1. 最前線物語
《ネタバレ》 帰還を許されない兵士達が、最前線に留まりながら、空間と時間を滑走する物語。 彼らは、最小限の身振りで音もなく、時には踊りながら、異物(平穏な街にとっての兵士)を華麗に排除していく。それは殺人というより、掃除に近い感覚さえ抱かせる。 暴走する物語のスピードに振り落とされまいとするように、彼らは空間と時間を飛び越えて、ただ戦場を駆け抜ける。 彼らには安息の地も安らげる時間も、帰るべき場所も用意されてはいない。宴のカットが変われば、直ぐに次の戦場(最前線)に放り込まれてしまうのだから。 激動の戦争が終わり、敵兵を背負った老兵の顔には、それでもなお叙情性や徒労感の影はみられない。 [DVD(字幕)] 7点(2017-10-23 18:49:29) |
2. 三度目の殺人
《ネタバレ》 人は自分の今までの経験を通して、あらゆる物や人を、自分の常識や理解の範疇に押し込める事で型にはめて、自分なりの善悪の基準で無意識の内に物や人を裁いている。 それは映画であっても同じで、今観ている映画を、自分の知識や今までの映画体験を通して、ジャンルを分け、筋道を考え、結末を考え、物語の意図を監督の意図を知ろうとする。 そうして理解しようとしなければ、理解が出来なければ、気持ちが悪いから。自分の器に、物や相手をはめなければ怖いから。 ラストの接見室の場面。重盛は観客も予想したであろう、三隅の意図(自分が犯行を否認する事で、咲江への言及を免れ、彼女を苦しめずに済む)を彼に投げかける。重盛は自分の器に三隅をはめようとし、若しくは自分が三隅の器にはまろうとし、同一化しようとする。それは視覚的にも提示され、それまで徐々に境界を薄めていっていた鏡面は完全に姿を消す。そして二人が重なり合う寸前、また二人は離れる。 観客も重盛も三隅の真意(そもそも思いがあったのかすら)も、犯行の真実も犯人も知ることは出来なかった。 確かな事は、司法制度という器に無理矢理はめこまれて、”死刑になった三隅”という人物がいる事実。 三隅は理解も共感も寄せ付けない。 この映画は、観客が安易な物語の枠組みにはめる事も、偏狭な物差しで裁く事も、観客にとって都合のいい真実を捏造する事も、特権的な視点を持つ事も許さない。 これほど挑発的な是枝作品は始めて観た。 [映画館(邦画)] 8点(2017-09-16 09:40:57)(良:2票) |
3. 散歩する侵略者
《ネタバレ》 CUREは概念の変容、今作は概念の喪失を物語の軸としている。 どちらも人間性からの、そして自分自身を縛る抑圧からの解放を映し出す。 人間は概念に縛られ、抑圧されながら生きていて、それを喪失させ人間性から解放される事が人類の幸福となり、その結果が人類の滅亡に繋がるという強烈な皮肉。心の奥底では皆が望んでいるかもしれない、恐ろしくも理想郷的な世界をこの映画は容赦無く描く。 ラスト近くのホテルの場面。そこまであえてありきたりなラブストーリーの流れを踏襲させミスリードをする。そこから「愛」の概念を奪われても何も変わらなかった事で、夫への愛はなかった(おそらく真治は友愛や博愛などを貰ったのではないか)事を思い知った鳴海が絶望する場面へと繋がる。 自分の人間性の欠如を突きつけられ、正気であるがゆえに、その現実から逃れられない恐怖は、自分にとっては決して人事ではなかった。 そしてそれは「愛」という言葉の多面性、欺瞞性、巷に溢れるラブストーリーへの皮肉をも含まれていた。 終始あくまでもエンターテインメント性を保ちながら、SF、人間ドラマ、コメディ、ラブストーリーの皮を被った中にあるホラーを描く手腕。 黒沢監督の映画特有の、風に揺れるカーテン、扇風機、遮蔽物を隔てた別空間の表現。異空間としての車、車外風景。明暗のコントラストとその変化。旋回する飛行機。廃工場、不吉さの象徴である病院などの映画的記号。 手で窓を壊してから警官を銃殺する場面の意外性や、冒頭のトラック横転、歩道橋の追跡カットなどに代表される、空間と時間の持続と大胆な省略を利用した偽装などの魅力的な映画的な映像表現もあった。 [映画館(邦画)] 8点(2017-09-10 00:39:21)(良:1票) |
4. サバイバルファミリー(2017)
《ネタバレ》 極限の不自由の中で生まれる瑞々しい細部の数々。 文明の利器である、電灯が電車がパソコンが携帯電話がその他諸々が寂しく役目を終える。 その中で家族は分裂し、もがき苦しみながら、農村に辿り着く。 そこで図らずも繰り広げられる、始めての共同作業とも言える全員で一匹の豚を追うシーンは、滑稽でありながらも無邪気で微笑ましい。 家族が和解し、農夫との別れの後、ロングショットのブレないカメラが、始めて等間隔で父→兄→母→妹という調和のとれた順で収まる家族を捉え、それまでなかった音楽が鳴るシーンは美しい。 人を癒し生命をもたらす姿とは真逆な凶暴性を備えた、水の紛れもない一つの姿である川。そこで起こる出来事は、水の多面性に翻弄される家族の儚さと身体接触を介した絆の生起も映していた。 駅という概念を捨て、どこでも止まれる自由さ、そして機動性を備え逞しく滑走する蒸気機関車。 蒸気により疲れた人間を煤まみれにし、笑わせ癒す様は動物的な愛らしさ、身体性をもっている。その献身性は、愛玩動物である事を辞め本能を剥き出しにした犬との対比ともなる。 そしてトンネルを介した観客と家族の闇の共有や、列車の窓とスクリーンを介した家族と観客の視点の共有などの映画という構造を生かした見せ方も素晴らしい。 [映画館(邦画)] 7点(2017-03-12 00:52:38)(良:1票) |
5. サンドラの週末
《ネタバレ》 自分を犠牲にしてまで相手に尽くす事ができるか。という、答えの出ない問い。 本作はその問いを投げかける。そして、主人公は自分の生活、復職を犠牲にして、自分を守ってくれた人を最後に守る。 否定のしようのない立派な行動と結末。 だがその不変的な問題に対する、暴力的にも思える圧倒的な正論が、困窮してるようには見えない主人公一家共々どうしても上辺だけの浅薄な結末に思えてしまう。 [DVD(字幕)] 4点(2016-07-01 02:02:12)(良:1票) |
6. サンブンノイチ
《ネタバレ》 後出しじゃんけんのしすぎで結果が途中からどうでもよくなってしまった。説明台詞が多すぎるし、笑いどころで毎回突っ込むという見せ方も映画にはあっていないと思う。突き放した終わり方は良いと思った。 [DVD(邦画)] 4点(2015-02-07 17:46:20) |
7. さんかく
《ネタバレ》 自分の誰にも触れて欲しくない根っこの部分をねちねちと罵倒されながらぐちゃぐちゃに踏み潰され行き場のない気持ちに襲われました。フラストレーションはたまる一方でエンディングの爽やかな歌とは正反対にほぼ全編モヤモヤとした気持ちで観ていましたが、最後の佳代の笑顔でこれでよかったのかもしれないと妙な心地よささえ感じてしまう不思議な映画でした。 [DVD(邦画)] 7点(2011-12-03 15:09:44) |
8. サバイバル・オブ・ザ・デッド(2009)
ゾンビやナイト・オブ・ザ・リビングデッドのような作品は、その時の時代背景や空気感が観ているだけで、その時代には生きていない自分にも伝わってきました。 映像の荒さや作り物臭さも妙なリアル感につながり、それも作品自体の面白さを底上げしていたような気がします。 たくさんのゾンビ映画が作られプロットが使い尽くされ、映像も綺麗になっていき、情報が整備されている現代では、前記のような閉塞感やチープさ時代背景が、怖さ面白さを生み出すような作品は撮る事が難しくなってきているような気がしました。 しかしそれでも走らないゾンビを時代にあった方法で撮り続ける監督には敬意を表します。 [DVD(字幕)] 5点(2011-03-12 17:26:04)(良:1票) |
9. 最高の人生の見つけ方(2007)
どこかで観た事があるような内容で、特に驚く展開もなく淡々としたまま終わっていった。自分にとっては毒にも薬にもならなかった。5年前の自分が観ていればもっと純粋に楽しめた気がする。 [DVD(字幕)] 4点(2009-10-06 18:02:46) |
10. サスペリア(1977)
色の使い方と音楽はよかったものの、ストーリーやラストがいまいちでした。なんとも言いがたい独特の世界観は恐ろしかったです。 [DVD(字幕)] 5点(2008-12-22 11:21:37) |
11. サイコ(1960)
《ネタバレ》 マリオンの横領から始まり幽霊屋敷の真相に至るまでの話の広がり具合や展開、構成は素晴らしいとしか言えません。前半は観客の意識をマリオンの視点に持っていき彼女の気持ちになって4万ドルを持って逃走するスリルを味あわせ、彼女の突然の死後からはその事件の謎解きや幽霊屋敷の真相に意識を集中させる。モノクロの画面や音楽の効果で恐怖感を増大させ、楽しみを種明かしのみにとどめずノーマン・ベイツの異常性を見せることによって彼の今までの人生や行動を観る人に想像させ、さらにそこで怖さやおどろおどろしさを感じさせる。全てが計算し尽くされているような映画で、その凄さに愕然としました。この作品を予備知識一切なしで観ることができた自分の無知さと運の良さに感謝します。 [ビデオ(字幕)] 9点(2008-02-16 10:44:02) |
12. サボテン・ブラザース
透明の騎士の扱いがひどすぎます..というわけで、歌を歌う木と透明の騎士の活躍を描くスピンオフ作品がぜひ見てみたいです。 [ビデオ(字幕)] 6点(2008-02-01 20:06:57) |