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プロフィール
コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  市民ケーン
映画に「革命」を起こしたと言われる本作ですが、ここのレビューでは結構シビアなコメント&点数の方も多いですね…。確かに60年以上前の作品を今初めてみる時、ぼくたちはいろんな情報だの先入観だのにとらわれすぎて、逆に作品そのものが見えにくくなっているかもしれない。だから「どこが映画史上の最高傑作やねん!」と反発したり、「古臭いだけじゃん」と思ったり、「やっぱりパンフォーカスの映像や、ち密な構成など、古典的名作はスゴイっ!」と知識の後追いで満足したり…と、ちょっと映画そのものから離れて評価が下されすぎるんでしょうね。(それにしても、ざっと他の方のレビューを拝見していたら、途中になにか論争めいたコメントがチラホラ…。何があったのかなあ。その「発端」となったコメントは削除されたんでしょうか? なら、ちょっと残念な気も…)。あ、前置きがいささか長くなりました。ぼく個人は、「今見ても十分に面白いやん!」と、そのたたみかけるようなテンポとハッタリ度満点なセット、若きウェルズの堂々たるカリスマ的演技に、感心させられました。ただ、オーソン・ウェルズ作品としては、『オセロ』や『黒い罠』の方こそを圧倒的に評価する者なので…。いやぁ~、映画(の評価)って本当にムツカシイですねっ! 《追記》蛇足めいて恐縮ですが、この作品でウェルズが駆使した映像手法は、例えば「パンフォーカス」にしても決して彼の「独創」ではありません。すでにジョン・フォードやウィリアム・ワイラーといった監督が、部分的にしろ本作以前に試みていたいたものです。ウェルズは、それらの作品の撮影監督だったグレッグ・トーランドを起用することで、先人たちの手法をより徹底化した。そういった意味において、ウェルズの「天才」をやみくもに賞賛するんじゃなく、この「若く才能にあふれ野心的な」新人監督にふさわしいデビュー作だとぼくは評価したい。そして、これが「映画史上の最高傑作」とおっしゃるぶんには異論はなくても、ウェルズが「これ1作のみ」みたいに言われる向きには断固反論したいです。ウェルズは、本作の後にも素晴らしい映画を撮った。ある意味、このデビュー作以上に真に「天才的」な映画だって何本もあるんだ…と。 彼のキャリアは、この1本で「終わった」わけじゃない。そういった意味も込めて、ぼくは「8」評価にしました。
8点(2003-10-17 16:58:10)(良:5票)
2.  ラルジャン
「たまげた」とは、漢字で書くと“魂消た”となる。タマシイが消えるほどの驚愕ということの本当の意味を、ぼくはこの映画で知りました…。少年の作った稚拙な「偽札」が、人の手から手へと“流通(!)”していくことの不条理。その1枚のために、投獄され、妻子を失い、遂には善良な一家を惨殺する男の顛末は、運命というより、あたかもそれが「必然」であるかのように、寸分のブレもなく進んでいく。…フランケンシュタインの怪物は「感情」を持っていたがために悲劇を招いたけれど、この映画の男は、徹底的に感情を喪失した「怪物(モンスター)」として映画の最後に君臨する。ゆえに、もはやこれはどんな悲劇でも不条理劇でもない、究極の「ホラー映画」に他ならない…。繰り返すけれど、ぼくにとってこれほど恐ろしい映画はなかったし、これからもないだろう。単なる“好き・嫌い”を超越した次元でこの作品は、《映画の極北》として、絶対零度的な寒々しい輝きを放ち続けている。…ヘタに近づくと、あなたのタマシイも凍りついちゃいますよ。
10点(2004-03-03 13:47:26)(良:3票)
3.  ミリオンダラー・ホテル
決して全てに成功しているワケじゃないけど、ここしばらくのヴェンダ-ス作品では最も愛しい、そして美しい映画じゃないでしょうか。あまりにナイーヴな眼差しの中に語られる、「人間とは生きるに値いするか、そんな価値のない罪深き存在か?」という問いは、おいおいそんな恥ずかしいメッセージをわざわざ映画にすんなよ、と赤面させられもする。が、こんな時代であり、こんな世界だからこそそんな“問い”を自問し、本気で考察することも、きっと必要なのだ。ペシミスティックではあっても、決してニヒリズムには陥らないという、まさに『ベルリン・天使の詩』以降のヴェンダースの決意がひしひしと伝わってくる。やっぱり、彼って「天使的存在」なのかもしれないなあ。そして間違いなく「天使」に他ならないこの映画でのミラ・ジョヴォビッチ、最高です。
9点(2003-06-06 16:03:45)(良:1票)
4.  耳に残るは君の歌声
意外にも皆さん点数辛いので、あえて満点。ぼくには素晴らしい映画でしたけどねえ…。この20世紀を、たったひとりの少女の「父を訪ねて3千里」というパーソナルなドラマの中に描ききってしまおうという監督の野心は、見事に達成されているのではないですか。いっくらでも重厚に、かつドラマチックに作れるはずのプロットを、「ただ父の前で歌いたい」というシンプルな娘の願いと相対化することで、歴史そのものを内面化してみせたその才気。そう、「歴史」とは、ひとりひとりは無名の人間たちが生きてきたという事実の集積ではないですか。大文字の「歴史」観からは決して見えてこない、「個」としての人間の生の証し。そんな、実に当たり前のことを思い出させてくれる、本当に本当に美しい映画です。誰が何と言おうと!
10点(2003-06-06 15:49:12)(良:3票)
5.  ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
う~ん、素晴らしいなあ。何度見てもクスクス笑えて、ちょっと切なくて、どこかグロテスクなのにすべてのキャラたちが愛しく思えてくる。とにかくダニー・エルフマンの楽曲と、ティム・バートンのビジュアルセンスが見事に幸福な”ケミストリー”を果たしたという意味で、アニメとしては最高峰の1本でしょう。ああ、サリーのほころびをぼくが縫ってあげたい…
10点(2003-09-13 15:17:47)(良:1票)
6.  イージー・ライダー
ある意味、ゴダールの『勝手にしやがれ』以上に「映画」そのものの概念を一変させた奇跡的な作品でしょう。ズームレンズ1本でアメリカを横断すりゃ、それで映画なんか出来ちまうという、コペルニクス的転回! ただ、そのイージーな方法論(?)が真に成功したのも、この本作のみということを映画史は記録することになる…。いきあたりばったりな展開のなかから、「アメリカ」という国の”素顔”が、”本質”が鮮やかに浮き彫りにされ、それは今見ても十分インパクトがある。ただ、映画に「物語」だの「生理的刺激(=興奮・快感)」といった「面白さ」だけを要求する向き、1本の作品を自分なりの興味なり意志なりで「読みかえる」ことをせず、単にその与えられた「面白さ」の好みのみを評価の判断基準にする向きには、やはりオススメしませんが。と、「物事を素直に見れない性質の悪い天邪鬼」であるぼくは、10点献上したうえで、あえて申っせていただきます。
10点(2003-10-08 11:04:21)(良:4票)
7.  博士の愛した数式
ええ~っ、こんなに評価が低いんですか!? 初日の土曜日に見て、次の日曜日に、今度はカミさんと9歳の息子を伴って再見したほどホレ込んだ小生にとっては、大ショックです・・・  本作に限らず小泉堯史監督の映画は、一見すると何の変哲もない場面であり画面に、人の心の「優しさ」や、人間という存在の「愛しさ」を映し出す。それは“目に見えないもの”であることによって、本来なら映像化できないものであるはずなのに、小泉作品においては確かに「見える」。かつて故・トリュフォー監督がある映画を評して、「ボンジュール(こんにちは)という挨拶のようにさりげない」ことの美しさを讃えていたことがあったけれど、この『博士の愛した数式』など、まさにそういったさりげない、けれど奥深い精神性の美によって、あくまで慎ましく輝いているんじゃないでしょうか。  成人して高校の数学教師になった“ルート”が、黒板に書き出す数式の数々の何という「美しさ」と「あたたかさ」。原作もまた数式の「美しさ」に捧げられたものであったけれど、この映画にはそこに「ぬくもり」をもたらしている。その一点において、小生は小川洋子の小説よりもこの映画の方が勝っているとすら思います。  …そう、映画は本来、頬をなでる風のように“目には見えないけれど感じることができる”もの、例えば「愛」や「優しさ」を、そういった深い「精神性」をスクリーンに映し出す<奇跡>を実現することができた。今では大多数の映画から失われてしまったそんな<奇跡>の力を、この作品は持ち得ている。少なくともぼくはそう信じて疑いません。  …そして映画の最後近く、授業終了のチャイムが鳴ってもひとりだけ椅子に座ったままの男子生徒の姿が、一瞬、画面の片隅に映し出される。だからどうしたというわけじゃなく、ぼくは彼の姿を生涯忘れないだろうと思います。
[映画館(字幕)] 10点(2006-01-23 11:10:58)(良:3票)
8.  サルート・オブ・ザ・ジャガー 《ネタバレ》 
『ブレードランナー』や『許されざる者』、『12モンキーズ』などの脚本家デビッド・ピープルズが、初監督に挑戦したSFアクション。例によって原始時代に逆戻りしたかのような未来世界で、何かホッケーかラクロスと格闘技を足したようなスポーツの巡業(?)の旅を続ける、ルトガー・ハウアーとそのチームの物語です。彼らのところに、まるで『七人の侍』の菊千代みたいにジョアン・チェンが強引に加わり、やがて彼女が一流のプレイヤーに成長するまでの間に、師弟愛を越えたほのかな恋愛感情あり、卑劣な敵側の陰謀あり…と、まあこの手の映画にありがちな展開ではあるんですよね。しかし、ルトガー・ハウアーたちが試合に命がけで挑み、ひとつの試合を生き抜くとまた次の試合に臨むために荒野を徒歩で移動する姿は、まるでTVドラマ『コンバット』や『プライベート・ライアン』あたりの歩兵小隊そのまま。そんなかれらのストイックな生きざまが、めちゃくちゃカッコいいんだな。映画の最後、大きな町のチームに迎え入れられたジョアン・チェンと、また黙々と次の試合相手のもとへ旅を続けるハウアーたち。その対比に、ぼくは本物の「ヒロイズム」を見た思いです。そう、これは真の”戦士”についての、シンプルだけど実に力強く思考された一考察に他ならない。ただ暴力的なだけじゃなく、知的にも、情動的にも深いインパクトを与えてくれるドラマです。  《追記》ああ、ようやくこの映画に“救いの手”が現れた! 【なにわ君】さんのレビューを拝見して、ぼくも「8」じゃ映画に申し訳なくなってしまいました。よって、今さらながらの満点献上。本当にこの作品にみなぎる「心意気」と「気高さ」こそ、今の自分に必要なものだと痛感。どうにかして、もう一度見たいなあ。…  《再追記》あらためて【なにわ君】さん、どうもありがとうございます! ぼくが唯一行く弱小レンタルビデオ店には置いてないので、今度DVD探してみますね。ただ、この映画の原題も2種類あるし、別バージョンのものがあるのかもしれませんねぇ…。 《再々追記》おおっ、久々に同志が…(感涙)。【映画の奴隷】さんのレビューで、あのラストシーンが鮮明に浮かんできました! ああ、また見たいっ! しかし小生が行くレンタル店には、この映画がないっっ! 嗚呼。 《再々々追記》おおっ、“同志”がまたひとり!
[映画館(字幕)] 10点(2003-11-17 11:30:20)(良:4票)
9.  脱走四万キロ 《ネタバレ》 
ロイ(・ウォード)・ベイカー監督と言えば、ジェームズ・キャメロンの『タイタニック』でもかなり“参照”されたとおぼしい『SOSタイタニック』や、あるいはハマー・フィルムのドラキュラ映画でご存知の方も多い(?)のでは。実を言うと、ある時期まで(いや、実は今なお)このベイカー監督の名前は、ぼくにとって、例えば同じイギリスのデヴィッド・リーンなんかよりもずっと“偉大(!)”だったんである…  この監督の映画は、「ドキュメンタリー的」な面と「ドラマ性」とが融合し、時には対立しながら、あるひとつの濃密な“劇的空間”を画面に構築していく。そして題材やストーリーによって、「ドキュメンタリー的」な要素が勝ったり「ドラマ性」が大きくなったりする、そのバランス感覚においても傑出してたんだと思う(…後年、ハマーのゲテ物ホラー映画を撮る頃には、そういったバランスなどほとんど“放棄”しているかのようだったが…)。  例えば、この『脱走四万キロ』だ。イギリス映画でありながら実在したドイツ軍パイロットを主人公とし、しかもまんまとイギリス軍の収容所から脱走するまでの顛末を描くという本作。冒頭の空中戦から、主人公が不時着して捕虜となるまでのくだりにおいて、実写フィルムを巧みに織りまぜながら見る者を一挙に「ドラマ」へと引っ張り込んでいく。その後は、何回も脱走を繰り返すパイロットの“一人舞台”となるのだけれど、特に後半、厳冬のカナダの収容所に送られた彼が、雪の平原や森、凍った河を逃亡する描写は、ひたすらロングに引いた苛酷な自然の中にポツンと映る主人公の姿を延々と追うだけでありながら(ほとんどセリフすらない)、本当に血沸き肉躍る、いっときも眼が離せない、スリリングな冒険譚になっているんである! …昨今の大げさな設定やらCGによるド派手な映像やらがなくても、この地味なモノクロ映画は、主人公の置かれた“状況”をキャメラで捉えるだけで、かくも濃密な「ドラマ」が描きうることを教えてくれる(そんなベイカー監督の才能が遺憾なく発揮されたのが、本作の翌年に作られた『SOSタイタニック』に他ならないだろう)。何も「ドキュメンタル」な撮り方だから良いんじゃない、その“状況”の描写力において傑出しているからこそ、素晴らしいのだった。  この監督をきちんと再評価してくれる評論家センセイ、誰かおられませんかねぇ…
9点(2004-11-20 15:58:23)(良:1票)
10.  映画ドラえもん のび太の恐竜2006
…夜明けとともに、のび太が懸命にあたため続けた恐竜のタマゴがふ化する。光があふれる窓を背景に、逆光気味に捉えられたのび太と恐竜ピー助。この瞬間、彼らはお互いに「かけがえのない存在」であることを全身で受け止めている。そして見ているぼくたち観客にも、その“思い”は、ハッキリと伝わってくるのだ。  だからこそ、その後の冒険の中で、のび太が決してピー助を見捨てようとしなかったこと、しかし最後はピー助のために別れなければならないことの「感動」がより際だったのだと思う。さらに、ジャイアンやスネ夫たちまでもが、のび太を最後まで裏切らないことの「心意気」に胸を打たれたのだと思う。  「愛するものを見捨てない」「友だちはかけがえのないものだ」「相手を思いやること」・・・この映画が描こうとしているのは、コトバにしてしまうと、とても単純で気恥ずかしいものだろう。しかし本作の作り手たちは、驚くほどの熱意と才能のありったけを注ぎ込んで、そういう「単純でありふれているけれど、何より大切なこと」を観客であるこどもたちに“説得”しようとする。そしてその真摯で心情のこもった映像には、オトナの観客をも心から説得されるに違いない。事実、あの時映画館にいた誰もがのび太たちを「あたたかい目」で見守り、それぞれが「かけがえのないもの」へ思いをはせていたのだった…。  『クレヨンしんちゃん』のように、登場するキャラクターだけを“口実(エクスキューズ)”にして「作家主義((!)」に走るのではなく、ジブリ作品のようにオリジナルな映画づくりを謳歌するのでもない。あくまで「ドラえもん」の世界に忠実でありながら、それを“超える”のではなく“深める”ことをめざした本作。・・・今さら「ドラえもん」なんて、と言わないで、ぜひ見てください。きっとアナタも、誰もが「あたたかい目」になっている映画館の幸福な“空気”を体験できますから。そして、ラストに流れるスキマスイッチの歌・・・ああ、また見たくなってきた。   《追記》↑なるほど、【トト】さんのようにオリジナル作品のファンから見ると「辛口」な評価になるんですね…。ただ、のび太を「男(ヒーロー)」というより、あくまで等身大の「11歳の少年」として描こうとした新「ドラえもん」は、藤子・F・不二雄先生の意志に反するものじゃない…と思うのですが、どうでしょう? ついでに点数も9→10てことで!
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-16 13:32:13)(良:4票)
11.  フォー・ザ・ボーイズ
ベット・ミドラー、本当に素晴らしいですよね。何で一度も日本でコンサートやってくれないんだろう…。ともかく、彼女が自分のプロダクションこさえて、『ローズ』で一緒だったマ-ク・ライデル監督を引っぱりだして(監督は監督で、気心の知れたジェームズ・カーンと自分の息子を呼び出して)、もう、やりたいようにやったという感じが、やや暑苦しくもあるけど、素直に拍手してあげたいっす。特に、あのベトナム慰問シーンは、何度見ても感動させられるし。《追記》2005.1.11ビデオで久しぶりに再見。映画の中で、「あの二人なら、ボブ・ホープ&ビング・クロスビーを超えられる」というセリフがある。ぼくもまた、このベット・ミドラーとジェームズ・カーンのコンビなら、あの偉大なホープ&クロスビーを超えられる! と、本気で思ったのだった。それほどまでに、本作のミドラーとカーンは素晴らしい。とりわけミドラーは、本当に本当に本当にファビュラスでマーヴェラス!! …確かに映画は、時代の上っ面をなぞっただけの通俗的なメロドラマであるに過ぎないのかもしれない。けれど、人の心を癒し、なぐさめることもまた「娯楽」の効能であるのなら、これは間違いなく最高の「娯楽映画」のひとつだろう。ミドラーとカーンに敬意を込めて、あらためて評価を「8」から「10」へとさせていただきます。
10点(2003-05-31 12:42:09)(良:2票)
12.  アバウト・シュミット
今年(2003年)公開された映画の中でも、今のところ1、2を争う秀作。生きることの切なさ、やるせなさ、愛しさが、実にひょうひょうと描かれていて、まだ若い監督のくせにもはや名人芸のごとき巧さ。ジャック・ニコルソンはこれまでのキャリアでも最高の名演です。まだまだ脂ぎった彼が、ほとんど笠智衆(!)のように見えてくるなんざ、ビックラこいちまっただ。作品自体も、ほとんど日本映画のような撮り方で、この監督は今後とも要チェックと断言しておこう。 《追記》やはり2003年度公作品では、ぼくのベスト作品になりました。冒頭、主人公シュミット氏の会社がある高層ビルを映すカット割りは、まさしく小津安二郎作品そのもの。それも、単なるモノマネや青臭いオマージュなんかじゃなく、はっきりと自分の「スタイル」にしているところがスゴイです。一見地味だけど、これは本物の“滋味”あふれる秀作だ。
10点(2003-07-16 16:03:15)(良:1票)
13.  チャーリーズ・エンジェル フルスロットル
CGまみれのムチャクチャご都合主義な展開は、ほとんど往年のギャグ・アニメみたい。作品的にはお世辞にも完成度が高いとは言えないけれど、いやー、3人の”エンジェル”を演じぇる(…ハハ、親父だねえ)女優たちの何と楽しそうなこと! 彼女たちを悪役のデミ・ムーアと闘わせるというアイデアだけで、もうカネ払ってもオツリがくるってもんだ。それに、いろんな映画のおバカなパロディが次々と登場するものの、そこには作り手のピュアな愛情が感じられるし。このMcGって監督、ほんと映画狂なのね。特に『雨に唄えば』がお気に入りのご様子。うん、いい趣味してんじゃん。少なくとも『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟みたいな単なるオタクじゃない分、好感度大!
7点(2003-07-15 14:29:51)(良:1票)
14.  危険なめぐり逢い
物憂げな眼差しのマリア・シュナイダーが、何と言っても最大の魅力。彼女が少年の誘拐事件に巻き込まれ、被害者の男の子と少しずつ心を通いあわせていくあたりの展開が泣かせます。はすっぱな”悪女”を演じたシドニー・ロームも、ヌードにまでなっての大熱演。犯人役のヴィク・モローの凶悪な雰囲気もいい味だし。ルネ・クレマンの演出がとかく耽美的かつ詩的なムードに流されがちなところは、好みの分かれるところでしょうけれど、間違いなくマリア・シュナイダー好きにはたまらない、彼女が最も魅力的な作品として忘れられません。
7点(2003-11-10 17:37:39)(良:1票)
15.  火星探検 《ネタバレ》 
冒頭、月着陸を計画した博士や宇宙飛行士たちの記者会見の模様が延々と続き、これがやたら長い。いいかげん観客が焦れてくる頃、ようやくアタフタと出発(笑)。しかし航行中、燃料の計算ミスで推進力が低下したとかで、今度は紙に鉛筆(!)で受験生みたく延々と計算し直す場面が続くんである。その挙げ句、突然の加速(またも計算間違いで?)宇宙船は軌道をはずれ、失神した乗組員とともに月ではなく火星に到達。ううむ、いったい彼らはどれだけの時間気を失っていたんだ? ・・・まったく、隕石群の飛来とか、核戦争の末に退化したらしい火星人の襲撃などといった見せ場より、この映画はそういった地味な(そしていささかおマヌケな)場面にこそ焦点を当てているかのようだ。  1950年代のアメリカ映画にあって、特にこの手の「B級」(とはいえ本作、赤狩りの当事者ゆえノン・クレジットだが脚本にダルトン・トランボ! 撮影監督や音楽にも驚くべき名前がクレジットされている)SFは、宇宙人や怪物たち(とは、冷戦と「共産主義者」の暗喩的存在だ)とのヒロイックな戦いを描き、無邪気なまでに「自由主義」礼賛を謳いあげたものだった。けれど一見「おバカ映画」な本作は、そういったプリミティヴな「思想的偏向」ではなく、実のところ極めて屈折したかたちで「愛」を描こうとする。というかこれは、オザ・マッセン演じる女性科学者こそを主人公とした「女性映画」、一種の『ニノチカ』の変奏(!)として見るべき作品なのだと思う。  ロイド・ブリッジスの好意にも冷ややかだった“科学がすべて”である彼女が、いかにして「女性」としての自己を取り戻し、「愛」の言葉を口にするかーー。それを、ルビッチ作品のような諧謔とフモール(ユーモア)ではなく、これも「ドイツ的」といえなくもない生真面目さとともに、「宇宙冒険もの」というカテゴリーにしのび込ませる。しかも、彼女が「愛することの歓び」に目覚めると同時に悲劇が訪れるという、驚くべき〈運命愛〉的な結末・・・。  おいおい冗談だろ、と申すなかれ。この名もないドイツ出身監督による低予算SF映画は、間違いなくもうひとつの「別の物語」を語っている。それが「ルビッチ」という“偉大なドイツ出身監督”の作品を想起させてくれただけでも、少なくともぼくにとって、実に刺激的な映画体験をもたらしてくれたのだった。 
[DVD(字幕)] 7点(2008-05-19 11:56:59)(良:1票)
16.  愛する(1997)
この映画のあらゆる欠点について、他の皆さんのコメントにうなづきつつ、ただ一点において、ぼくが本作を否定しきれない理由。それは、これが熊井啓監督の撮った「遅れてきた日活青春映画」だからってことだ。デビュー作から硬派のモンダイ作ばかりで、同時代の日活アクションや青春ドラマから背を向けていたこの日活出身の監督が、酒井美紀を吉永小百合か和泉雅子に、渡部篤郎を浜田光夫に見立てて遂に創った往年の「日活映画」…。そんなナイーブさが、なんかいぢらしいっていうか、かわゆいっていうか。
7点(2003-05-20 10:58:22)(良:1票)
17.  アメリ
こういう映画に与太を飛ばすのって、不粋なマネであることは承知なんですが…。主人公をはじめとして、登場人物すべてが自己の「内なるファンタジー」に生きてるという、一種の現実逃避をここまで「肯定」するのっていかがなものなんでしょうか。世の中そんなアマイもんじゃねえ! と、小生ならアメリの横っ面を往復ビンタでありますね(教育的指導です、あくまでも)。つまりは「アメリ(カ)」風の多幸症おフランスバージョンざます。
5点(2003-06-19 13:01:23)(良:1票)
18.  パニック・ルーム
プロットは確かにサスペンス・スリラーの王道。だけど、あのデビッド・フィンチャーがまともにそんな映画を撮るワケないじゃないか。…と、考える人こそが本作の幸福な鑑賞者になれるでしょう。すべてに破格な『ファイト・クラブ』の後、彼が次に目論んだのは、ワンショットもゆるがせにしない古典的演出を、いかに現代的なキャメラワークで実現できるかということ。実際、ここでフィンチャーが見せるサスペンス演出は、あきらかに50・60年代的なものであり(この作品と比較するに最もふさわしいのは、『不意打ち』というオリビア・デ・ハビランド、ジェームズ・カーン主演の1964年度作品でしょう)、いささかも「現代的」な大袈裟かつセンセーショナルなこけおどしを用いていない。それゆえ、かったるいだの、物足りないとおっしゃる向きも分からなくはないのだけど、そういう時に皆さんが求めているのは「サスペンス」じゃなく「サプライズ」でしょう? そういったハズシ方こそが、いかにもフィンチャーらしい「戦略」だと思うんだけどなあ。あと、これを「本当は『エイリアン3』をこういう風な映画にしたかった」という彼の、”裏『エイリアン3』”として見ても、面白いんじゃないでしょうか。…この見方、ダメ? 
9点(2003-10-06 18:21:16)(良:2票)
19.  バットマン ビギンズ
う~ん…。  結局この映画の作り手たちは、「バットマン」というものにまったく興味がないんだろう。原作コミックにしろ、ティム・バートンの映画化作品にしろ(あのシューマッカー監督作品にすら!)、この奇妙なコウモリ男が活躍するヒーロー譚の<本質>は、実のところ精神的・肉体的フリークスたちによるグロテスクかつバーレスクな「祝祭」としての非日常性にあった。彼は、他のヒーローたち(スパイダーマン.etc)のように正常な「日常」を回復するために闘うのではなく、逆に、さらなる「非日常」をもたらす“司祭”とも言うべきアナーキーな存在なのである。結果的に悪を倒したとしても、それは単に「祭の終わり」を告げ、もたらすものであったにすぎない。そう、バットマンとは、あのビートルジュース(!)と実は同類の、非日常世界の住人であり「怪人(フリーク)」なのだ。スパイダーマンだのXメンだのが、ニューヨークをはじめ現実の都市を舞台に活躍するのに対し、バットマンが「ゴッサムシティ」という架空の街を背景にしていることを思い出そう。もしバットマンをこの「現実世界」に登場させたなら、彼はたちまち狂人か精神異常の犯罪者として人々から石を投げられるにちがいない。バットマンが「ヒーロー」として“生きられる”のは、あくまで彼を含めたフリークスたちが思いのままに振る舞える、非日常世界でしかないのだ。…そういった“倒錯”にこそ、「バットマン」の真のユニークさがあったはずだった。  だのに、クリストファー・ノーラン監督たちは、何としてもバットマンをこの「現実」に引っぱりだそうとする。精神的フリークとしてでなく、自分の“弱さ”や心の闇を克服せんとする「求道的(!)」ヒーローとしてだ。ブルース・ウェインがカネにものをいわせてバットスーツやらモビールを開発していく過程を、映画は克明に見せてくれる。いかにも、「これはファンタジーだけど、いかにも“リアル”なファンタジーだろ?」と得意気に。だが、もはやそこに「バットマン」はいない。代わりにぼくたちは、単なる「金持ちのボンボンによる冒険物語」に付き合わされることになる。  とにかく、「バットマン」をシリアスな“色気のないジェームズ・ボンド映画”にした罪は重いぞ。…こんなの、バットマンじゃないやい!
[映画館(字幕)] 5点(2005-06-22 20:13:57)(良:2票)
20.  居酒屋ゆうれい
ぼくとしては、かなり面白くてよく出来た現代の「人情噺」だと思いますよ。ショーケンも好演だったし、室井滋はのほほんとした、しかしこの世のものではない幽霊の滑稽と悲哀を上手く表現していたし、山口智子はイロッぽかったし。それに、居酒屋の客たちの小さなエピソードや、ネオンサインなど「小道具」を使った語り口の巧さも、ちょっとした名人芸の域。こういう「普通に良い映画」が当たり前のように劇場にかかるようになると、本当にいいのにな…といった、ひさびさに「らしい」日本映画でした。
[映画館(邦画)] 8点(2003-10-17 17:42:36)(良:2票)

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