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プロフィール
コメント数 3885
性別 男性
年齢 53歳

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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ゴッドファーザー
今朝、マーロン・ブランドの訃報が。合掌。さて昔から何度も観てきたお気に入りの本作、今更何を語ればよいのやらとまどうのですが、先日デジタルリマスター版とやらを見てきた事もあり。デジタルリマスターによって何が変わったのかというと、大して変わってないのですが、ニュープリントによって画質が改善した他、音声がデジタル処理でクリアに。細かい音もよく聞こえるようになり、滑舌の悪かったマーロン・ブランドのセリフ回しもスラスラ聞き取りやすく・・・は、さすがになってないな(当たり前だ)。で感想ですが、この映画、やや説明不足の感が否めません。ほぼ破局状態だったカルロとコニーの関係は途中ほとんど語られなくなるし、当時コニーのお腹にいた赤ちゃんはいつ生まれたのやら、気がついたら二人目(らしき)の赤ちゃんの洗礼式やってるし。マイケルにもいつのまに息子が?家族関係の描写ってこの映画では重要に思われるのに、結構省略されちゃってます。各シーンの間の年月も判りにくく、想像で補わねばならない。さらにはクライマックスの大虐殺、いささか性急なもんで誰が殺されてるのやら少々わかりにくい(モー・グリーンのシーンはスバラシイ!)。でもね、やっぱりこのシーン好きなんです。「見せる」ことへのこだわり、『知りすぎていた男』の劇場シーンなんか思い出すじゃないですか。それに、先ほど「説明不足」とは言いましたが、別に説明の下手な映画ではなくて正反対、冒頭の結婚式のシーンなど、このシーンの流れだけで、人物設定や背景を端的に伝えきっており、見事な手腕、このシーン好きなんです。まあ全体的に「説明不足」というよりは「詰め込みすぎ」と言う方が当たっているかも。多少説明を省かなきゃバランスとれないほど、欲張った映画なのです。その一方、随所に挿入されるショックシーンのどぎつい印象もまたこの映画の魅力。脳裏に焼きついたらゼッタイ離れない。そんなわけで、何度でも観たい大好きな映画、この度の劇場での鑑賞もたっぷりと充実感を味わえました。それにしてもマーロン・ブランドは当時40代・・・見えん。
10点(2004-07-03 17:02:37)(良:1票)
2.  コンドル(1975)
日曜洋画劇場で観て以来だからずいぶん久しぶりですが、やっぱり面白いですね~。地味ですけど。 アメリカ文学史協会なる、何の変哲もない組織が、ある日、謎の男たちに襲撃され、職員は片っ端から殺されちゃう。消音機がつけられた銃での、寡黙なまでの殺戮。淡々と響くのはタイプの印字の音。そんな中、生き残ったのは、その時たまたま外出していたロバート・レッドフォードただ一人。実はアメリカ文学史協会は、CIAの下部組織で、レッドフォードもCIA職員のひとり。コードネームは「コンドル」。こんな冴えないヤツにまでコードネームを与えているとは、CIAもヒマなのかどうなのか。 などと言っている場合ではないレッドフォード。CIAに連絡をとり保護を求めるが、どうやら黒幕はCIA内部にいるらしい。という訳で、レッドフォードの孤独な闘いが始まるのですが。 レッドフォードが「本の虫」というくらいに活字マニア、という風に全然見えないのが、何ともかんとも言い難いのですが、一応、オタク眼鏡をかけてそれっぽく役作り。何で彼の命が狙われているのか、とか、終盤における黒幕を突き止めていく手口とか(全編にわたって、電話が印象的に用いられています)、この辺りはまあ正直、いかにも「それっぽい」だけで十分面白くて、実は色々とアラがありそうな気もするけれど、どうでもよくって。あまり背景のはっきりしない主人公の生き延びようとする姿に、都市生活の孤独なんかが反映されていて、さらにフェイ・ダナウェイの影の薄い感じが、その孤独感を強めていたりして。敵方のマックス・フォン・シドーまで孤独感に貢献する。サスペンス作品ながら、イヤでもシンミリしちゃうではないですか。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2016-08-10 19:37:29)(良:1票)
3.  荒野の処刑
何の変哲もないマカロニウェスタンかと思いきや、どういうワケかニューシネマ魂がこれでもかと注入されてしまった、風変わりな作品です。ロードムービー風の物語、音楽もまさに「私はニューシネマです」といった感じ(ムダに全裸シーンがあるのもニューシネマ風?) こんな映画撮ってて、このカントクさん、本当に数年後には「サンゲリア」にたどり着けるんだろうか、と心配になってくるのですが(今さら心配する必要もないけど)、心配ご無用、冒頭の襲撃シーンから派手に血をぶちまけてくれるし、中盤には残虐拷問シーンとか、カニバリズムとかも登場したりして。それを見て安心するのも妙なハナシですが。 詐欺師の主人公、いったんは保安官に取っ捕まるも、3人の牢屋仲間と馬車の旅に出ることになる。娼婦だとか墓堀り人だとか、4人はそれぞれが、言ってみれば社会の除け者のような存在。その4人が、安住の地をもとめて荒野を旅する中で、色々な人に会ったり事件にあったりする、というのがいかにもロードムービー、いかにもニューシネマですが、やがて出会う一人の男が「いかにもヒッピー」なもんで、ニューシネマっぽさがさらに上昇します。ただこの男が曲者で、彼らを助けてくれるのかと思いきや、やがて、ドラッグで4人を支配してしまうことに。この辺りの描写も、なかなか過激で容赦がありません。4人の旅はズタズタにされ、ここから、主人公の復讐譚の要素が物語に加わって。 終盤はいささか楽天的過ぎるご都合主義のような部分もありますが、ちゃんとマカロニ路線へと軌道修正しての大団円。 映像は逆光による滲んだようなシーンが多用されて、独特の透明感があり、ルチオ・フルチの美学を感じることができます。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2019-11-24 08:02:05)
4.  小人の饗宴
登場するのはいわゆるミゼットな人ばかり、という奇妙な映画。彼らが入っている施設に対して反旗を翻し、クルマやバイクを持ち出したり投石したり、やりたい放題の乱暴狼藉を繰り返す。 設定からは何らかの寓話かと思わせるものの、「普通ではない」状況・映像のインパクトが勝っていて、単なる“喩え話”の枠に収まらない、エゲツないまでのパワーを感じさせます。設定のエキセントリックさに負けじと、内容もストーリー的なまとまりなんぞそっちのけ、ひたすら乱痴気騒ぎが描かれて、ほんとにエゲツない。 でもやっぱり個々のシーンは寓話的。仲間の死体をつつくニワトリのグロテスクさ。暴動で持ち出されたクルマが円を描きながら庭をグルグル回り続ける様は、無軌道なようでいて、どこにも行きつくことのないアテの無い様を描いているかのような。 ラストはどういうわけかラクダが登場し、それを見ながら登場人物の一人が甲高い独特の声で際限なく笑い続ける。もしかして監督の指示でエンドレスで笑い続けさせられているのでしょうか。ホントに延々と笑い続けるのですが、人間の体はそんなに長く笑い続けるようにはできていない訳で、やがで咳込んでムセ始めてしまうのですが、それでも(監督のカットの声がかからないから?)笑い続け、ムセ続ける。笑いなんか、自由なんか、永久に続くことなんて絶対無いんだよね・・・と見てて妙にシンミリしてしまう。その光景はあくまでアブノーマルなんですけれども。
[DVD(字幕)] 8点(2019-09-28 00:50:43)
5.  木枯し紋次郎 関わりござんせん
木枯し紋次郎と言えば中村敦夫、中村敦夫と言えば木枯し紋次郎。 と言いたいところなんですけどね・・・映画版なので菅原文太です、ハイ。 で、とうとう作品のサブタイトルにおいてまでも「関わりござんせん」と主張する紋次郎なワケですが、「関わり」から逃れることは決してできないのが、彼の運命。ここでも、2つの大きな関わりを持つことになって、一つは、たまたま命を救った田中邦衛と関わり。そしてもう一つは、生き別れの姉との再会。この姉を演じているのが、市原悦子なんですが、いやもう、これがホントにスゴいキャラなんですね。まずもって、ブサイク(笑)。言動もガサツ。で、それがかえって、これまでの遊女としての幸薄い半生を感じさせるものがあり、哀れを誘うんですね。まあ、付き合いたくないタイプですけどね。 で、そういった関わりに絡めとられるように、紋次郎の運命も、争いの中へと巻き込まれてゆく。長回しを多用した桑畑での死闘。そして、紋次郎にはこの世に安住の地など存在しないことが示唆されて映画は終わりを迎えます。実に虚無的なラストに、ため息が出ます。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2019-02-12 21:05:06)
6.  告白(1970)
チェコで実際に起こった事件(スランスキー事件)に基づいているそうですが、過去の一事件の告発に終わらない、もっと普遍的な「恐怖」が、ここでは描かれているように思えます。映画は、背景のあまり多くを説明することなく、いきなり主人公が逮捕されるところから始まり、「これでもか」と過酷な取り調べが続きます。あまりにも息苦しい展開。主人公の弁明は実にクリア、彼が無実であることは、我々の目には間違いない。しかし、「彼の問われている罪」には取り調べ側の恣意性が次第に色濃くなり、「事実」を上回るクリアさを帯びてくる。主人公の転落への道はのっぴきならないものとなり、そして・・・。このシステマティックに仕組まれた逃げ場の無い絶望感、いかにもナチス・ドイツに相似しているが、それにとどまらず、見知らぬ人間同士が集まって「社会」を形成し、互いを束縛し、大きさの決まったパイの取り合いを始めるとき、多かれ少なかれ、このような絶望感への下地が根底に築かれているのでしょう。もともと「自由」とは「束縛」の海に浮かぶ小島に過ぎないのかもしれない。その不自由な海の中で、いかに流れに逆らわず、「障害」となるものがあればいかにして効率的に抹殺するか。流れから一度外れてしまえば(必ず誰かがその貧乏籤を引くのだが)、あとはもう、絶望の泥沼に溺死させられるしかない。イヴ・モンタンが身を呈して演じて見せた主人公の転落の姿は、ひとつの究極ではありますが、普遍的な、一種運命的な「恐怖」さえ伴うものであります。さて一方、主人公が目隠しをされた異様な姿など、いかにスタイリッシュであることか。↓まぶぜたろう様の指摘はあまりにも鋭い(感服!)。政治的屈服の背景にあるものは、広い意味での「エロティシズム」と言えるでしょう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-11-13 12:29:44)(良:1票)
7.  ゴッドファーザー PART Ⅱ
1作目と2作目を年代順に並べ直した「ゴッドファーザー・サガ」とやらを先に観てしまい、「サガ」-「1作目」=「PART II」かと勘違いしたのが失敗。う~ん何のために2作目なんか撮ったんだろう、という疑問は、後にちゃんと2作目を観た際にようやく氷解しました。このPART IIの魅力は過去と現在の対比あるわけで、「サガ」でPART IIを語る事はできません(「サガ」は別角度から楽しむためのもの)。さて、コルレオーネ・ファミリーの「政権交代」を大河の流れのごとく重厚に(しかし時にセンセーショナルに)描いた前作とは一変、いわば「上流」と「下流」を対比させる新たな語り口を提供したのが、本作の成功したポイントでしょう。2本同じ映画作ったってしょうがないですからね。その分、ストーリーの動きが抑え気味なのが、本作の特徴と言えば特徴、限界と言えば限界とも言えましょうか。改めて振り返ると、人がジャンジャン死んだ1作目に比べると、こちらは皆、死にそうで死なない地味な展開(笑)。若きヴィトーの時代にたまらないノスタルジーを感じます。そして映画の最後の方は、本シリーズからの別れ、コルレオーネ家からの別れを惜しむかのように、まったりじっくり描かれます。そしてあっけなくケリがつけられる。この余韻。本作を観る限り、間違ってもPART IIIが製作されることは無いでありましょう(ハッハッハ)。
8点(2004-07-03 17:50:53)
8.  高校大パニック(1978) 《ネタバレ》 
自主制作の8mm映画のリメイク、と言う事なんだそうで、その元の8mm映画を見たことが無いので比較できないのですが、、、自主制作を元にしたにしては、あまり破綻の無い「真っ当な」作品だなあ、という印象。 いや、自主制作が必ず破綻しているとか破綻すべきだとか、言う積もりは(あまり)無いのですが、それにしても、これが本当に作りたかった作品の姿なのかな、と。 そもそも、高校生が学校に銃を持ち込んで籠城し、警官隊とやり合う、などという設定自体が、実際には起こり得ないとは言い切れ無いながらも、それなりにブッ飛んだ設定には違いない訳で。そのブッ飛び感のまま物語が突き進んでいく(事件発生までの経緯は端折り気味で、事件そのものの経過をこれでもかと描いている)のはいいんですけれども、その割には終盤からラストにかけて、さらにアクセルを踏み込む訳でもなく、普通に終わってしまった印象。 例えば浅野温子の存在は、「この程度」でよかったんだろうか? いや、この作品、面白かったんですけどね。ちょっと、ワガママを言ってみた次第。
[インターネット(邦画)] 7点(2021-11-07 14:03:27)
9.  荒野のストレンジャー
イーストウッドという人、元々はTV西部劇で名を売ったとは言え、その後の活躍はマカロニという一種の傍流、やはり古き良き西部劇映画に自分は遅れてきた、という意識があるのか、はたまた終焉を迎えつつあるアメリカ西部劇を自分が看取ろうというのか。この映画、流れ者のガンマンがとある町にやってきて、その町を狙う悪漢3人組と対決する、という、いかにも定番の設定。でありながら、内容はというと、どうにもヘンテコなんですね。名もなき人々をヒーローが救うには、やはりその人々がそれなりに勤勉であったり正直であったりしなくちゃいけない。だけどもはや、どこを探したってそんな「無垢の善良な人々」なんて、居ないわけで。実際、この映画の舞台の町の人々も、およそワケありの、ロクでもない人々だったりする。だもんだから、割れ鍋に綴じ蓋とでもいいますか、彼らを守るべきヒーローもまた、とんでもないヤツだったりするのですね。一応は用心棒の役を引き受けるも、町民へデタラメな要求を繰り返し、町はムチャクチャ。いよいよやってくる3人組、彼らを待ち受ける町は何故かペンキで真っ赤に染められ、町の名前も「地獄」と書き換えられているのは、3人組への脅しなのか、それとも町民に対する皮肉なのか。そもそも、この破天荒な映画において、通常の悪役が暴れる余地なんて、もう残ってはおらず、クライマックスはアンチクライマックスに、西部劇はアンチ西部劇にならざるを得ない。まあ、間違っても正統派西部劇を楽しもうと思って観るのはやめたほうがよい、しかし変化球を楽しむにはもってこいの作品です。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-06-29 13:41:58)(良:1票)
10.  午後の曳航 《ネタバレ》 
「午後の曳航」といいますとあの、刑法41条にて処罰対象外とされる13歳の少年たちが、よってたかって大人を殺しちゃう、三島由紀夫の小説ですね。三島作品なので、ある程度、解析的な図式によって構成されてます。未亡人である母と船乗りの男との凡庸な恋愛ドラマを描く心理小説の面がある一方で、主人公の少年が属するグループの「首領」少年の存在は、極めてドライで観念的。前者の面は大人の側で閉ざされていて、主人公の少年はそれを外部から眺め、大人の世界に憧れなり畏怖なりを感じている。それは子供らしいと言えるとともに、やはり観念的なものであり、それが「日常」によって実は汚染されていたことを知った時の憎悪が、衝撃の結末に結びついて行く。この観念(論理)と憎悪(感情)の結びつきが、物語小説としての肉付けの上手さ、他の三島作品と比べた完成度の高い低いはともかく、例えば「金閣寺」で主人公が放火に踏み切る過程よりも、この作品の方が、何となく「腑に落ちる」感じがするのです。で、この映画。なかなかよく出来てます。原作が良いんでしょう(笑)、では身も蓋も無いですが。原題は「午後の曳航」の英訳版と同じですから、「小説を映画化しました」であることは間違いなく、実際、細かいところで意外に原作に忠実です。一方で、大人側のドラマの比率を原作よりも下げて、少年の視点を中心にしているのは、これは映画化にあたり妥当なアプローチでしょう(母と船乗りのラブシーンで流れるバッハの有名なへ短調協奏曲が、ベタなメロドラマを演出)。「首領」の美少年ぶり、彼のカリスマ性がよく出ていて、そこがコワさでもあります。あるいは情景の美しさ。心理や感情を書き込む小説に対し、「美」を描き込むことで、古典悲劇みたいな論理性を映画らしく演出しており、ラストシーンのロングショットなんか、いかにも「ばっちりキメてやったぜ」という感じです。ただし「美」でキメ過ぎれば、鼻についたりもする訳で、そこに限界もあるのかも知れませんが。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-05-11 08:53:01)
11.  ゴルゴ13(1973)
それにしても思うのは、高倉健さんが初めてゴルゴ13のコミックを手にした時ってやっぱり「なんだこれは、オレじゃないか!」って思ったんですかねえ。 という訳で、ゴルゴ13を実写化するならデューク東郷役は高倉健さん。そしたら、キン肉マンを実写化するなら五分刈刑事役は渡哲也さんで決まり。ですね。 ってなことはどうでもいいんですが、イラン政府の協力のもと、全編イランロケ撮影、という、実にイランことをしてしまった本作。いや、砂漠でのカーチェイスを始め、雰囲気出てる箇所も結構あるんですけど、それでも何だか、色々と不自由そうな感じが滲み出てて。 別にロケだけの問題でもなく、無理矢理引き延ばしたようなストーリーが、なんともまとまらない印象。 ラストのヘリとの死闘、もうちょっとカッコよく手榴弾投げられませんかね。そんな種蒔きでもするような投げ方で、天下のゴルゴを仕留められる訳もなく。 まあ、珍品、ですね、これは。そう思えば、それなりに楽しめます。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-10-24 22:13:36)
12.  木枯し紋次郎 《ネタバレ》 
とある男の身代わりとなって罪を被り、三宅島に島流しとなってしまった木枯し紋次郎。だもんで、物語の少なからぬ部分が島流し先でのオハナシとなり、渡世人らしいエピソードはあまり無くって、何となくモヤモヤしています。それを補うように、多少、時間軸を行き来する語り口になっていたりもするのですが、あまり効果を上げていないようにも。 一方、冒頭のクレジットに「協力 三宅島観光協会」と書かれているところを見ると、実際に三宅島でロケ撮影をしたらしく、なる程、孤島らしい雰囲気が充満しています。 と言うわけで、どっちかというと、これは和製パピヨン、でしょうかね。 ただ、いよいよ島抜けを決行する段となって、小舟で大海原へ乗り出すも、嵐にあって難破する場面。流れついた先の光景が三宅島のそれと変わり映えがせず、結局、海岸の光景なんて島でロケしようがしまいが、大差ないんだなあ、と。それはいいとしても、このシーン、私はてっきり「三宅島にまた戻ってしまった」と思ったもんで、後で伊豆だと聞かされてズッコケそうになりました。三宅島ではない別の場所であることを示すカットが一発あれば、もっとスッキリしたかも、、、 という訳で、正直この辺りまではあまりノレなかったのですが、ここからは見どころ。紋次郎の前で繰り返されていく様々な悲劇(どうでもいいような殺し合いを含め)が、彼の虚無的な表情の向こうで彼の感情をひそやかに揺り動かし、最後の決めゼリフへと結びついていく。やっぱり、かっこいい。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-08-28 11:05:07)
13.  極道VS不良番長 《ネタバレ》 
極道シリーズ対不良番長シリーズ、ついに対決。 と言うのは大いに「看板に偽りあり」でして、肝心の不良番長こと梅宮辰夫が、映画始まって早々にバカやって大怪我で入院してしまうという設定。だもんで、実際に若山富三郎親分の好敵手となるのは、不良番長の弟・渡瀬恒彦。ま、どう考えても、この方が「正解」だとは思いますけれども。 若山親分、今ではカタギになってホルモン焼きの屋台なんぞやっているのですが、子分どもの屋台が鈴なりに連なって、一大コンボイをなしているその光景は、カタギか否か以前の、相当アブナイものを感じさせます。しかもロケ撮影は阪急沿線? こんなコトが許されるのは阪神沿線だけだと思うのだが。いや、近鉄もOKかな? とにかく何ともアホらしいオハナシの上、演出も少々雑で、粗製乱造っぽいニオイがプンプンしますけれども、さんざん迷走したようでいて、ちゃんと屋台野郎とバイク野郎のライバル関係に物語の焦点を合わせてくるのは、さすが。 バイクによるアクションが見せ場を作れば、ホルモン屋台も装甲車と化し、クライマックスの壮絶な戦いへ。 コメディタッチかと思いきや、中盤からは結構、バンバン人が死にまくって、それも中には「えっまさかそんなコトで死んじゃうの?」という、なかなか笑劇的な殺戮シーンなんかもあったりして。 いやあ。いい時代、ですなあ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2020-06-15 20:51:43)
14.  神戸国際ギャング
「国際ギャング」と言っても、戦後の闇市を舞台に、愚連隊の一味が中国人のチンピラグループと小競り合いやってる程度のもんなんですけどね。でもそこには、組織として完成されていないが故の生々しさがあります。戦後の混乱を示す背景の、闇市の雑然とした雰囲気も、作品によく出ておりました。 ただ、残念ながら、もうひとつ面白くない。いや確かに、面白おかしい映画を作ろうとは思っていないんでしょう、ここにはただ、容赦のない過激なまでの暴力があり、やけっぱちで無軌道なエネルギーがひたすら渦巻いている。でも一方でその中には、ギャング団の各メンツそれぞれの生き様が織り込まれていて、一種の群像劇にもなっています。登場人物たちそれぞれがキラリと光って見せ、そして次から次へと死んでいってみせる。 だけど、それがもうひとつなのは、「高倉健&菅原文太2大スター共演」というスター映画としての側面との、相性の悪さ。高倉健は関西弁を早口でまくしたて、演技の幅の広さを見せてくれるけど、でもやっぱり健さんは健さん、どうしても「自分不器用ですから」っぽいオーラが出てしまう。そしてそこに食いつきまくる菅原文太。この二人の対立が目立ちに目立って、せっかくの群像劇がかすんでしまったかな、と。
[DVD(邦画)] 6点(2016-06-27 23:11:52)
15.  ゴジラ対メカゴジラ
子供の頃に観た時の印象は、「この映画のゴジラは顔も歩き方も何だかカワユイなあ」という事と、「メカゴジラの派手な飛び道具で悶絶してたくせに、唐突にゴジラが立ち直って、あっけなく終わっちゃったなあ」という事。で、この度観直してみると・・・まあ、概ね記憶どおりでしたかね。ストーリーや設定の細かいところは忘れておりましたが、いや、なかなか味わいがありますな。松島博士、専門分野は一体何なんだろうか。謎の金属の正体が「スペースチタニウム(←!?)」である事を突き止め、宇宙人に遭遇してもまったく動じず、メカゴジラの故障を容易く修理してしまう。さすがはノーベル賞を受賞したというだけのことはありますね、科学のあらゆる分野に精通している!田中耕一さんだってこのくらいのことは朝飯前なんでしょうなあ。そうそう、宇宙人に遭遇しても動じないのは、こりゃまあ道理であって、宇宙人とは言ってもどう見ても普通のオッチャンだからね。葉巻をくゆらしながら、日本語で独り言をつぶやく宇宙人。七三分けの髪型もバッチリきまってるぜ! 基地の壁には何と壁掛け時計が! いやあ、この緊張感の無さ。で、とりあえず何やかんやで古代の予言通り、キングシーサー復活! でも寝てるぞ! 宇宙人はメカゴジラに指令を出す、さあ今のうちにやっつけちゃえ! マイクでメカゴジラに指令を伝える宇宙人、実にアバウトな指令だ。一方、シーサーを目覚めさせるために何故か歌い始める女性!なかなか起きないから2番まで歌ってしまう。無事目覚めたシーサーに加え、ゴジラも登場。「キューピー人形の体勢で空を飛ぶメカゴジラ」対「ロシアのインチキ超能力者みたいな電磁石ゴジラ」の死闘の顛末はいかに! と、まあ見所の多い映画ですが(うはは)、前半のコンビナート炎上シーンなど、スペクタクルシーンは意外にも冗談抜きで見ごたえありました。というのも、特技監督が中野しょーちゃんなので・・・。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2005-06-04 01:35:22)(笑:1票) (良:2票)
16.  コンボイ
うーん。おそらく確信犯的なものなんでしょうが、ちょっと突拍子もない部分について行けませんでした。やることがいちいち極端なんだよねー。悪役には、せっかくボーグナインみたいな濃い人起用してるんだから、もっとパワフルなキャラにして欲しかった!
6点(2003-06-29 01:19:43)
17.  獄門島(1977)
金田一さんのターザンロープ(?)あたりの悪乗りは楽しくって、私も子どもの頃から好きだったんですけどね。ただ、ミステリとしては正直、あまり面白くない。むしろ大人になってから原作を読んで、こんなにスゴイ推理小説だったのか、と。趣向を凝らしに凝らした、3重の見立て殺人。この映画、原作から一部変更を加えられており、例えば「謎の復員兵」の処理などは(原作より無理があるにしても)なかなか悪くないと思います。ただ、実行犯が少し変更されている点、変更すること自体は結構だとしても、そんなに面白い変更でもないし、そのせいで終盤をここまでダラダラ引っ張ってしまったのは、どうもいただけません。石坂金田一シリーズにおける金田一さんは、中盤アタフタしている一方(これは原作のテイストでもありますが)、ラストの真相解明の部分で、根拠もロクに示さず妙に何でも断言してしまう感があり、「オイオイなんでそんな突然強気になってるんだよ」と思いつつもそこが魅力であったりもするんですけどね、本作の終盤のダラダラ感はそんな魅力も打ち消してしまい、といって原作にない新たな魅力(ロマンスなり、それに伴う哀切なり)を盛り込めている訳でもなし。あと、原作の巧みなトリックも、あまり印象的には描かれておらず勿体ないですね。第一の殺人なんて、原作では犯人をうまく隠してますけど、この映画ではほとんどバレバレ寸前の描写になってしまっており、むしろこういう部分で原作を離れてみてもよかったんではないか、とも思います。それともう一つ、本作の医石坂金田一さん、過去2作よりもなーんか野暮ったい顔してますなあ。そこも惜しい。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2015-08-15 20:43:33)
18.  ゴジラ対ヘドラ
本作が製作された昭和46年は私が生まれた年です。当時の社会情勢や風俗を本作よりうかがう限り、「トンでもない年に生まれちまったなあ」と思えてしまいます。テーマは公害。化学物質名を並べ立てる主題歌、大学で化学を専攻した私にはとってなかなか興味深いもの(←と言ってみたかっただけ)。さて、今回の得体の知れない怪獣ヘドラ、ターミネーター2もビックリの半液体状の生命体、まさにゴジラの危機であると同時に東宝にとっても一大危機。万が一ゴジラが敗れるようなことがあれば、シリーズの主役はヘドラに取って代わられてしまい、こんな怪獣では集客力も望めない。『ヘドラ対ガイガン』『ヘドラ対メカヘドラ』・・・最悪だ。ええい、何でもいいからゴジラがんばれ。ヘドラ撃退法を編み出した矢野博士、早速「自衛隊に電話を!」・・・自衛隊に電話と言われてもなあ。しかも、ヘドラ撃退の現場の野原でもナゼか布団を敷いて寝ている博士の姿は脱力モノ。いやそもそも展開自体が、怪獣が現れても誰も気付かない、何の騒ぎも起こらないこのシュールさ。ある種ナマナマしい映画の題材を、シュールかつ牧歌的にまとめた着眼点に拍手。はたまた、人間の作ったアヤシゲな兵器を、見事に応用して戦うゴジラの知能指数の高さにも拍手しよう。ああ、なんか疲れる映画でした・・・。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2005-11-13 14:25:09)(笑:3票)
19.  荒野の七人/真昼の決闘
冒頭に流れるお馴染のテーマ曲! しかし何故か現れたるはリー・ヴァン・クリーフ!?いいじゃないのリー・ヴァン・クリーフ、カッチョいいぜ、まさに男が惚れる男と言えよう(笑)。いやいや、笑ってはいけない(笑)。さて、本作のテーマだが、日本の現代社会の抱える問題と同じ、少年法である。微妙に美人の若妻を少年たちに殺された主人公の復讐譚・・・のハズだったが、妙な展開へ。そして主人公はとにもかくにも7人組にならないと話が始まらないので、助っ人を集めに行くわけですが、ここからの展開、いや~まいりました。ネタバレ表示してツッコミ入れてもいいのだけど、勿体無いのでやめます、未見の方はご自身の目でご確認ください。ポンコツ7人組、ダイナマイトまで使って派手に戦いを挑むものの、どうも迫力ないばかりか、緊迫感もない。まるでコントみたい。この映画の邦題を変更させてもらえるなら、『荒野の七人だョ!全員集合!!』あたりでいかがでょう。まあ、内容よりも存在自体が面白い映画と申せましょう。
5点(2004-07-03 18:03:56)(笑:2票)
20.  絞殺
題材となっている実際の事件は、本多勝一のルポ「子供たちの復讐」に詳しく書かれています。著者が著者なもんで、本多勝一バイアスがかかっちゃってますけれど、一方、この映画。バイアスなんてもんじゃなく、かなり改変されています。 あくまで実際の事件をヒントにしただけ、ということなのかも知れないけれど、まだあまり年月が経っておらず限りなく現在進行形に近いこの悲劇を、こんな風に「人を傷つけかねない」形で映画化するなんて、あまりその是非については述べたくないとは言え、ホント、よくやるよなあ、と。 もしかして、新藤兼人は、怒ってたのか? だとしても、ちと、アタマでっかちな作品、ではないかと思えて仕方が無い。 例によって性の問題を絡めて自分の路線に引き込んだり、父親の横暴を、近隣住人の無責任さを、進学校の非人間性を、極めて極めてステレオタイプに描いたり(ここまでくると硬直した偏見と言わざるを得ない)、という一方で実在の事件の顛末には一応、乗っかっておこうという点に、どうしても無理を感じてしまう。剥き出しとなった作為はコレ、貧弱さの表れ。 いや、西村晃、乙羽信子のお二人の体を張った演技が、その貧弱さを何とか覆い隠そうとしており、また実際、映画的な演出を欠くほどには無神経な作品でも無い訳ですが。 ただ、息子が家庭を破壊するシーンの迫力の無さ、特に、「撮影なのでホントには殴ってません」というのが信じられないくらいに丸見えになっちゃってる殴り合いシーンのヌルさ。何とかして欲しい。
[インターネット(邦画)] 4点(2022-01-30 21:36:21)
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