのこしたことは敬服するばかりだ。ストーリーがまったくないわけではないようなので、ほかの映画と同じく人間生活のワンシーンを人とは違う切り口でフィルムに焼き付けたということは少しばかり理解できる。しかしあのラストシーンは何なんだ?「へー」でもなく「ウオー」でもなく「ふぇ~」というため息が出てきそうな作品だ。
7点(2004-02-21 17:17:50)
9.  天井桟敷の人々
バチスト、ルメートルは見事な存在感と演技だけれども、その他の役者にはもう一つキレが感じられない。特にガランス。食えないオバサンにしか見えない。女性の魅力を一方向で語ることは出来ないことぐらい理解できるが、数多の男性達を魅了するような、若き熱情の息吹が萌えるような魅力は残念ながら見て取れない。一方のナタリーもカチカチの表情だ。饒舌によってやっと位置づけが理解できる。(中盤の二人の会話を、一度音を消してご覧になるとよくわかると思う)名作との誉れ高いが、時代とともに風化していく部分は否めないと感じた。それとも、カキワリの「天井桟敷の人々」の中で、最後までバチストは「一人芝居」をしていたという意味なのか・・・。
6点(2004-02-15 01:59:19)
10.  気狂いピエロ
さっぱりわからなかった。何をわかってほしいという映画では無いようなのでそれは仕方がないか。ただこの映画を見て自分が感じたのは、そういえば僕らは日々の生活の中で、小さな殺人を犯し、小さな逃避行をし、小さな裏切りに会い、小さな仕返しをし、小さな自爆を繰り返しているということ。そういう意味では日常の見えない部分の絵を切り取って見ているような感覚を覚えた。水攻めのシーンで、水をかけるのをやめるごとに蛇口を閉める几帳面なギャングに笑ってしまった。
7点(2004-02-12 23:46:16)
11.  ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版
劇場公開版をみていないので、こちらオリジナル版が自分にとっての唯一になってしまいますが、すばらしい映画だと思いました。これは私小説かと思うくらい、監督の映画に対する情熱、愛情がにじみ出ていると思います。29歳でこのような作品を作るとは脅威ですね。トトとエレナに対するアルフレッドの行動は、未来に限りない選択肢が残された、未だ手に入れていないものが多い若者であるほど理解しがたく、半ば憎らしいものにも感じることでしょう。しかしアルフレッドは悟っているわけです。人生という道のりはたった一本しかない。ちょうど映画の筋書きのように。トトを愛しているからこそ、捨てるべきは何なのかを教えたかったのでしょう。その選択が、本当に正しかったのかどうかはわかりません。ただあの日の恋物語は既にトラックダウンしたものであり、二度と戻らないということを二人は確認したと思います。良くも悪くも、これが自分の歩んできた道だということを。さて最後のラブシーンですが、これも映画に対するアルフレッドのメッセージです。道徳という規律によって簡単にカットされるようなシーンでも、それぞれの作者がどんな思いであのシーンをフィルムに焼き付けたか、今のトトなら身を切るような気持ちで理解することができたでしょう。ここは我々観客も同じですね。切り落とした枝が多ければ多いほど、見ている画面とは別のラッシュが心の中で駆け巡り、悲しいけれど爽やかな涙を誘います。
10点(2004-02-09 22:13:37)(良:3票)
12.  戦場のピアニスト
隠れる、見つかる、逃げる、食べ物探す~の繰り返しで、中盤はとてもだれてしまう。ピアノを弾くシーンは着弾のサイン。史実を忠実に描くという姿勢はわかるが、あまりにもアイデア不足ではなかろうか。主人公の俳優はいかにも悲しげな表情だが、その内側からはあまり感じ取れなかったのは残念。ホロコーストはなんども映像化されているために、ピアノという横軸がこの程度ではかなり弱い。ドラマ「赤い激流」のほうがピアノへの情熱を熱く感じたのは私だけだろうか。
5点(2004-02-01 22:18:30)
13.  ターミネーター2
パート1のスリルをそのまま引き継いで、ドラマ的要素を追加しているところは、パート2としては大成功ではないでしょうか?期待通りだったと思います。
8点(2004-01-03 22:30:01)
14.  
映像の美しさ、武満音楽の不条理さなど、さすが黒澤と思わせる場面はあるものの、どうしてもウソ臭く感じてしまう。この映画の前に、かつての名脇役藤原釜足が亡くなっているのだが、主人公の「建前」に対して「そうはいっても・・・」という人間の「本音」をしっかりと演じ、黒澤ヒロイズムが荒唐無稽になるのを陰で支えていた彼がいなくなり、この映画が製作されたのはある意味象徴的である。最後は我々に向かって、「神は嘆いているのだ」と説明してしまった。また、莫大な費用を投じて落城シーンを演出することに文句はないが、あんなだだ広い高原にポツンと建っている城が炎上しても、必然としか感じられない。
5点(2003-12-20 11:46:18)
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