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1.  逆噴射家族 《ネタバレ》 
劇画的に汗がタラーッとなるアップ、お父さんが風呂の湯垢を掬っているカット、広角レンズで街を走りシロアリ駆除液買って地下鉄の中を進み、夕景の中チャリンコ飛ばす。ここらへんイッキの勢いでよかった。このままスラプスティックに徹してくれればもっと良かったんだけど、社会批評的なものが紛れ込んでしまう。妻の描き込みが足りない。あの人だけがときどき「裁く人」になってしまう。小林家崩壊のシーンは、スローモーションにしないと安っぽくなってしまうからなんだろうが、あの手のスローモーション自体がそもそもセコい感じが匂ってしまう。協力のところに「日本シロアリ協会」があったのがウケた。
[映画館(邦画)] 6点(2013-06-30 09:57:22)
2.  魚影の群れ
こちらの心が不純なせいか、長回しのシーンはつい撮影風景を想像してしまっていけない。クレーン移動は心地よいけど。拳と十朱の再会シーンと追っかけとか。父と婿の、というより先輩と後輩の和解シーンはちょっとホロッとした。たとえ本人が死んでも本人がやっと釣ったマグロを捨てるわけにはいかん、このことで初めて漁師仲間に入れてもらえた、ということで、忠臣蔵の勘平みたいなものか。この仲間に入れてもらえぬ焦りが重要なモチーフであった。この閉鎖性は否定されるべきものだが、漁師の側からすれば「あんまりいい仕事じゃないよ、娘に苦労はさせたくない」という気持ちもあり、しかしマグロ獲りの誇りも強く、娘の亭主は漁師でなければならぬ、と思うわけ。そういうあれこれがあるので、ラストの「マグロ一匹百万円か、いい仕事だべなあ」のセリフが生きてくる。最初のマグロ釣りのシーンが一番の迫力だった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-09 09:57:31)
3.  キング・オブ・コメディ(1982) 《ネタバレ》 
この主人公モロに『タクシードライバー』の子孫で(シナリオは違う人)、行動の過激さ・対人距離の不安定・憧れの女性の存在、など揃ってるが、あっちほど神経症的でなく、けっこう好き。ラストの裏返しが決まってるんだな。どうしようもない気違いだなあ、と思わせといて、今までのドラマだったら、あのトークショーは客に受けないはず。紙の観客相手に練習してたりするのなんかは、だいたい「受けない」のの伏線だと思うわけ。ところがこれが受けちゃうんだな(本当のこと言ってるのがジョークになっちゃうおかしさ)。男の狂気に集中していくようにドラマが展開していって、ラストでくるっと裏返って、世間・マスコミの狂気がサーッと広がっていく怖さがいい。逃げたJ・ルイスが街でそのテレビを見たときの表情もいいし。
[映画館(字幕)] 8点(2012-10-04 09:58:18)
4.  銀河鉄道の夜(1985)
猫にしたのが当時は賛否両論だった。子ども向けに迎合してる、って意見があったけど、猫にしたことによって無表情が自然になってる、と私は断然「賛」だった。人間だと無表情は中間的表情というより陰気なイメージになってしまうが、猫だとほんとにニュートラルな表情となり、それが少年の純な心にピッタリする。そして賢治の世界にふさわしい。原作のイメージが素晴らしいんだけど、映画もそれを膨らませている。丘へ上る道が銀河につながっていくところ。静かに繰り返されるレールのガタンガタンのリズム。冒頭を初め、全編を通して振り子のイメージが貫いている。待合い所のメトロノーム、新世界交響楽の駅にも大振り子。ときどき流れ過ぎる輝く正四面体がちょっとつまらないのと、リンゴの皮を剥くとどんどん蒸発していく原作のイメージがなかったのは残念。ジョバンニが自分だけ違う切符を持っているあたりから忍び寄ってくる不安、「どこまでも一緒だよね」と何度も確認するあたりから、もう泣けてしまう。ジョバンニには妹を失った賢治がいるし、カムパネルラには、貧しい農民になれない地主の息子の後ろめたさを抱いている賢治がいる。そういったもろもろを静かな暗さの中で反芻していた賢治は、本当にいいなとあらためて思う。永訣の夜としての銀河鉄道。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-08-22 10:04:56)(良:1票)
5.  キャバレー日記
チェーンのキャバレーで店長を目指す男の話で、そのイヤーな感じは良く出ていた。軍隊調の挨拶など。ある種の被管理願望っていうのか。それがあまりに陰鬱なので、いろいろ滑稽なシーンがあっても笑えないんだな。作者がマゾヒスティックな喜びに浸りすぎちゃって批評の目が薄らいだのか、あるいは作者の中を通過しきっていない不消化のルポってことなのか。伊藤克信はノーマルな会話はダメだけど、普通の演技でない叫んだりするとこでいいんだ。これ池袋の名画座(文芸地下)で観たんだけど、近くに伊丹十三が座っていて驚いた。1983年3月4日のことである。この3日前の3月1日には銀座の名画座(並木座)で『人情紙風船』を観、そこでも伊丹十三に出会っていたのだ! 私も暇だが伊丹さんも暇だなあ、と驚いたが、これの併映が森田芳光の『マル本・噂のストリッパー』で、伊丹さん『家族ゲーム』の撮影に入っていたころか、監督の力量を観に来ていた“仕事がらみ”の観賞だったのであろう。ついでにそれにもちょっと触れておくと、純情青年がストリッパー(岡本かおり/『家族ゲーム』にもちょっと出ている)に抱く憧れの話で、淡い哀感を伴う成長物語になっており、私には根岸作品より面白かった。太田あや子との会話「これ自信作なんです」「自分で作ったんですか?」「買ったの」なんて、距離を置いて丁寧な口調でボソボソと語り合ってるのが、まさに森田調でした。
[映画館(邦画)] 6点(2012-06-08 10:13:10)
6.  北の橋
この人はベンチに座る女性ってのが好きみたい。本を持っているとなお良い。屋外で座る、ってことか。そして次第に親密になっていく二人の女性、ね。本作のポイントは、崩れていくパリの風景を描いたところ。ラストもパリの廃墟にパンして幕となる。時代への苦味のようなものが感じられる。それがスゴロクともっと絡まってくれれば楽しめたんだけど、あんまりスゴロクは生きてなかった気がする。この監督はそういう遊びを中心に据えると乗ってくる人なんじゃないかなあ。スゴロクに至るまでに十分バネを溜めて突入したって感じでもないんだよな。女二人が映画の中で別のストーリー(新聞の切り抜き)に入り込んでいく、って構図は『セリーヌ』と同じなんだけど。最近読んだ本で、フランス人の詩人が山手線の駅を一つ一つ巡りながら詩を作っていく、って趣向のがあったんだけど、なんかその遊びの精神が十分に発揮されずに「エスプリ」っぽい感じだけで終わってしまってた。フランス人の遊びは、ときに「エスプリ」のポーズだけを気にして趣向倒れになるから用心しないと。
[映画館(字幕)] 6点(2011-11-07 10:34:47)
7.  黄色い大地(1984)
冒頭、八路軍兵士が一人で小さく心細そうに現われてくるだけで、「あれ? これは今までの前向きの共産主義者とは違うぞ」と驚かされ、それと重なってくる荒々しい民俗音楽で、なにか新しい中国映画・というより国籍とは関係ない「映画」を観てるんだ、という気になった。過去の悲惨を扱って現在の矛盾から目をそらしてる、と言う批判も出来るかもしれないが、それよりも一本の映画としての完成度にまず驚くべきだろう。照明はスクリーンで観られるギリギリぐらいにまで落とし、ふいごの音や室外の家畜の声が際立つ。目を凝らし耳を澄まさないと捉えられないような世界を築いていく。この時間が粒だって清水のように流れていく感じは、最良の映画だけが持てる幸福な感覚だ。その自然界と結びついたような時間の中に不意に登場人物の民謡が飛び込んでくる刺激、ここに「大きな自然と小さな人間」という彼らの生活が直接に表現されている(特に弟が歌いだす瞬間)。政治的メッセージよりも、人間が生活していることへの新鮮な驚きとそれへの畏敬がベースになっている。突然中国映画の新展開を見せてくれた忘れ難いフィルム。
[映画館(字幕)] 8点(2011-07-24 10:17:41)(良:1票)
8.  危険な年 《ネタバレ》 
白人が無力にアジアから退場していって幕になるってところが、この作品の眼目でしょうな。もう自分の正義を振り回せない。西洋人がアジアを見るときの戸惑いが、そのままフィルムに定着しているようなところがある。変にビクビクしてしまうところ。昔の西洋映画のアジア観とは、ずいぶん違ってきた(といってもオーストラリアってのが微妙な位置にある西洋人社会で)。しかしなんといってもビリーね。あのキャラクターの印象は強烈。いい意味での憂国家なの。俺はここで生きるしかないんだ、という切実さがある。記者仲間のドローンとゆるみきった雰囲気、ベトナムへ行きたがっているわけ。よその「もっと面白いところ」へ行ける連中。けっきょくそれは帰る安全な場所があるからなわけで。群衆デモシーンに迫力があった。共産地区の田舎の風景と不安が重なるあたりのうまみ。メル・ギブソンが友情のために走ってくるが間に合わない、っつうのは出世作のラストと同じ。友情を描く作家なんだなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-09 12:28:02)
9.  キネマの天地 《ネタバレ》 
映画は芸術よりも観客を励ます娯楽であるべきだ、という思想がまずあって、そこに通俗性の導入が企てられている(出生の秘密やラストの父の死など)。だがこのクセモノの作者たち(山田洋次・井上ひさし・山田太一)が、芸術と娯楽を対立概念として捉えたままで満足しているとは、どうも思えない。本当なら、芸術と娯楽の境界が曖昧になるところまで練り上げて、そこに通俗的なるものを導きたかったのではないか。そこへいくまでに作品が小さく固まってしまった、という気がしてならない。ラストで藤山寛美にダメを押されると、結局これは観客が素朴だった時代の通俗映画への単なるノスタルジーに終わってしまったのではないか、と思えてしまう。観念的だったホンが、スラプスティック化されて生き生きしたものになり、観客にも歓迎されていく、なんてあの具体的な姿勢で全編押していってもらいたいのに、助監督が映画への信頼を回復する、という重要な部分が、アカギレの女中に活動は楽しいと言わせるだけでは、彼が書いたシナリオと同じで、ナマすぎた。通俗と言われるもののバイタリティーをもう一度映画に回復させたい、という作者たちの気持ちはよく分かる。しかし通俗という言葉がしばしば悪口に使われるのもやはり理由のあることで、類型化による鮮度の後退という大きな欠点があるわけだ。『寅』シリーズが素晴らしいのは、パターン化されそうなところをいつも何か撹乱させる要素を含ませて鮮度を保たせていたからである。あれは通俗性を織り込みながらも、優れた娯楽映画だった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-09 12:22:53)
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