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1.  アラビアのロレンス 完全版 《ネタバレ》 
映画という表現形式を芸術にまで高めた大作であり、間違いなく映画界の最高峰に位置する。とりわけその映像美には感嘆を禁じ得ない。 毀誉褒貶相半ばする歴史上の人物、ロレンスが主人公。非嫡出子で、考古学者で、軍人で、独創家で、反抗的で、アラブ贔屓でと一言では言い表せない複雑な人物だ。 そのことを冒頭、記者に「詩人であり、学者であり、偉大な戦士だった。同時に恥知らずな自己宣伝家だった」と言わせ、それに軍人が抗議するするが、実は彼は、過去にロレンスをアラブ人と間違えて平手打ちしているのだ。実に巧みな技法だ。英国からも、アラブからも、誰からも理解されなかったロレンスの孤独な半生を表象している。 彼は砂漠に放たれたとき嬉々として、「運命など無い」と吠えた。アラブ人を仲間に迎え、アラブ開放を理想に掲げ、戦闘で数々の武功をあげ、名声をもたらすが、それは彼の空回りでしかなかった。運命の皮肉により、彼の希望の象徴だったガシムと、無邪気さの象徴だった二人の少年の一人を我が手にかけなけれならなくなる。仲間の死、戦争の残虐さ、 野放図で勝手気侭でロレンス理想を理解しないアラブ人、部族間の対立、政治の欺瞞と老獪さ、理想と現実の狭間で、彼は人間性を失ってゆき、彼自身を恐れるようになった。映画はその変遷を服で表現している。アラブ式白衣はロレンス自慢のものだったが、徐々に汚れてゆき、血に染まり、汚濁にまみれ、遂には脱ぎ捨て、身丈の合わない軍服を着る。見事な表現方法だ。 全編を通じて映し出される砂漠は神がかっている程美しい。監督が砂漠に魅入られているのだ。砂漠は潔癖で人間を拒む。血も流れるがすぐに乾く。苛酷な砂漠の前では、人間は矮小な生き物でしかない。伝統的暮らしに埋没し、目の前の生活に汲々とする人達にとって、アラブ独立国家樹立等という理想は蜃気楼に過ぎない。そのことを映画は繰り返し、砂漠の大景の中の点景として人間を見せるで表現している。 それでも歴史の影は容赦なく忍びこんでくる。第一次世界大戦を戦う大国の前では、アラブ民族は、利用され、征服される存在でしかない。一石を投じたロレンスも歴史の淵に沈んでいった。一人の人間の力では、燐寸の火は消せても、灼熱の太陽は消せない。悲劇の歴史の一齣を、冷徹な眼でもって芸術的な抒情詩として描いて見せた点が、本作品の真骨頂である。
[DVD(字幕)] 10点(2014-08-31 19:19:04)(良:2票)
2.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
キャメロン監督は前作「タイタニック」のあと、ドラマ「ダークエンジェル」を製作して一線を退き、3D技術の開発に意欲を燃やした。苦節10年で技術が完成、ようやく製作された本映画。予告ではダメ映画の予感がしたが、実際観てみると驚嘆するほどの出来栄えに溜飲が下がる思いがした。脱帽である。娯楽性と芸術性、人間ドラマが融合した完璧に近い脚本に拍手。バランスの取り具合が絶妙なのだ。ハリウッド娯楽SF作品によくあるジョークやおしゃらけなど微塵もない真摯な作品で、どちらが善悪ともいいがたく、自然と共生するとはどういうことかを深く考えさせる哲学的な要素が作品に深みを加えている。脊髄損傷で歩行できない主人公が、アバタープログラムにより、自由に動けるようになり、新し人生に踏み込むという設定がよい。それだけでカタルシスを得られるのだ。トルークマクト(大龍)や父から貰う弓矢などの伏線もうまい。そしてキャメロン監督が得意な、しつこいほど続く戦闘シーンも健在で嬉しくなる。これが成功の第一の要因。次は美術。異星の多種多様な生物群、自然景観が美しい。どれも独創性が高く、大変洗練されている。龍に乗った飛翔シーンだけも一大スペクタクルである。これを見るだけでも価値があろうというもの。そして3D技術の見事さ。映画史上に残る金字塔を打ち立てたと思う。3D元年と言われるが、これを超える作品がいつ出てくるのやら。2Dを含めても、何年も待たされそうだ。■不満もある。「もののけ姫」「ナウシカ」「ダンスウィズウルブス」のいいとこどりのように見える。大佐やおばか上司など悪者キャラが典型的すぎる。もっと人間味を出せばずっと良くなった。彼らの言い分に斟酌すべき要素を持たせ、時に良心の呵責を起こさせるなど人間臭さを出すべきだったろう。これでは「もののけ姫」「ナウシカ」の表面しかなぞっていないと言われても仕方がない。力と力の戦いになりすぎているのは残念。自然と人間との戦いという要素がもっとあれば、壮大な抒情詩になっただろう。樹同士のネットワークや女博士が死んでエイワと一緒になったなどの伏線は張られていたのだから。動物たちが援軍に来るだけでは物足らない。最後は大団円というわけではなく、あれではまた地球から攻めてくるなと不安が残る。続編への伏線なのだろうか。■文句なしの10点。この映画を映画館で見たことを誇りに思います。
[映画館(字幕)] 10点(2010-03-03 11:53:31)
3.  愛と死をみつめて 《ネタバレ》 
軟骨肉腫という難病に冒され、21歳で散った女性ミコと彼女を支えた恋人マコの悲恋の物語。二人は病院で出逢い、淡い恋心を抱き合い、二年間文通が続いた。病気が悪化したミコがマコに別れに手紙を出したのは、相手を思い遣ってのことであり、それを読んで激怒したマコが上京して真意をただしたのは純粋であればこそだ。この一件があって、二人の絆は深まった。しかし若き生命を燃やして愛し合う二人を病気が無残にも引き裂いていく。やる瀬なくも暗鬱たる内容だが、何と言っても特筆すべきは病魔の恐ろしさで、 怖じ気がひしひしと胸に迫り、気鬱になった。肉腫が眼球と鼻骨の間に出来、何度か手術を受けるが肉腫の浸潤は止まず、それが頭蓋骨の底部に広がらないように、左眼と左頬骨、上顎の左半分を摘出する外科手術が必要になる。これは左の顔のほぼを半分を失うことを意味する。手術が成功しても、2年生存率3割程度、5年生存率ゼロに近いという厳しさだ。女性が顔半分を失うのはどんなに辛いことだろうか。想像を絶する。自分の身に起ったと考えるだけでぞっとする。この激烈たる悲劇性が、万人の心を打つ要因となっているのは皮肉なことだ。彼女が自殺を考えたのも無理からぬことだ。恋人の前では美しく居たいという気持ちは痛いほど分かる。いっそ一緒に死んでくれたらと、思いつめる気持ちも理解できる。しかしマコは自殺を断固否定し、ミコに最後まで病気と戦うように諄諄と説得する。情に流されない立派な態度だ。これで二人の絆の強さは決定的となった。だから彼女は死を受け入れることができた。死を覚悟し、身の回りの整理をする為に人形を燃やすときの静穏な顔は神々しい。。観葉植物を老患者に譲る心根の優しさにも感じ入る。彼女は、この世に恨みや未練を残して死に赴いたのではない。十分に生き、愛し愛されたという充足感に抱かれながら永眠したと思う。力を尽くした生き方が胸を打つのだ。老患者の「わしが変わって死にたかった」という絶叫は本心だろう。乙女の死は悲痛だ。主演女優の熱演は認めるが、関西弁はなっていなかった。ミコを脅して、化け物扱いした女優の演技が光っていた。憎まれ役は必要だ。原作を読んで映画化を熱望したという吉永小百合。彼女が映画撮影の合間を縫ってミコの実家を訪れると、両親と妹の歓待を受け、請われてミコの着物を着て、丸一日彼女の代りをして過ごしたという逸話が残されている。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-12 03:45:06)
4.  有りがたうさん 《ネタバレ》 
心が洗われるような隠れた名作である。低予算でも良い映画が作れる好例だ。伊豆は天城の二十里の街道を悠々と走る長距離バスでの道中物語。牧歌的で快活な音楽が流れる中、舗装道路も電信柱も一切ない、真に鄙びて閑閑たる山村風景が写しだされ、乗客はみな実に悠然たる語勢で会話をする。運転手は道を譲ってくれる総ての人に「有難う」を言うので、付いた綽名が「有難うさん」。鶏にまで礼を言う律義さだ。道行く人から言付けや買い物を頼まれれば快く応じる。心根が優しい上、街道一の二枚目なので、若い娘達は放ってはおかない。シボレーを買って開業するのが夢だ。 一見安穏として朴訥たる乗客の姿に見えるが、その背後には、昭和恐慌の深刻な不景気の影響をまともに受けた農村の疲弊という悲劇が隠れている。 その代表が、身売りに出される娘だ。娘は我が身を恥じ、知人の姿を見れば隠れ、母に何度も説諭されても泣く。東京見学帰りの裕福な娘から声をかけられるが、心は上の空。運転手を思慕する気持ちも見え隠れする。娘に対する哀憐の情を隠せない運転手だったが、簡潔な別れの言葉をかけるのが精一杯だった。 そこに居合わせたのが、酸いも甘いも噛み分ける流れ酌婦風の女。二人の想いを察して、運転手の肩を押すように言う。「シボレーを買うお金があったら、ひと山いくらの女がひとり減るのよ」 ここで大胆な省略法が使われ、次の場面は翌日の帰りのバスの中。身売り娘と母が乗っている。「渡り鳥ならまた帰ってくるがね」「あの人いい人だったわねえ」何があったかはっきりしないが、劇中に「有難うさんも嫁を貰わなくちゃ」とあることから、二人は結婚を決めたのだろう。清新な演出。娘も運転手も峠を越えるように運命を潔癖に受容する。それが「長生きのこつ」なのだろう。 最も憐憫の情を禁じ得なかったのが朝鮮女の逸話だ。流れの道路工夫だった父親が死に、信州に行くので、墓の世話を運転手に頼む。「一度日本の着物を着て、有難うさんの自動車に乗って通ってみたかったわ」駅まで送るというと、女は疲れ果てて山道を歩く同胞の姿を顧みて、「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に」慎ましい願さえも叶わない、異郷で辛い仕事に従事する女の悲哀。この逸話で作品の重みがぐっと増した。 運転手があまrに現実離れしすぎている懸念があり、好みの別れるところ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-06 03:24:34)
5.  アラバマ物語 《ネタバレ》 
原作者が少女時代を振り返るという設定。郷愁とは不思議なもので、米国の田舎町の物語なのに、子供たちが遊んでいる姿を見ると郷愁を覚える。このことがこの映画を親しみやすいものにしている。誰でも子供時代の思い出は宝物だ。 主人公スカウトは直情径行型。何でも思ったことを口にするし、納得できないことに対しては抵抗し、喧嘩も辞さない。父親似です。見ていて清々しい。子供の世界は世情の動きに関係なく、周囲の大人から守られています。ですから天真爛漫に振舞えるのであり、それを見る我々も癒される。それでも大恐慌の影響は忍び寄ってきていて、お金のない人や子供が登場する。少女は少しずつ厳しい現実を知って成長していく。前半のブーの居る隣家への冒険は重要な伏線。あれがあるのでブーは子供達のことを知り、好きになり、宝物を密かに贈る。ここで絆ができる。厳しい現実の最大のものは、無実の黒人が「白人娘強姦」で有罪にされること。公民権もなく、黒人差別が当たり前の時代ではよくあること。真相は娘が黒人を誘惑したのを知った父親ユーエルが娘を殴った。子供の世界から、法廷劇へと移るので少々とまどった。子供は裁判所に入れないはずだが、目をつぶる。少女は、白人から嫌がらせを受けながらも正義を貫く父親の姿に感動する。退出時黒人達が敬意を表して立ち上がるのは誇らしい。その後、被告は逃走して射殺されるというショッキングな出来事が起こる。そして最も長い夜が訪れた。裁判で嘘を暴かれたユーエルは逆恨みして、卑劣にもスカウトと兄を襲った。原作ではナイフを所持している。それを助けたのは、それまで姿を現さなかったブーだった。ユーエルはブーに刺殺される。保安官と父親は協議して、ユーエルを事故死として扱うことにする。正当防衛だし、内気すぎて世間の目に晒すのは不憫だし、責任能力もなさそうだ。少女もこれに同意する。「妥協とは話し合いで分かり合うこと」という父の言葉を理解したのだ。そして「相手の立場になるとは、相手の靴を履いて歩き回ること」と教えられたが、ポーチに立っただけで理解できるまでに成長した。「良い音色を奏でるMockingbirdは決して殺してはならない」のMockingbirdはブーのこと。ちなみにスカウト達は一度黒人の命を救っている。白人達が留置所の黒人を襲おうとしたときに、割り込んで入って、一席ぶったあの場面だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 00:41:24)
6.  アスファルト・ジャングル 《ネタバレ》 
荒涼とした都会の犯罪多発地域が舞台。不況のせいで庶民の生活は苦しく、心は荒んでいる。そこへ出所した知能犯ドックが、周到に練られた宝石商強奪計画を持って現れたところから物語が動き出す。宝石略奪という大博打にかける六人男たちの行動と心理が鮮やかに描かれる。表情を常に正確に捉えるライティングや端正に構図を決めるカメラワークは好印象。緻密な計画だが、弁護士があらかじめ裏切りを決め込んでいるなど、不確定要素を含んでいてサスペンスが持続する。うまい脚本だ。舌を巻くのは各人の掘り下げがきちんとできていること。個性豊かなのが嬉しい。全員根っからの悪党ではなく、善人の部分と精神の弱みを併せ持つところが味噌。実に人間らしいのだ。ドックは頭脳明晰で大胆かつ紳士だが、若い女性に弱く、失敗は偶然のせいにして反省しない傾向が強い。そのため自滅する。用心棒のディックスは競馬狂いで強盗常習犯だが、子供時代に育った農場を買い戻す夢を捨てていない。そっけないが、約束は守り、女性にも親切だ。資金提供者のエマリックは悪徳弁護士で高利貸しだが、若い娘を囲うなどの散財で破産の憂き目にある。それでも病気の妻への愛情は持ち続けていて、最後は自責の念から自殺する。金庫破りのルイは風邪をひいた自分の赤子を気遣う、良き父でもある。運転手のガスは食堂経営者だが、せむしで小男のため世間からは冷たい目で見られている。金に困っているディックスに金を融通するなど、友情に篤い面がある。賭博業者コビーは大金を見るだけで汗をかくという気弱な性格。これに賭博業者と結託する悪徳刑事とディックスに思いを寄せる女が絡むのだから、面白くないわけがない。犯罪撲滅に苦慮する警察側の様子も描かれるという丁寧さ。まだ無名のマリリン・モンローが花を添えるという贅沢さもある。監督が描きたかったのは、犯罪そのものではなく、犯罪を生む風土だ。死人の出る犯罪映画だが、過激で扇情的な演出や痛快なアクション、美男美女の織り成す恋愛などの現代映画的な要素はなく、むしろあっさりしている。これは時代の制限であり、監督の良心でもあるのだろう。古い映画だが、今でも映画作りの手本になる映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-10 15:48:17)(良:1票)
7.  アンストッパブル(2010) 《ネタバレ》 
ちょっとした手違いから、39両編成もの貨車列車が暴走を始めてしまった。止めなければならないが、会社が手を尽くしても止めることができない。このままでは大きな被害がでるという危急存亡のときに、機関士と車掌の英雄的行為により止めることに成功する。表面的にはそういう内容だ。だがこの映画は、暴走列車をただ止めるだけの単純な痛快アクションではないと思う。それだけで精神の高揚や感動は得られないからだ。どうして感動するのか?それはどうして主人公二人は、敢えて自らの生命の危険を冒してまで、暴走列車を止めようとしたのか、という問いに集約される。その答えは「人の命を救いたい」という本能に基因するものだろう。特別な人間でない、ただの鉄道職員が、ある日英雄になるのはそのためだ。特に救う命が自分の家族であったり、大勢であれば自らの死も厭わないと考える。これが人間の本質だと思うし、思いたい。この素朴な生命尊重の倫理が、観客の根底に備わっているので感動するのではないか。勿論、ベテラン機関士の会社への意地や若手車掌の家族を守りたいというドラマ部分での感動の底上げもある。加えて、危機感を煽るために、暴走貨物には可燃燃料と有毒化学物質が大量に積載されており、脱線必至な町郊外の急カーブ地点付近には石油コンビナートがあり、もし脱線すれば大変な被害が予想されるという過剰設定もある。しかしそれらを省いたとしても、感動の本質は変わらないと思う。観客は無意識に、暴走列車の圧倒的な重量感、疾走感に、命の危うさ、大切さを感じ取っているのではないだろうか。轟音が心臓の音、疾走する姿が生命の躍動に見えてくる。そしてもし事故が起ったら死ぬであろう大勢の人のことを想像してしまう。だから、つい手に汗を握って観入ってしまうのだ。こう考えると、この映画は、やはり単なる暴走列車映画ではなく、人間の本能、本質に訴えかける人間賛歌の映画だと思えてくる。◆余談だが、列車の脱線は簡単にできる。アラビアのロレンスよろしく、ダイナマイトで線路を爆破すればよいし、そんな大げさでなくても、松川事件のように犬釘を抜いて、ボルトを緩めるだけで脱線転覆する。脱線装置という効果あいまいなものに頼る必要なないと思った。監督の冥福を祈ります。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-09-09 20:01:08)(良:3票)
8.  赤ひげ 《ネタバレ》 
「貧困+病気=不幸」だが、不幸の様子は人によって様々。ここで描かれる不幸模様は通り一遍のものではなく、大不幸と呼ぶべきもの。底辺に生きる人々の姿を描く事で人間の真の姿、エゴ、死の荘厳さ、人と人の絆、人間愛等を浮き彫りにする。不幸だから可哀相という皮相的な描き方はしていない。人間が自分の力ではどうすることもできない運命や不幸にみまわれた時、それをどう受容するか、どう考えるか、どう行動するか、いくつかの切り口で見せてくれる。不幸には多面性がある。不幸を背負った者にしかわからない事、味わえないものがある。不幸になって初めて幸福だった自分を知る事もある。もしかしたら不幸は、人間らしくあれと神様がお授けになったものかも知れない。不幸があってこそ偉大な人生が歩める。そんな感傷的な考えが思い浮かぶほど、考えさせられる映画。名作です。何より無駄が無いのが心地よい。例えば、おとよの着物の使い方。まさえがおとよに着物を贈る。心を病むおとよは着物を溝に捨ててしまうが、やりて婆が迎えに来て「着物がうちにいたときのぼろのまま」となじると、「私はこんな佳い着物を持っている」と服を見せる。着物一つでまさえの優しさ、おとよの病気、その回復ぶりが顕かとなる。巧いです。いちいちおとよ目元にライトが当る職人芸も満喫。気になる点もある。それは赤ひげが遊郭の用心棒を叩きのめすところ。赤ひげをスーパーマンする必要はない。人間味ある医者としての赤ひげに弟子の保本が心酔し、成長する姿を描くのが主軸。他の要素を入れず、医者物語で終始してよいと思う。他にも気になる点がある。保本が手術に立ち会い失神するが、これはまずない。保本は長崎で蘭医学を3年以上修行している。蘭方医と漢方医が覇を競いあっている時代で、蘭方医が出来て漢方医が出来ないものが外科、内科手術。手術は念入りに実施研修する。左八とおなかの挿話だが、おなかは佐八との生活を「幸せすぎて怖い」と感じていたところに地震が起きて、罪意識から佐八の許を去る。ミステリアスな展開だが、再会後おなかは自責の念にかられ「強く抱いて」と佐八に短刀を突かせて自死する。乳呑児を持つ母が自殺するとは思えないし、最愛の男に殺人をさせるのも疑問。相手を苦しめるだけ。看病日記だが当時は全て候文で、「おとよははっきり意識を回復した」等と口語では書かない。これは完全なミス。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-12 01:44:40)
9.  明日に向って撃て! 《ネタバレ》 
切ない映画である。ブッチとキッドは男の子なら誰でも漠然とあこがれる夢を具現したような存在。「幸福な子供時代」の象徴といえる。アウトローの集まる古き良き西部に住み、銃を華々しく撃ち放し、列車強盗や銀行強盗で大金を掴み、気の合う友達を持ち、女性にはモテまくり、長旅をし、ときに国外にも逃亡する。自由気ままに生きるとはこういうことだろう。だがいつまでも子供ではいられない。いつかは夢から覚めて、大人にならなければならない。決して顔を見せない追っ手が大人の象徴。逃げても逃げても追ってくる。追っ手は自分の内面の影でもあり、いつかは向き合って対決しなければならない相手。ラストで追っ手に向かって銃を撃ちつつ飛び出すのは、子供から脱却して大人になることの象徴、通過儀礼だ。誰もいつかは子供時代とは永遠にさよならしなければならない。映画は、その瞬間を鮮明に切り取った。ブッチは初めて人を殺したとき、夢の終りが近いのを悟った。それでもブッチは「次はオーストラリア」などと夢を語る。何度見ても心がひりひりする。過去を表す手法としてセピア色が随所で効果的に用いられている。一方未来は自転車として登場する。馬や馬車は最早時代遅れ。旅立つシーンで、ブッチが自転車を捨てる。自転車はよろよろと倒れ、車輪が空転するのをカメラが追う。二人の未来を暗示した見事な手法だ。二人は死んで、子供の夢も滅びた。だが、滅んだのはそれだけではないだろう。子供が自由に夢を見ることのできる社会そのものが滅んだのだ。映画の製作された時代の社会の現実は、ベトナム戦争、黒人差別、学生運動、麻薬の氾濫、ヒッピー運動、価値観の多様化、親子の断絶など、混乱を極めていた。もう子供が、子供らしい夢を見ていられる社会ではない。なんと嘆かわしいことか!映画の意図はそこにあると思う。キッズの登場シーンはずっとキッズのアップが続く。朝日を浴びて自転車に乗る二人の美しいシーン。写真だけで描かれるボリビアへの逃亡の旅。音楽と映像だけの銀行強盗シーン。印象に残る場面はいくつもあり、映画の技法の宝庫でもある。この映画を単にあまり賢くない悪党の逃亡劇として見ると面白みにかけるだろう。憎めない二人に乾杯。女性の心理が描けてないのが残念。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-19 02:45:58)(良:3票)
10.  青いパパイヤの香り 《ネタバレ》 
自然や宇宙原理に則った生き方が幸福であるという老荘思想の「タオ(道)」の生き方を示した映画。タオでは、流れに逆らわない、自分や他人と争わない、無理に満たされようとしない、無為自然に生きる、何かに成ろうとせず自分らしさに任せる等と説く。人間の本来の生き方や幸福のあり方が主題である。物語に大きな波紋はなく、生命感溢れる自然の映像と共に、ゆったりと時間が流れる。観客は何も考えず、映像に心を委ねていればよい。布屋の奉公人に出された少女ムイの物語。裕福で、三人の子宝に恵まれ、一見して幸せそうな家庭だが、いくつかの問題を抱えている。夫は愛人を作って家を出る性癖がある。妻は最愛の娘を死なせたことに悔悟の念を抱いている。老母は亡き夫の供養にかまけて籠りっきりだ。長男は家に居つかない。ある日、夫が有り金を持って家を出て、一家に暗雲が立ち込める。老母は嫁を責め、妻は自分を責め、子供達は不満を募らせる。タオから外れた生き方だ。タオの生き方をする人もいる。一人はムイの先輩の奉公人だ。彼女は文句ひとつ言わず、何十年も同じ家に奉公している。布屋が経済的に困窮し、給金が貰えなくても出て行かない。もう一人は若い頃から老母に恋焦がれている老人だ。彼は老母に会わず、老母の存命を遠くから確認するだけで満足している。彼女の人生に一歩も踏みこまず、それでいて老母の幸福が彼の幸福なのだ。イオは二人を見習って成長した。彼女は新しい奉公先の青年に恋心を抱いているが、その気持ちを彼に伝えようとしないし、恋に悩むこともない。ただあるがまま、自分らしく自然に生きているのだ。最終的に青年は婚約者と別れてイオと結婚する。イオの生き方が道を開いたのだ。現代人の観点からすれば、彼女の生き方は受け身で、自主性に乏しく、魅力に欠けたものに映るだろう。しかし、タオの思想から見れば、流れに逆らわない自然な生き方なのだ。例え、彼女が青年と結婚できなかったとしても、相手の幸福を願いつつ、身近で働くのを幸せと感じるのである。自我を超越した生き方で、どんな小さなことにも喜びを感じられる。青いパパイヤは生命と性の象徴だ。蔓を切れば白い液が流れ、実には種が詰まっている。イオが種をつまみ出して水に浮かべるのは、母になりたいという願望の表現だ。そして最後場面では、子供を宿している。会話を排し、映像で語る映像演出が秀逸だ。考えるのではなく、感じる映画。
[映画館(吹替)] 8点(2015-01-13 04:56:55)(良:1票)
11.  アレキサンダー 《ネタバレ》 
アレキサンダーの幼少からその死までを丁寧に描き、知られた挿話をほとんど盛り込み、大王の足跡を辿るだけでなく、心の内面にまで迫ろうという姿勢には好感が持てる。CGによりガウガメラの戦い、バビロンの街並み、インドでの密林戦などが見れただけでも満足で溜飲が下がる。特に鷹の目線を交えて大俯瞰で描いたガウガメラの戦いは見応えがあった。しかしながら人物像に関しては違和感があった。大王の言動があまりにも現代的過ぎるのだ。「自由、人種の融合」など理屈っぽい上に、よくしゃべり、よく悩み、よく泣く。人物像の真に迫ろうとするあまり、表現に力みがあるように思える。新解釈で描きたいという気持ちは分るが、所詮古代の人物である。数少ない資料から人物像を掘り下げるのには限界がある。現代の価値観で解釈を加えたところで説得力に乏しい。両親の愛に餓え、腹心の裏切りに怯えるという英雄の弱みを強調するより、英雄は英雄らしく描いた方が受け入れられやすいのは自明の理だ。蛇信仰に熱中して夫を憎む母の狂気や暴力的な父に対する反抗心や男色趣味を殊更強調しても意味はほとんどなく、混乱をもたらすだけだ。大王の東征が「人種の融合と調和」なのか「征服と支配」なのかを映画の中で解釈する必要もない。東征の遠因を「母から逃れるため」「父を乗り越えるため」と精神分析的に捉えるのはよいが、それは示唆する程度に留めておけばよい。一義的な解釈を押しつけても反発されるだけだ。こういう人物だと決めつけても、畢竟詮無いことだ。曖昧模糊たる「アレキサンダー大王伝説」を多元的に描き、笑いを交えるくらいの余裕が欲しかった。描き方に余裕が無いので観ていて疲れる映画だ。事実を羅列するにとどめ、解釈は観客に委ねるのが好ましい。各地に築いたアレクサンドリアの様子や如何に統治したかが描かれていないのが不満だ。軍事面だけでなく政治面も描いて欲しかった。大王の妃やペルシャ王妃をわざわざ醜女に描く意図が不明だった。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-03 05:09:43)(良:1票)
12.  アイガー北壁 《ネタバレ》 
ドイツの山岳猟兵で登山家のトニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーの二人が主人公。山岳猟兵とは山岳部の国土防衛隊。アイガー北壁は未登頂で、ナチスは国家の威信を誇示するため、登頂者にはオリンピックの金メダルの授与を約束、登頂争いはいやが上にも盛り上がる。アンディは楽観的で挑む気満々だが、トニーは悲観的で登頂は不可能と断定する。そこへルイーゼが登場して、二人を説得する。彼女はベルリンの新聞記者で、二人の幼馴染。トニーとの間に淡い恋があったようだ。トニーは最初は否定するが、最終的に挑戦を決断、「自分のために登る」と言い切る。ここにこの二人と、ライバルである二人のオーストリア人との登頂レースが開始される。登山の描写、殊にロック・クライミングの描写は圧倒的な迫力で、この映画の魅力はここに尽きる。過去の山岳映画を寄せ付けない、最高峰だ。現地ロケと大冷蔵庫を使用したスタジオ撮影の融合は観る者を惹き込む、実に見事な仕上がり。まるで自分が主人公になったかのような寒気を覚えた。自然の美しさと、人間に牙を剥いたときの残忍さとが対比。精も根も尽き果てて、宙吊りになって息絶えていく姿は悲劇の影そのもの。荘厳な気持ちにさせられた。映像力の勝利だ。 映画は登頂レースの他に、ルイーザとトニーの恋、ルイーザと上司の関係、命より話題を優先するマスコミ、登山レースを見学する観光客等を挿入し、登頂レースの意味を浮彫にし、文明批判めいた奥深さを出そうとしているが、成功していない。トニーとルイーザの過去の描写がほとんどなく、どんな関係だったか、想像するしかない。だから最後にルイーザが上司から冷たい言葉を言われて会社を去る決意をしても心に響かないし、彼女が一人で救出に向かうなどの無理な演出もマイナス要因だ。 もう一つ。登頂の最中に、ライバルであったオーストリア人との友情が芽生えるのだが、この演出もいただけない。オーストリア人は最初から雑魚扱いなのだ。彼等に対するリスペクトがあれば、名作の類になっていただろう。
[DVD(字幕)] 8点(2013-11-24 17:32:07)
13.  アズールとアスマール 《ネタバレ》 
特筆すべきは、水際立った美術だ。イスラムの様式美を至妙に取り入れた功がある。緻密なアラベスクとカリグラフィーの連続する壁、敷き詰められたタイルアート、ムカルナスで装飾された円天井、中庭を取り巻く列柱、庭園の水…、なるでアルハンブラ宮殿を歩いているようだ。樹木や岩などの自然も幾何学的に表現しているのも面白い。独自の神話的世界観を創り出すのに成功しており、精神の優雅さを感じる。時に陶酔さえ覚える出来栄えだ。2Dの背景に3Dの人物をあしらう手法は清新で、神秘的雰囲気を醸し出すのに一役買っている。影絵を思わせる動きの少なさと相まり、想像力をかきたてられる。異国情緒漂うイスラム的楽曲も好い。物語は、妖精伝説、育ての母、母恋の冒険者、奇妙な相棒、賢者、やんちゃ姫、山賊、奴隷商人、真紅のライオン、鳳凰もどき、謎の二つの門と、ファンタジー冒険活劇の要素が一杯詰まっている。が、冒険や謎の解決が、あっさりというか、ありきたりなところが玉に疵。物語にしても人物の感情にしても、総じて起伏に欠ける。生命が危機な場面でも危機感が伝わらない。顔の表情や動きの少なさに基因するが、監督は静的で詩的な表現が得意で、ダイナミックで躍動感のある表現は苦手なのだろう。ユーモアに欠けるのも監督の気質だろう。異色なのは異民族間の宗教・文化の偏見、差別という難しい問題を扱っているところ。アズールは、仏国では貴族の御曹子だが、他国では青い眼が徒となり酷遇される。アスマールとその母ジェナスは、仏国では貧しかったが、母国では成功者となる。立場、価値観の逆転がある。難しい要素を含むので、童話につきものの予定調和な大団円的結末とは一線を画す。主要人物が鳩首凝議して、打開策、解決策を話し合うのだ。ある意味斬新だが、意外性はなく、限界を感じる。ファンタジーと現実問題を融合させるのは至難の業だ。 結局妖精ジンの正体は何か、囚われの呪いとは何だったのかは、不明のまま。憎しみや相剋を乗り越えた崇高な魂を持つ者だけが、勝者として妖精ジンを救い、永遠の愛を得ることができたということだけはわかった。 開始早々、小人妖精が眠った二人をあやす場面があるが、これは省くべき。本当に妖精の国があるかというサスペンスを観客に持続させたい。アズールに母、アスマールに父がいない、アズールの父がどうして傲慢か、などの伏線も回収して欲しかった。
[DVD(字幕)] 8点(2013-05-26 19:23:15)
14.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 
【男】本来の自分を見失い、強い脱力感。中年の性に目覚め、昔の青春を取り戻したいと願う。筋トレとジョギングで鍛え、いやな仕事を辞めバイト生活。妄想と麻薬でハイ。あこがれていた車と無線カーを購入。家族に本音を話す。心の解放に成功したがその報酬は高くついた。娘と妻から憎まれ、挙句に死。 【妻】娘時代貧乏だったので、人一倍物質的豊かさにあこがれる。心の潤いをなくしセックスレス。常に成功のイメージを持つ。浮気を経験。家庭を壊す夫を殺そうとする。 【娘】会話のない家庭に嫌気。両親を憎む。自分を変えたいと思っている。思春期の情緒不安定、混乱。豊胸手術のお金を貯めている。自分を変えてくれる誰かを欲している。 【娘の恋人】ジャンキーでヤクの売人。ビデオマニア。死に美を感じる。死は神に近づく瞬間だから。父には従順。家を出る決意をする。娘の孤独さに魅かれる。 【大佐】DV親爺。ナチ崇拝者。ゲイを嫌うが、それは自分の中にゲイの素質があるのを抑圧しているため。息子をしごき育てようとする。 【大佐の妻】夫に従順なだけの生活で、生きる屍。 【娘の友】平凡が大嫌い。特別な自分でありたい。モデルを目指す。遊び人を気取っていた少女が実は処女だった。あるいは処女のふりをした。 【感想】死者が語る物語。死後は美のあふれた世界などと死の礼讃ともとれる。ゲイ、不倫、銃、麻薬、酒、暴力、セックスなどの混沌とした世の中、死だけが荘厳で美しく見えるのかもしれない。高度に発達した文明社会への批判。誰が主人公の男を殺すかというサスペンス仕立てにもなっている。冒頭の「父を殺して」と語る娘のビデオがミスリード。DV親爺による勘違い殺人のオチは納得いかない。播いた種は刈らねばならない方式でないと深みがない。アメリカン・ビューティは虚飾の象徴で、妻が庭に植え、食卓に飾ってあるもの。風に舞うビニール袋は自由な魂の象徴。人は失って初めて自分の持っていたものの価値に気づく。男は自分を「既に生きてない」「人生の敗残者」と思っていたが、自分の家庭、自分の人生は幸福なものであったと悟る。妻は夫を失って号泣。娘の友は処女を失いそうになり、初めて等身大の自分に戻る。娘はヤク中の男と家を去るだろうが、一緒になっても幸福にはなれない。大佐は刑務所行き。計算された映像や脚本はよく出来ていると思いますが、病的な部分が多いので好きになれません。
[DVD(字幕)] 8点(2010-06-09 23:31:28)(良:1票)
15.  雨に唄えば 《ネタバレ》 
エンターテインメントに徹しきった映画。「傑作」と言われるのも納得。ダンス・シーンは圧巻。とくに舞台のバイオリンシーンと「笑わせろ」は、ダンサーの魂がこもってます。胸が熱くなりました。一方で、有名な「雨に歌えば」のシーンは作りすぎのように思えました。安っぽいセットと作り物の豪雨(光るようにミルクをまぜてある)。製作の発端は、アーサー・フリードとナシオ・ハーブ・ブラウンが作曲した20年代から30年代の歌を使ったミュージカル映画を作ろうというもの。脚本に添って音楽が作られているわけではなく、その逆。それを考慮すれば、脚本は頑張っている方でしょう。劇中映画で、リナの声と歌をキャシーが吹き替えているが、実際は会話はリナ本人で、歌は別人(ベティ・ノイズ)。キャシーはかわいいけど、ダンスもうまくなく、スタイルもよくないのは残念なことです。恋愛パートでは、ドンがキャシーを好きになる部分があまり描かれておらず、感情移入できません。逆に馬鹿と思われていたリナが、社長を契約書を盾に言い負かす場面で、おおっと思いましたよ。最後、「ブロードウェイ・バレエ」が延々以上続きますが、大した見所になっていません。それまでタップ中心の踊りだったのが鳴りを潜めているのと、コメディ要素が失われているからです。全体に見て統一性に欠けます。これは撮影が延びて、コズモ役のオコナーの契約が切れてしまい、予定されていた二人のダンス・アンサンブルが撮影できなくなったから。感動のラブシーンも軽くて不発ぎみ。「後半失速」の印象があります。もしダンス・アンサンブルが撮影できていれば、完璧に近いミュージカル映画になっていたと思います。ラストシーン、看板にキャシーの名前がありますが、これは映画を撮り直したという解釈でよろしいでしょうか。オープニングで、2倍速で歌われる「雨に歌えば」。ハイライトのネタバラし。監督の自信の表れと受け取りました。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-02 12:42:18)(良:1票)
16.  アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 
バドは気が好いが、行き当たりばったりの男。アパートを上司の浮気用に貸して、出世をもくろむ。フランに好意を持っている。フランは不倫をして自己嫌悪にながらも、男の甘い愛の言葉を聞くと信じてしまうお人好し。その相手がバドの上司。バドは、割れたコンパクト(ハートブレイクの象徴)から、そのことを知る。傷心して、彼女のことをあきらめるが、彼女が彼のアパートで自殺未遂して急展開。看病の間にまだ愛していると気づきはじめる。彼女の兄に殴られて「いいんだ、ちっとも痛くない」と言うときが、彼女を心から愛していると気づいた瞬間。彼女をかばった結果なので、かえって嬉しいのだ。彼女に愛を告げる決心をするが、上司が離婚を決意して、また急展開。フランは男の言葉にまた騙されて「夢みたい」。バドは身を引くが、上司からアパートの鍵を貸せと言われて拒否。クビになるが、メンチェ(人間)に戻る。フランは上司からバドが会社を辞めたことを聞き、バドが自分を愛していたこと、彼を愛していることを悟る。アパートへ直行。バドは愛を告げるがフランは聞き流し、コートを脱ぎ、カードを始める。これは彼女が甘い言葉には騙されない女に成長したこと、古い殻を脱ぎ捨てたこと、人生の勝負をもう一度やり直すことを意味。誰も真似のできない小粋なエンディングですね。。キスを一度もしないラブコメは唯一無比。エレベーターは出世と恋の浮き沈みの象徴。その独創性に脱帽。気の利いた台詞のオンパレードです。「男は妻の元へ、そして女は…、このエビ味が落ちたわ」「(男が去ると)何もかも急に醜く見える」「(電話:いるのか?)いないわ」「なぜ人は恋するの」「女房持ちの恋にマスカラは厳禁なのに」「未練はいつになった消えるの。洗浄できればいいのに」「毎年ケーキを贈るわ」「(スペルができず秘書失格になったのを受けて)うまく言えないわ。(I can't spell)」「物事は成り行きだわね。But that's just the way it crumbles, cookie-wise.」マイナス要素は、自殺未遂させたこと。コメディには重過ぎます。
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-29 04:17:56)(良:2票)
17.  アギーレ/神の怒り 《ネタバレ》 
1560年、桶狭間の戦に勝利した織田信長は天下布武の第一歩を踏み出した。同じ年、スペイン探検隊の分遣隊副将アギーレがアンデス黄金郷探索の旅に出た。そのアギーレの物語。熱帯の密林を粗放な筏で縫う川下りは危難を極め、出発早々筏の一つが渦に巻かれ滞留してしまう。隊長は救出を命じるが、筏の隊員達は何者かに銃殺される。隊長が死体の回収を命じると筏は大砲で粉砕される。すべてアギーレの仕業だ。隊長が徒歩での撤退を決めると、アギーレは反逆して隊長を撃ち、隊を掌握して筏で黄金郷を目指す。しかし、この野望に満ちた遠征は浅慮無謀であった。筏を阻む大自然、堪えがたい暑さ、見えない先住民からの散発的な攻撃、首狩り族の恐怖、食糧不足、仲間割れ等で徐々に自壊してゆく。修道士は長いものに巻かれろで面従腹背を決め込む。処刑された隊長の愛人は首狩り族の潜む密林に姿を消す。貴族の身分故に皇帝に指名された男は、川が大きく蛇行する度に領土宣言し、既に領土はスペインの六倍に達したと悦に入る。その姿は滑稽で、食糧を独占していた為、何者かに扼殺される。娘は死に、残りの隊員は熱病に斃れる。それでもアギーレは屈しない。「俺は神の怒り。神話のように娘と結婚し、この地上に比類のない純潔の王朝を築く」と嘯く。冒頭、大俯瞰で山脈を越えるスペイン探検隊を捉えた神の視点は、最後、たった一人になった筏上のアギーレを回転して映し出す。終始、鷹揚に身を反らせ、鋭い眼光で周囲を圧する主役の演技は圧巻だ。ここにはスペインによる中南米大陸文明消滅、帝国植民地主義、奴隷制度等に対する批判は無い。ただ熱病にように己の野望に向って突き進む、鋼の意志を持った男を描く。彼に常識は通じない。全てを失っても絶望せず、猶、前進を続ける。彼にとって樹上の船は決して幻ではない。彼を“欲望で身を滅ぼした狂人”と断じるのは容易いが、本作の主題は逆で、むしろ彼のような人間の賛美なのだ。現代文明では必要とされないが、過去において、人知を超えた、神のような強力な意志を持つことの出来た人間が前人未到の大自然を切り拓いてきたのかもしれない。数万年前、アリューシャン海峡を越えて米大陸に到達したモンゴロイドのように。そこでアギーレと信長の姿が重なる。勝てば覇者、敗れれば狂人、紙一重だ。巨大な野望である「神の怒り」は人間を人間足らしめた原動力だったのかもしれない。
[DVD(字幕)] 7点(2014-12-07 20:24:31)
18.  ありあまるごちそう 《ネタバレ》 
食のグローバル化の矛盾点を突いている。農業を大規模灌漑、遺伝組み換え技術等で工業化すれば、低コストで大量の農産物が収穫できる。多少味が落ちようと、多少健康不安を感じようと、安くて見栄えのよいものに飛びつくのが消費者心理だ。地元での消費量を越えた余剰農産物は、遠くに運ばれて、さらに輸出される。運ばれた先の土地では、安い農産物が大量に入ってくるので、農民は作っても売れず、生活が立ち行かなくな。そこでEUでは農家に補助金を出す。農家の収入の三分の二が補助金だ。こうして余剰農産物が大量生産される。余剰農産物は、昔は捨てられていたが、批判を受けて、今では大幅に値下げして、発展途上国等に輸出される。輸入した発展途上国の農業は荒廃の一歩をたどる。対等な国家間では自由に関税がかけれるが、発展途上国は先進国から資金や技術援助を受けているので、関税はかけれず、EUの言いなりだ。生活できなくなった農民は、働き口をEUに求めて、低賃金労働者となる。これがEUの“歪んだ”食のグローバル化が、飢餓と貧困を輸出する仕組みだ。珈琲などの輸出向農産物の価格は、ネスレなどのメジャーが価格を決めてしまうので、生産者の利益は低く抑えられてしまう。従って、末端の労働者は、いつまでも貧しいままだ。本作品では、その一端を見せているに過ぎない。食の輸出入は適度に抑えて、地産地消するのが望ましい。生産競争、輸出競争しだすと、結局、資本のある会社が一人勝ちするのだ。「安い肉を食べれるようになる」ことは一見喜ばしいことだが、その背景には様々な矛盾や問題が存在する。農作物を強引に輸出される国、農作物を強引に低価格で輸出しなければならない国の実状が描けていればもっとよかった。
[DVD(字幕)] 7点(2014-11-29 14:35:43)
19.  アナと雪の女王 《ネタバレ》 
CGと曲の緻密さに比べて脚本の粗放さが目立つ。クリストフは子供の頃にトロールに相談をする王・王女・エルサ・アナを目撃しているが、その設定が活かされていない。クリストフがアナに一目惚れするというような展開なら面白くなった。トロールの説明がない。生態や能力、王とトロールの関係、何故クリストフはトロールに気に入られたのか等、疑問が多い。最大の疑問はエルサの魔法だ。どうして彼女だけ魔法が使えるのか、どうして魔法を自分で管理できないか、どうして冬の魔法だけ使えるのか。能力は両親から譲り受けたのだろうが、両親はあっさり遭難死してしまう。説明不足で世界観が確立されない。魔法で山が冬になったとき、クリストフが何故真っ先にトロールに相談しないのかというのも疑問だ。トロールは途中から登場しなくなるのも不満だ。彼等は魔法についてもっと知っているべきで、物語により深く関わってよい存在だ。アナとクリストフが魔女の宮殿に行きつくまでの冒険があっさりすぎる。。障害は狼の襲来程度。二人が相手を深く知り、真の愛に目覚める契機となる場面で、時間をかけてじっくり描いてほしかった。エルサが生物まで創り出せるのは問題だ。まるで神扱いで、生命の軽視につながる。雪だるまのオラフは、アナに真の愛情を示すような形で暖炉の炎に溶けて退場させた方がすっきりしただろう。生命を自由に創出できるのなら、ロボットのように、雪だるまが人間の代わりに働く奇妙な社会を想像してしまう。「魔法はいつかは解ける」という原則内の物語でないと安心できない。王子ハンスのまさかの豹変は意表を突いたが、過剰演出だ。ここで興味が一気に萎えた。観客に「まるで別人」と思わせるようでは脚本に問題がある。もっとうまいやり方はある。またハンスが、エルサを殺せば夏に戻ると短絡したのも理解に苦しむ。アナは自分が助かるのか、エルサを助けるのかの究極の判断を迫られたとき、エルサを助ける方を選び、その事が彼女を真の愛に目覚させ、心臓にかかった氷の魔法を除くことにつながった。しかし実際問題、アナとエルサは十数年も交流が途絶えていて、そのような環境で真の姉妹愛が育まれるかか疑問が残る。エルサが魔法を自由に使えるようになったのは真実の愛を知ったからだろうか?いずれにせよ、この映画だけでエルサを理解することは不可能だ。髪の毛一本一本を描け分けるCGほどの緻密な脚本であったなら。
[映画館(字幕)] 7点(2014-07-17 18:08:18)
20.  アイアンマン3 《ネタバレ》 
三作の中では最も良かった。常に緊張した場面や戦いがあり、中だるみの部分がほとんどみられないのがすがすがしい。 前作の反省を踏まえてか、トニーが精神病に悩み、克服する挿話と恋愛部分は最小限にとどめ、敵役との戦いを何段階にも描いているのが成功の要因だろう。子供を登場させ、物語を明るくしたのも成功の一因。やはりヒーローものは明るいのがよく似合う。 ところで敵役キリアンは何をしたいのか?彼はウイルスにより遺伝子を書き換え、脳の未使用領域を利用して人の能力を飛躍的に向上させる「エクストリミス」というバイオ・テクノロジーを完成させた。これにより、体温は3000度にまで上昇、肉体は鋼鉄のように改造され、、肉体の欠損箇所も再生可能な超人に生まれ変わる。一種の不死ともいえる。しかし体がウイルスを受け入れない場合は爆発してしまうという不完全なテクノロジー。荒唐無稽と一笑してしまえば物語が成立しないので、受け入れるしかないが、これなら「宇宙人が責めてきた」という設定の方がまだわかりやすかった。キリアンはこの素晴らしいテクノロジーを平和利用する気はなかったのか?テロを起こしたり、大統領を殺したりして、何をやりたい?彼の経歴から推して、社会に対する強烈な復讐心を持つとも思えないなど疑問が残る。前2作品はメカ対メカのシンプルな戦いだったが、今回はメカ対改造人間。改造人間は飛べないし、飛び道具も持たないのに対し、アイアンマンは遠隔操作できる上に、30数体も登場する。敵の目的が不明な上に弱いのでは話にならない。TV電波ジャックができるくらいの頭脳があるのなら、対アイアンマン戦略も万全にして戦ってほしかった。ヘリで家をミサイル攻撃するなど、おおざっぱすぎて感心しない。 トニーの恋人ポッツが、改造人間になり、アイアン・ウーマンになるのには笑うしかなかった。一種のファンサービスと割り切ろう。 SFアメコミヒーローものだが、やっていることは西部劇と変わりない。善が悪を倒すのだ。「かっこよさ」は西部劇に軍配が上がる。人間が描けているからだ。アイアンマンには真の困窮者も貧困者も社会的弱者も登場しない。荒唐無稽なヒーローと巨悪が存在するだけだ。頭を空っぽにして見る映画。
[DVD(字幕)] 7点(2013-08-01 23:15:22)
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