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1.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
新聞紙に包み隠した4万ドルから得体の知れぬノーマン・ベイツへ、そしてその母ノーマ・ベイツへと、ゆるやかにスライドし転調していくマリオン・クレインの不安。「罪」からの解放としての清めが、無防備な裸体に下される「罰」へと一瞬で反転する「洗礼」。50年前から語り尽くされてきたそれらを持ちだすまでもなく『サイコ』は未曾有の傑作であり、サスペンス映画の金字塔である。興味深いのは、本作がカラー映画の選択肢のある時代に撮られた白黒映画であるということだ。テクニカラーを華麗に用いた『めまい』や『北北西に進路を取れ』から一転、敢えてモノクロフィルムで撮られ、アルフレッド・ヒッチコックにとって最後の白黒映画ともなった『サイコ』は、カラー以前には白黒の名手として名を馳せた彼の偉業の、その集大成でもある。そしてヒッチコックは、ある意味カラー作品以上に、本作の「色彩」表現に強いこだわりを見せている。白黒映画において、白は光で、黒は影だ。ヒッチコックが墨絵の如き濃淡で描くその光と影は、色を排したこの白黒映画に、けれど色づける以上に豊饒な色彩を表現し得ている。フィルムに焼きつくその色は、ひたひたと迫り不安を掻きたてる闇の黒だ。ハンドルを握りハイウェイをひた走るマリオン。時間の経過とともに画面を濃密に満たしていく黒の粒子。それは、大金を横領し逃げる彼女の罪悪感の象徴のように着実に濃度を深めマリオンを包み込んでいく夕闇の、その黒だ。闇の中ヒステリックに彼女の顔を照らし、強烈に目を射る対向車のヘッドライト。唐突に降りだす雨。光に反射する激しい雨粒がフロントガラスを覆い、不穏な速度のワイパーがグロテスクに歪む光の粒をさらにぐちゃぐちゃにかきまぜ、視界を不安に遮る。そして再びの闇を抜け、やがてくっきりと眼前に浮き上がってくる、雨に滲んだBATES MOTELのネオン管。絶対的な光と影で構築されるこのめくるめく鮮烈なシークエンスに、もはや曖昧な色彩など不要だ。雨に濡れ湿り気をおびた黒と白が、何色よりも美しく、そして何色よりも禍々しく、目に焼きつく。かくも見事な色彩の表現を、私は他に観たことがない。マリオンが車から降りるより先に、私はもういちど断言する。『サイコ』は未曾有の傑作であり、サスペンス映画の金字塔である。マリオンが忌まわしきノーマン・ベイツに辿り着くよりも以前に、ヒッチコックは疾うにそれを証明している。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-05-13 17:41:35)(良:2票)
2.  殺人の追憶 《ネタバレ》 
サスペンス映画には必ず「犯人」が要る。フィクションとしての犯罪は勿論のこと、現実の未解決事件を題材とする場合も同様に、映画はまずもっともらしい有力な仮説を打ち立て、それに基づいた犯人像を描く必要がある。なぜなら描かれる事件の真相や核心に触れないサスペンスなど、サスペンス映画として成立しないからだ。だがそんな定石を、ポン・ジュノは軽々と凌駕する。一般のサスペンス映画において用意される「描かれる犯人」たち。彼らがどれほどにおぞましい醜悪な姿であっても、実は我々にとってそれはたいした恐怖ではない。たとえば『羊たちの沈黙』の人肉ドレスを縫う殺人鬼も『セブン』のジョン・ドゥーも、観る者を真に恐怖させることはない。その正体とカラクリを知り、悪魔の形をはっきりと認識できることに、我々は心のどこかで納得し安堵するからだ。しかしポン・ジュノは安全なその装置を、嘲笑うかのように破壊する。悪魔的な事件だけが白日の下に曝され、肝心の悪魔の姿は最後の最後まで藪の奥底に潜んだままという、得体のしれぬその恐ろしさ。それはまさに現実世界で日々我々が直面する恐怖と同種のものだ。納得も安堵も決してもたらされることのないその恐怖にこそ、我々は戦慄する。画面には不安に裏打ちされたそんな真の恐怖が隈無く充満し、むせ返るほどだ。ソン・ガンホ演じる脂ぎった刑事の無能さや滑稽さ、彼の見せるそうした生々しい人間の営みが、迫るような臨場感をもって我々の耐え難い不安にさらなる拍車をかける。雨のシーンが秀逸だ。繰り返される雨は、闇にも似た不透明さで世界を覆う。それは人間の抗えぬ不安の象徴でもある。決して止められぬ事件。なすすべなく土砂降りに打たれ、びしょ濡れで立ち尽くすばかりの刑事たち。最後まで姿を見せぬ悪魔。トンネルの壁に撥ね返る銃弾。そして世界を覆い尽くす雨と絶望。ハンマーで殴りかかってくるようなこの気迫はなんだろう。渦巻くばかりの映画的興奮が全編に渡り漲っている。いつしか私も刑事の一人となりそこに立ち、土砂降りの雨の中、ただただ自らの無力に打ちひしがれる。スクリーンで観なかったことをこれほどに後悔させる映画は他にない。傑作だ。ポン・ジュノは事件の核心にも真相にも触れぬ掟破りのこの映画を、けれどそうすることで、超一級の恐るべきサスペンス映画に仕立てあげたのだ。
[DVD(字幕)] 10点(2009-11-29 01:38:23)(良:2票)
3.  さびしんぼう 《ネタバレ》 
映画の冒頭、主人公ヒロキはそのモノローグの中で、手の届かない女子校の生徒たちに過度な幻想を抱き、反対に女性らしい潤いのかけらもない母は子どもの頃から美しい夢など一度も見たことなんかないのだろう、と語る。ものごとの片側だけしか見えない夢見がちなそんな少年の前に、母親の隠されたもう片側の美しい夢(さびしんぼう)が形となって現れるという展開が秀逸だ。けれど彼にとっては見たくない側のさびしんぼうの存在は迷惑でしかなく、思いをよせる少女百合子にたいしても、ヒロキはそのもう片側を決して見ようとはしない。自転車を押しながら憧れだった百合子と歩く奇跡の中でさえ、いつも見つめていた自分の知る側の彼女だけを見ようとする彼は、恥ずかしいからと家の前まで送られるのを拒んだり、ありふれた口うるさい母親の話になぜかステキねとほほえむ百合子のもう片側に、気づくことができない。「あなたに好きになっていただいたのはこっち側の顔でしょ?どうかこっちの顔だけ見ていて。」別れの場面で少女は言う。その台詞は、それがヒロキの失恋であると同時に百合子の失恋でもあったことを意味している。ラストシーンのようにヒロキのかたわらに百合子がいる日がくるとすれば、おそらくそれはヒロキがもう片側をも抱きしめられる男になれたときなのだ。もう1人のヒロキが弾いてくれた別れの曲のメロディとその恋を一生忘れないと16才のヒロキに語る16才のままのさびしんぼう。邪険にあつかってきたそんな母親の悲しい片側をわけも解らずそれでもせいいっぱい強く抱きしめる彼の姿や、木魚ばかり叩いて何を考えているか解らない父親がもう片方の顔を見せて語る風呂場の台詞は、それゆえに熱く深く胸にしみる。極私的な意見だが、坂道で自転車に乗った橘百合子がすれ違うヒロキに見せるそのお辞儀の美しさは、時をかける少女で芳山和子が深町君の家の縁側で靴を揃えるシーンとならんで、大林映画のベストショットだと思う。秋川リサ先生の三度にも及ぶパンティーはワーストショットであるけれど。そしてそれもまた大林映画のもう片側だと言えなくもないけれど。
[DVD(邦画)] 10点(2009-07-20 22:51:59)(良:3票)
4.  さんかく 《ネタバレ》 
吉田恵輔監督は宮崎あおいの熱烈なファンであるに違いない、と推測してみる。宮崎との結婚で世間の反感を買った高岡蒼甫が扮する本作の主人公百瀬のキャラクターは、結婚騒動で高岡を逆恨みする宮崎ファンが憎き彼に抱くマイナスイメージそのものなのだ。ビッグマウスでナルシストのくせに器の小さいダメ男。女癖だって絶対に悪いに違いない。こんな奴が俺のあおいちゃんを幸せにできるもんかい畜生!という、やっかみ120%なイメージ。だが面白いのは、吉田監督(および観客)のこのどす黒い悪意を真っ向から受けて立つ当の高岡が 実に生き生きと、このいけ好かない軟弱男を演じ切っていることだ。不敵な面構えを見せた『パッチギ』での好演をも凌ぐ高岡の凄まじい本気っぷりは、演じるキャラクターに反してもはや清々しいほどだ。そして田畑智子。彼女もまた、 かつての天才子役というナメられたレッテルを、ここでついにぶち破る。田畑智子という役者をここまで見事に活かし、さらに神がかったそのポテンシャルを引き出した映画監督は、それこそ彼女のデビュー作『お引越し』を撮った相米慎二以来だろう。多少なりとも角のとれた感のあった前作『純喫茶磯辺』は別にしても『なま夏』『机のなかみ』と、吉田の意地の悪さはすでに折り紙付きだ。だが本作で吉田はさらにその上をいく。ラストシーン、田舎町の畦道にたたずむ男と女と少女のストーカー三角形。幕切れは女、佳代の笑顔だ。佳代=田畑の慈愛に満ちたその表情の何という 美しさ!だがこれは能天気なハッピーエンドなどではおそらくない。劇中、佳代にとっての「愛」は相手をうんざりさせるほどヒステリックに泣き叫びまた見苦しく追いすがるイタい行為として終始描かれる。ではそんな彼女が笑顔を見せる瞬間とは何なのか。自ら両腕を掻き切るほど必死で追い求めたその男の正体を前に、彼女は別人のように柔和にほほえむ。それは「百ちゃんがバカなのは知ってる」はずの彼女がついに真実を悟り、はたと我にかえる瞬間だ。怒濤の愛から醒め呪縛から解き放たれた彼女は、その時本当の意味で男のすべてを赦し、男のすべてを包み込むことができる。菩薩の如き慈愛は、裏を返せば女としての拒絶でもあるという残酷。美しい映像や照明に騙されてはいけない。柔らかく照らし出される田畑智子快心の笑顔。そのラストショットに、吉田恵輔は、愛が今まさに終わる無慈悲なその瞬間を描いている。   
[DVD(邦画)] 9点(2010-11-29 00:01:26)(良:3票)
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